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鳴き声に思いを寄せた哀歌
近江の海夕波千鳥汝(な)が鳴けばこころもしのにいにしへ思ほゆ
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)
思ひかね妹(いも)がり行けば冬の夜の川風寒(さむ)み千鳥鳴くなり
紀貫之(きのつらゆき)
多摩川は神奈川と東京の境を流れる川だが、川下にゆくと白い千鳥がいるという。千鳥は古典和歌の中ではずいぶん詠まれている鳥だが、今日はその歌を詠む人はほとんどない。千鳥はその鳴き声に哀調があるので、その声とともに詠まれることが多かった。「近江海夕波千鳥汝が鳴けばこころもしのにいにしへ思ほゆ」。これは人麻呂が近江の古都を過ぎてゆく時の作。もう一首のおそらく同時作と思われる「もののふの八十(やそ)宇治川の網代木(あじろぎ)にさよふく波のゆくへ知らずも」とともに味わう歌であろう。この歌では網代木のあたりに寄ったり渦巻いたりなかなか流れてゆかない波に目を止めつつ、ついには「ゆくへ知らず」になってゆく人々の命運に感慨を寄せている。
はじめにあげた千鳥の歌も、その声を耳にすると「心もしみじみとして」古都近江朝(おうみちょう)時代のことが思われるといっている。近江の大津に都したのは天智(てんじ)天皇。この都は天皇の一代数年で滅びたが、唐に学んだ律令(りつりょう)国家の秩序や、宮廷行事としての詩歌(しいか)の宴など、新儀(しんぎ)花やかな面影は万葉集の中にも残っている。
歌は近江の海(湖)につづけて「夕波千鳥」という何とも美しい言葉の連鎖のひびきを生み、さらには「汝が鳴けば」という呼びかけによる親愛の情をつづけることにより、人の心に直にひびいてくる歌になっている。人麻呂が回想している「古(いにしへ)」とはそうした歴史を歩んだ時代の夢とともにあったものなのだ。
ところで千鳥はどんな声で鳴くのだろう。「チイチイ」とか「ピュルピュル」「リリリリッ」などさまざまだが、殊に冬の夜に聞く哀切なひびきが印象的らしい。「百人一首」の中に源兼昌(みなもとのかねまさ)の千鳥の歌がある。「淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜ねざめぬ須磨の関守」。ずいぶん優雅な関守も名勝の歌枕須磨だから納得させられる。『源氏物語』で須磨に引退した源氏を紫式部は「――まどろまれぬあかつきの空に千鳥いとあはれに鳴く」と千鳥の哀調を加えて源氏の心情を推しはからせる。源兼昌の歌はこの場面を心に浮かべながら作られた歌であろう。
掲出のもう一首をみてみたい。拾遺集(しゅういしゅう)にある紀貫之の歌である。「思ひかね妹がり行けば冬の夜の川風寒み千鳥鳴くなり」(あなたを思うこころの昂(たかぶ)りを抑えきれず、ついにはあなたにお会いせねばと心急ぐ道すがら、冬の夜の川風はぞっとするほど身にしみ寒く、折ふし澄んだ千鳥の声が鋭く心にしみるのです)と詠んでいる。万葉集からは劇的に歌風のちがう古今集や拾遺集は、その絵画性や言葉の装飾的な美しさに、唐詩に匹敵する詩の世界を作り上げようとする意欲が見える。その代表といえる貫之の歌だが、この歌はむしろ万葉集の遺風のような言葉や調子が残っていて珍しい。近代の歌の改革者の子規(しき)は貫之嫌いで有名だが、この一首にだけは脱帽して、オマージュを惜しまなかった。
馬場あき子
歌人。1928年東京生まれ。学生時代に歌誌『まひる野』同人となり、1978年、歌誌『かりん』を立ち上げる。歌集のほかに、造詣の深い中世文学や能の研究や評論に多くの著作がある。読売文学賞、毎日芸術賞、斎藤茂吉短歌文学賞、朝日賞、日本芸術院賞、紫綬褒章など受賞歴多数。『和樂』にて「和歌で読み解く日本のこころ」連載中。映画『幾春かけて老いゆかん 歌人 馬場あき子の日々』(公式サイト:ikuharu-movie.com)。
構成/氷川まりこ
※本記事は雑誌『和樂(2022~2023年12・1月号)』の転載です。