雑木林に春を告げるウグイスの声が響き、草木や虫が目を覚ます頃、足元では野草たちが代わる代わる花を咲かせます。30~40㎝くらいの高さにすっと細い茎を伸ばし、楕円形の葉を交互につけたその先に、こぼれそうな黄色い花をいくつも咲かせているのは、ラン科の野草「キンラン」です。
キンランは土が変わると枯れてしまいやすく、園芸用に増やしたり植木鉢で育てたりするのが難しい野草。昔は山林でよく見られましたが現在では数が減りつつあり、絶滅のおそれがあるとして環境省のレッドデータブックにも記載されています。
その貴重なキンランの群生地が、東京・池袋から電車で40分程のところにある埼玉県北本市にあると聞きました。
野草の宝庫を訪ねて、埼玉県北本市へ
江戸時代には中山道(なかせんどう)を行く旅人の休憩地として、また高度経済成長期には東京のベッドタウンとして栄えた北本市は、埼玉県南東部に広がる大宮台地の中でも海抜の高いエリアに位置しています。荒川との標高差が高いことから台風などによる災害リスクが少ないことでも知られ、歴史的な文化財や昔ながらの自然が地域の人々の手によって守られてきました。
北本市は古くから湧水(ゆうすい)の豊富な土地でもあり、長い時間をかけて谷を削り出した「谷津(やつ)」が市内にいくつか保全されています。谷津というのは、谷へと続く斜面林と谷の底にある湿地とが美しい景観を織りなし、多様な動植物を育む楽園となっているところです。絶滅危惧種の野草もきっとその谷津で見られるのだろうと思っていたら……。
野草の宝庫はちょっと意外なところ、もっと人の暮らしに近いところにあったのです。
絶滅危惧種のキンランが人で賑わう公園に!?
キンランの群生地があるのは、谷津を中心とした広大な自然が保全されている北本自然観察公園のとなりにある、北本市子供公園です。日本五大桜のひとつに数えられている石戸蒲ザクラからもすぐ近く。
トランポリンのように飛び跳ねて遊べるふわふわドームや、水遊びのできるせせらぎエリアなどがあり、近隣の保育園や幼稚園から子どもたちが遠足で訪れることもある大きな公園で、開園してからまもなく50年目を迎えます。
リスやヤギのいる動物舎などはややレトロで懐かしい雰囲気。公園で遊んでいる子どもを見守っているお父さんやお母さん、もしかしたらおじいちゃんやおばあちゃんも、この公園で遊んでいたのかな。そんなぬくもりを感じます。
小さな谷の地形をそのまま活かして作られた公園には、東側の斜面に雑木林が残されています。雑木林といっても公園の中ですから、落ち葉かきや下草刈りがされていて、うっそうとした感じはありません。木のかげで子どもがかくれんぼでもしていそう。
隣接する北本自然観察公園にはもっと手つかずの自然が残されているのに、キンランの群生地があるのはこちらの北本市子供公園の中にある雑木林エリアなのです。絶滅のおそれがある野草が人で賑わう公園の中で見られるなんて、なんだか不思議。
でも、野草がわざわざ人の近くを選んで咲くのには、ちゃんと理由がありました。
雑木林というのは自然のままに任せておくと、やがてササやタケが生い茂って、野草が育つ余地がなくなってしまうのだそうです。
つまり公園の雑木林は人が手入れをしてきたからこそ、野草がのびのびと育つ環境を守ってこれたということ。これが本来の雑木林の姿で、人と雑木林と野草との共生関係が見えてきませんか?
ウグイスの谷渡りに耳をすませて
では、野草を絶やしてしまうササの藪(やぶ)は悪者かといえば、そうとばかりはいえないのです。キンランの森を散策していると「ホーホケキョ」「ケキョ ケキョ ケキョ」というウグイスの鳴き声が聞こえてくるかもしれません。北本市子供公園を奥へ奥へと進んでいくと、隣り合っている北本自然観察公園につながる木橋へ出ます。そこから左手に広がっているのが稲作以前の谷津の景色。人工物の一切ない、視界いっぱいの緑が広がっています。
以前は稲作をするための田んぼとして利用されていたこの谷には、現在はササ藪があえて残されていて、ウグイスの繁殖地になっているのだそう。
ウグイスは春告鳥(はるつげどり)とも呼ばれるように、通常は秋に山から下りてきて人里の近くで越冬し、春に「ホーホケキョ」と鳴いてから山へと繁殖に戻ります。でも、ここ北本自然観察公園のササ藪では、夏までウグイスたちが大合唱をしているんですって。
「ウグイスの谷渡り」といって、ササからササへと跳ねるように飛びながら「ケキョ ケキョ ケキョ……」と鳴く声も聞こえてきます。普通の鳴き方とは違うこの声は繁殖期のウグイスが出す警戒音の一種といわれますが、ビブラートをかけたような音色でずっと聞いていたいほど心地よく耳に響きます。
キンランの人工栽培が難しいのはなぜ?
北本市子供公園で楽しめる野草は、キンランだけではありません。春先のカタクリ、キンランと同じ頃に白い花をつけるギンラン、初夏のヤマユリなど四季折々にいろいろな野草が花を咲かせます。特に公園内のキンラン・ギンランは合わせて200株を超え、近隣でも珍しいほどの群生地となっています。
キンラン・ギンランなどのラン科の植物は葉っぱから光合成をするだけでなく、菌根菌(きんこんきん)といって根っこを通じて土の中にいる菌(ラン菌)からも栄養を摂取しています。そして、ランの発芽や成長において重要な役割を担うラン菌はまた、雑木林のコナラやクヌギと共生関係にあるのです。これがキンランの人工栽培が難しい理由であり、雑木林の中でこそ、のびやかに花を咲かせるひみつ。
人の暮らしの近くにある北本の自然は生き物がみな支え合い、助け合って命をつないでいることをわたしたちにやさしく教えてくれます。
木漏れ日の下でそっと咲いている野草の花と、そよ風に乗って聞こえてくるウグイスの声に誘われて、春の小散歩へ出かけてみませんか。
北本市子供公園 基本情報
住所:北本市石戸宿3丁目225
電話:048-592-4050(北本総合公園管理事務所)
営業時間:9:00~17:30(10月から3月は16:30まで)
アクセス:JR北本駅西口から石戸蒲ザクラ入口行きバスで15分、終点下車、徒歩4分
入園無料
今回は、自然ともに暮らすまち北本市にある、野草の宝庫をご紹介しました。
北本市子供公園で見られる主な野草と花の見頃はこちらです。
■3月下旬~4月:シュンラン・フデリンドウ・カタクリ・イカリソウ
■4月下旬~5月初旬:キンラン・ギンラン・ササバギンラン・エビネ
■6月下旬~7月上旬:ヤマユリ・オカトラノオ
■8月:ギボウシ・ツルボ
■9月:ヤマジノホトトギス
北本市子供公園では雑木林の手入れをすることで、これらの貴重な野草を守っています。手折ったり掘り返したりして持ち帰ることなく、雑木林の中で楽しんでください。
取材・写真協力:磯野治司(埼玉県北本市役所 市長公室室長)