「何が書いてあるか読めないし、どう見たらいいかわからない〜」と、「書」と聞いただけで拒絶反応が出る人も少なくない? しかし、作品の背景にある物語を知れば、ぐっと身近に感じるはずです。国宝に指定されている名品なのに、その内容は実は謝罪文だった…今回は、そんなクスッと笑える「書」をご紹介します。
藤原佐理はあやまり上手だった!? 「離洛帖」の国宝物語
日本の書は中国の影響を受けながら発展してきましたが、日本独自の柔和な書風が生まれるのが平安時代中期。小野道風(おののとうふう)、藤原佐理(ふじわらのさり/すけまさ)、藤原行成(ふじわらのこうぜい)は「三跡(さんせき)」と称され、「和様の書」を確立しました。「書は人なり」といわれるように、書く文字にその人の個性が表れるのは今も昔も変わりがありません。三跡の中でも特にキャラが際立っているのが藤原佐理。佐理の書はたった6点しか残っていないのに、なんと、そのうち5点がお詫びや愚痴の手紙なのです。本来は、だれからも見られたくないはずの恥ずかしい手紙ですが、字が上手すぎたがゆえに後世まで残り、国宝になってしまいました。
藤原佐理「離洛帖」国宝 紙本墨書 31.7×64.6㎝ 平安時代 正暦2(991)年 畠山記念館
「離洛帖(りらくじょう)」は、太宰府に赴任する折、摂政(せっしょう)・藤原道隆に挨拶するのを忘れたことを詫び、甥の藤原誠信(さねのぶ)に取りなしてほしいと願う内容。反省文とは思えないほど、のびのびとした流麗な筆致です。大酒飲みで怠け者で失敗ばかりしていたといわれる佐理ですが、きっと美しい文字に免じて許してもらっていたのでしょう。