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2022.04.29

エッセイで知る寬仁親王殿下の素顔(第1回)『ひげの殿下日記』より「身障者スキー合宿」

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本書には、自分に正直に、皇族として、一人の人間として、66年の生涯を生き抜かれた寬仁親王のありのままの思いが詰まっている。(彬子女王殿下)
『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince~』 はじめに より

2012年に薨去された、寬仁親王殿下(ともひとしんのうでんか)。薨去から10年にあたる2022年、殿下が生前に書き続けてこられたエッセイが出版されることになりました。タイトルは『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince~』。1980年から2011年にかけて発刊された、寬仁親王殿下が会長を務める柏朋会(はくほうかい)の会報誌『ザ・トド』、この誌面に掲載されたエッセイ「とどのおしゃべり」を再構成した書籍です。

柏朋会(はくほうかい) 会報誌『ザ・トド』より
なぜ寬仁親王殿下が「トド」と呼ばれていたのでしょうか。その由来もエッセイに!

「ひげの殿下」の意外な一面

和樂webでは、彬子女王殿下による「年中行事で知る日本文化」を連載しています。その中で、お父様である寬仁親王殿下との大切な思い出を、披露して下さった回がありました。

■ 「水に流す人形(ひとがた)から、飾る人形(にんぎょう)へ。お雛様の思い出と歴史【彬子女王殿下と知る日本文化入門】

お二人の温かい関係性が感じられて、とても心に残りました。

寬仁親王殿下
1946年1月5日、大正天皇第四皇子である三笠宮崇仁親王の第一男子として誕生。1968年、学習院大学法学部政治学科卒業後、英国オックスフォード大学モードリン・コレッジに留学。帰国後、札幌オリンピック冬季大会組識委員会事務局、沖縄国際海洋博覧会世界海洋青少年大会事務局に勤務。「ひげの殿下」の愛称で国民に親しまれ、柏朋会やありのまま舎などの運営に関わり、障害者福祉や、スポーツ振興、青少年育成、国際親善など幅広い分野の活動に取り組まれた。著書に『トモさんのえげれす留学』(文藝春秋)、『皇族のひとりごと』(二見書房)、『雪は友だちーートモさんの身障者スキー教室』(光文社)、『今ベールを脱ぐジェントルマンの極意』(小学館)など。2012年薨去。

私がテレビなど映像から感じた寬仁親王殿下は、とても親しみやすくて「ひげの殿下」という愛称がしっくりくる印象でした。率直に包み隠さず書かれた文章は、ウィットに富んだ内容で、一気に読み進めてしまいます。

『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince~』に掲載されているエッセイからは、殿下の意外な一面を知ることができました。例えば、学生の頃からスキーのコーチをされていたこと(それも凄腕の!)。また、身障者へのスキー指導に取り組まれて、日本では指導が確立されていなかった時期から、地道に粘り強く、活動を続けておられたこと。また、自ら動いて、行政や一般人と関わっておられたことを知って、大変驚きました。

この記事では、書籍『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince~』の中から、殿下のお人柄がうかがえるエッセイの一部をご紹介します。

書籍より、5つのエピソードを順番に公開します。本記事は記念すべき第1回目です。

身障者スキー合宿(1983年3月20日)

文・寬仁親王殿下

 今、私は、北志賀(きたしが)の竜王(りゅうおう)スキー場にいます。柏朋会ともつきあいの深い友愛十字会のスキー合宿がもうすぐ始まる為です。三日から六日迄は、ここから一時間位の処にある北竜湖(ほくりゅうこ)スキー場で大阪市の身体障害者スキー合宿のコーチをやっていました。書くつもりはなかったのですが、この大阪の身障者スキーに関しては、かなりユニークな出だしがあるので、それを知らせておこうと思います。

秩父宮妃殿下が戦後ずうっと、日英協会の名誉総裁を現在迄つとめておられるのは皆様、御存知だと思います。十数年前英国政府は、長年の伯母様の御努力に感謝を申し上げる意味で、政府公賓という形で、英国にお招きしました。そして、御日程の中に、ストークマンデビルの開始者グットマン博士(故人)の所の御視察がありました。御存知の通り、パラリンピックの提唱者としても世界的に有名な博士に伯母様が会われた時、彼は多分英国人のジョークでしょうが、「妃殿下、日本には世界で一番の障害者のスポーツセンターがございますのに、なぜこんな所を御視察なさるのでしょうか」と言ったそうです。この時、伯母様は大阪市に出来た(グットマン博士も設計にかかわった)身障者スポーツセンターを御存知なかったので、大層驚かれ、帰国後、大阪で開催された日本学生陸上競技対抗選手権大会に行かれたおり、スポーツセンターを見に行かれたわけです。

