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Culture
2022.09.14

異世界への入り口は身近にあった!人間を待ち受ける3つの地下世界

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古い物語を読み解く限り、人間が異世界へとアクセスする方法はいくつかある。井戸を通ったり、洞穴を抜けたり、あるいは亀に連れて行ってもらったり。古事記ではイザナギがイザナミを追いかけて〈黄泉の国〉へと降りていき、昔話「ネズミの浄土(おむすびころりん)」でお爺さんが招かれたのは穴の中だった。浦島太郎が亀の背に乗って向かった竜宮は、海の底にある。

“異世界モノ”は、昔々からあったんだなぁ。

海の底を地下と受けとるなら、日本ではどうやら異世界というのは地下にあると考えられていたらしい。昔話や神話で繰り広げられる地下世界訪問譚は、謎に包まれた魅惑の異世界へ私たちを案内してくれる。でも、どうして不思議の国はいつも地下にあるのだろう?

今回は物語世界の住人たちが訪ねた(あるいは迷い込んだ)3つの代表的な異世界を巡ってみたい。いつか招かれた時のために、帰り方も覚えておいたほうがよさそうだ。

ネズミと歌って踊る〈根の国〉


「ネズミ浄土」という昔話がある。「おむすびころりん」としても有名なこの昔話でお爺さんがたどり着いた先は、地下にあるネズミの世界。よく似たモチーフは「地蔵浄土」や「こぶとり爺さん」にも登場する。

物語は、昼飯の団子を食べていたお爺さんが団子をうっかり落としてしまったことから始まる。落ちた団子は転がり、転がって穴の中へ。団子を追いかけてお爺さんも穴の中へ。地中深くでは、ネズミたちが歌ったり踊ったりと賑やかな様子だった。団子のお礼に歓待されたお爺さんはネズミたちから大判小判をお土産にもらって帰る。

歌と踊りに大判小判。地の中は、まるで楽土といった雰囲気だ。なんとも楽し気だけれど、このネズミたちは街中を駆け抜けるネズミとは少しちがう。お爺さんを歓迎したネズミは根棲、つまり地中の世界を作る〈根の国〉の住人でもある。古事記では、オオナムヂ(オオクニヌシ)は八十神に追われて「木の俣より漏き逃がして」もらい、〈根の国〉へ行ったと語られる。言葉上での連想を楽しんで解釈すると、木の根が深く根を張っているところにネズミたちの国はあると思われる。

〈根の国〉が天上ではなく地下に拡がっているのはおそらく、人間の最後の行先と関係がある。人は死ぬと地に埋められる。死者の棲む世界は地下にあるとの神話的思考は、人間の死に場所から想像されたのかもしれない。とするなら、〈根の国〉は〈黄泉の国〉とも繋がっていることになる。

危ない危ない。おむすび転がしたおじいちゃん、あとちょっとで死んじゃうところだった?

山を越えた先は〈黄泉の国〉


人は死んだらどこへ行くのだろう。そんなことを聞かれても答えようがないが、死者たちの行先には心当たりがある。たとえば〈黄泉の国〉がそれである。

ヨミはヤミ(闇)にもとづいているから、〈黄泉の国〉に光は届かない。生きて足を踏み入れたくない黄泉の国だが、実はここはまだ死者たちの終着点ではないらしい。その証拠にイザナギは亡き妻イザナミをこの世へ連れ戻そうと出向いている。つまり、〈黄泉の国〉は死者の国への通り道に過ぎないのである。

黄泉国の料理を食べると帰れなくなるようですね。

「イザナギとイザナミ」 西川祐信(The Metropolitan Museum of Art)