この時、御案内と説明をしたのが、大阪市長の大島靖(おおしまやすし)さんでしたが、終り頃に、市長は、妃殿下に「ここは御覧の通り、夏のスポーツは全て完備しておりますが、ウィンタースポーツが欠けており、大阪は雪なし県でもあり、自分は是非大阪市の市民に、特に身障者達にスキーの楽しさを味わってもらいたいと考えています。しかし、ここの職員は、皆スキーの素人であり、私自身もどうすれば良いかわかりません。ついては妃殿下の甥御(おいご)さんはスキー指導をされていると聞いておりますので、御紹介をいただきたいのですが……」といった訳です。

帰京後、伯母様は私に電話を下さり、右記の件をかいつまんで話され、「協力してあげたら?」とおっしゃいました。その後、半信半疑のままに青年会議所の仕事で大阪にいった折、市長の方から連絡が入って、一度会いたいというのでプラザホテルのロビーで会いました。正直いうと、この頃、大島市長は横浜の飛鳥田(あすかた)市長や都知事の美濃部(みのべ)さんなんかと一緒に革新首長ということで有名でありました。(現在は全党公認ですが)。従って、革新市長がその主義と最も離れていると思われる皇族の一員にものを頼むというのは、いささか奇異な感じもしましたし、別な見方としては、スキーなどという割と派手なスポーツに目をつけて、ただかっこいい福祉をするのかいなという気持ちもありました。とにかく会ってみて初対面ではありますが、ド真面目に「雪をみたこともない障害者に、私は何としても雪をみせてあげたいし、できればスキーもやってもらいたい。スキー指導に関しては全て殿下におまかせするので、自由にやって頂きたい。事務方と、経済的バックアップは、市が全部やりますから」と頼まれた訳です。

 そして、合宿する場所については、長野県下のどこかの市と間違いなく姉妹都市の約束を取りつけるからとのことでした。そこで私は、彼のやる気が本気であることを認め、コーチ集めを約束し、第一回が、飯山(いいやま)市の信濃平(しなのだいら)というスキー場で始まりました。

 そしてこの間が第九回。
 大阪市民生局と、身障者スポーツセンターの共催で、センター利用者を中心に盲学校、聾学校を含めて、参加者をつのる訳ですが、延べ人数を考えると、数千人の人々が参加したことになり、その中からは第十一回世界スキー指導者会議の日本代表団に十一名が選ばれ、毎年ノールウェイで開催の、視覚障害者の距離競技大会には二名ずつ派遣されており、カナダのアルペン国際大会にも選手として出場という風に、堂々たる成果をあげています。今度の合宿の開講式でも話しましたが、国際障害者年元年もすぎた今なら、障害者とスキーという事も全国に知られましたし、特別ユニークでもありませんが、行政のプロではあってもスキーのズブの素人の市長が、風の便りにスキー教師と障害者問題の二足のわらじをはく私の事を聞いて、海のものとも山のものともわからない障害者のスキー合宿という、彼の夢を私にたくしてみたいというのは発想としてはすごいことでした。市長として票を集めたいんなら、老人問題を扱った方がはるかに実質的でしょう。ハンディキャップスキーは、まず票には直接つながらないと思います。又、日本人の特徴として、行政体の御役人達はナワ張り意識が強いものです。民間のやる行事には、後援などの名儀は貸しても、手助けはしないものですし、逆に、行政主導の行事は、役人だけでやってしまいたいものです。それが計画はすべて官が責任をもちながら、運営面は私を始めとするスキーコーチ達という民間人にまかせて、ここまできたという事ひとつをとっても、市長の覚悟というものは立派であると思わざるをえません。来年は節目となる十回目が早くも訪れようとしています。

『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince~』


出版社:小学館
著者:寬仁親王殿下
監修者:彬子女王殿下
発売日:2022年6月6日発売
価格:4000円+税
ページ数:608ページ

書いた人

幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。十五代目片岡仁左衛門ラブ。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。

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大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。