となると、死者たちの最終目的地が気になる。具体的にどの辺りなのか気になって調べてみた。その場所は、意外にも人間のすぐ近くにあった。

古事記の内容を素直に受け入れるなら、死んだイザナミは「出雲の国と伯伎国との境の比婆の山」に葬られたという。西郷信綱(『古代人と死』)によれば、ここで語られる国とは神話上の範疇でしかないという。ヤマトから西方にあたるイヅモ世界を死者の国に見立て、その国との堺の山にイザナミは葬られたのではとの指摘は興味深い。死者たちの最終地点である死霊の世界は、耕作地の向こうの野原やそれにつづく山地のあたりにあるそうだ。

確かにそういうところは、一人で行ったら危なそう。

永遠の時に支配された〈海神の国〉


ウサギを追いかけて不思議の国に迷い込んだアリスにしても、「ネズミ浄土」のお爺さんにしても異世界へ行くのには案内人がいるらしい。浦島太郎が海の底へ辿り着くことができたのは、亀がいたからだった。亀が迎えに来なければ、浦島は海の上で鰹や鯛を釣り続け、日没までには家に帰っていただろう。

他の異界に比べると〈海神の国〉はキラキラとした印象を受ける。それが海面に反射する太陽の光だったとしても、地中深くにある〈根の国〉にはない明るさがここにはある気がする。竜宮は少し生臭そうだけど、〈黄泉の国〉のような死臭や腐臭は感じられない。

海底のポジティブなイメージには神話上の意味がある。なんといっても、海の神・ワダツミの娘である豊玉姫の存在が大きい。古事記では、〈海神の国〉はうるわしき名前をもつ女神・豊玉姫の棲みかなのだ。

「浦島太郎」室町末期~江戸初期頃 (国立国会図書館デジタルコレクションより)

浦島譚では、海底の世界は永遠の時間に支配された神仙国として描かれる。万葉集には、「水江の浦の島子」が「常世に至り」、ここで「老いもせず、死にもせず」海神の娘と仲睦まじく暮らしたとある。物語の結末はともかく、どうせ招かれるなら死者のたむろする世界よりも賑やかな宴会のほうがずっといい。そう思うのは私だけではないだろう。

「ずっといい」というか、死霊の国には行きたくない!(笑)

異世界への通路

「百物語 さらやしき」葛飾北斎 (The Metropolitan Museum of Art)

こちらから異世界へ行けるなら、異世界からこちら側へ来ることだって可能なはずだ。物語の主人公たちはどこを通って異世界へ赴いたのだろうか。

丹後風土記逸文の浦島は、海の上で眠っているうちに仙界へ着いたという。海神の乙女に出会う万葉の伝説歌では、海坂(ウミサカ)なる言葉が出てくる。異世界への通路は坂になっているのだろうか。古代人は水平線には縁があると考えていたらしく、そこは水の渦巻く急な坂になっていて、その下の方に〈海神の国〉があると信じていた。

「井戸」もまた異界とこの世を直接結ぶ通路として語られることがある。地中世界にカミが住むと信じられていた時代には、井戸はカミをこの世に招くための人間が用意した通路の役割を果たしていた。井戸に限らず、中身が空洞になっているもの(壺や竹や洞窟など)も、あちらとこちらを直接結ぶ理想的な通路とされてきた。

「深淵をのぞく時深淵もまたこちらをのぞいている」ってやつかな……。

さいごに

ネズミ浄土のある〈根の国〉。イザナギが向かった〈黄泉の国〉。そして浦島太郎が過ごした〈海神の国〉。地中の穴、野原と山、そして海。異世界へと繋がる通路は、意外にも私たちのすぐ近くにある。条件さえ揃えば、誰でも異世界へ行くことができるというわけだ。

日本人が畏怖と敬意の念をもって描いてきた異世界の数々。一度くらいは覗いてみたいけど、行ったら最後、無事に戻ってこられる保証はない。

【参考文献】
西郷信綱 『古代人と死 大地・葬り・魂・王権』 1999年、平凡社
秋田裕毅 『下駄-神のはきもの(ものと人間の文化史)』 2002年、法政大学出版局

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書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。

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