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2024.01.23

日本固有の「温泉・混浴」文化は世界にどう許容されたのか?「コラム2」【〝おもてなし〟を体感できる至高の湯宿】

至高の温泉地と湯宿をご紹介する全13回シリーズ、第12回は「至高の湯宿コラム・2」をお送りします。

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私たちにとってはごく普通の入浴習慣も、初めて経験する外国人には、ビックリされることが少なくありません。現代でもそうなのですから、江戸から明治時代にかけて日本を訪れた外国人の目に、温泉はどのような印象を与えたのでしょうか。

鎖国をしていた江戸時代も、海外との情報の交換が、唯一の窓口であった長崎・出島を通して行われていました。そのうち、江戸時代初期に来日し『日本誌』を著したドイツ人医師・ケンペルや、幕末にオランダ商館医となったドイツ人・シーボルトなど、出島を訪れた外国人は必ずと言っていいほど、長崎に近かった佐賀県・嬉野(うれしの)温泉を訪問。温泉を体験するとともに、成分の分析などの研究も行っていました。

シーボルトが紹介した長崎県・雲仙温泉は、明治時代に外国人用の高級リゾートとして発展。その交通に用いられたのが「チャーカゴ」。チェアー籠かごがなまった名称と考えられる。写真協力/雲仙市小浜歴史資料館

思いがけない有名人が温泉を体験していた!

江戸時代に温泉を体験した外国人はほかにも、トロイア遺跡を発掘し、日本と中国を訪れた『旅行記』を書いたドイツの考古学者・シュリーマン、フランス貴族で女性冒険家のボーヴォワール、イギリス初代駐日公使オールコックらがいます。彼らは、混浴であった温泉の浴場に驚きを隠せなかったものの、「郷に入りては郷にしたがえ」の精神を有していたのか、比較的好意的に受け止めていました。

明治時代になると、政府が海外の知識人を招請(しょうせい)し、旅行で訪日する人が増加。温泉を初めて体験する外国人も増えていきます。そんな人々の役に立ったのが、前述の人々が残した日本に関する記録でした。それを見て、入浴習慣などをあらかじめ承知していた人は、温泉に対する偏見もなく、混浴などに対しても意外なほど寛容。むしろ積極的に体験しようとしていたようです。

左/明治24(1891)年夏、草津温泉の一井旅館(現・ホテル一井)に宿泊していたベルツ(左端)。右端は、日本における西洋医学の発展に尽くしたドイツ人外科医スクリバ。草津町はベルツの草津温泉への貢献に対し、昭和9(1934)年、西(さい)の河原に顕彰碑(けんしょうひ)を建立。ベルツが生まれたドイツのビーティヒハイム・ビッシンゲン市と姉妹提携を結んだ。右/明治時代の一井旅館。贅沢かつしゃれた外観が印象的。ベルツはここに宿泊した。

温泉も混浴も、意外にすんなり受け入れられていた

やがて、神奈川県・箱根温泉や群馬県・伊香保(いかほ)温泉、長崎県・雲仙(うんぜん)温泉などが保養地として発展。外国人向けのリゾートホテルが誕生するなど、外国人への対応をいち早く進め、温泉の魅力を広く海外にアピールする役割も果たしました。

温泉が観光と結びついて受容されていった一方で、政府に招かれて来日した学者や技術者などの「お雇(やと)い外国人」の中には、温泉を研究対象とする人が現れます。その代表が、日本人が礼儀正しいふるまいをしていることに感心したという感想を述べています。
これらは決して、好意的な意見だけを選んだわけではありません。混浴に対して驚きはしても、嫌悪感を抱いたというような感想はほとんどなかったのです。しかし、当時の明治政府は混浴を禁止していきます。むしろそれを非難する外国人が多かったのは、皮肉な話です。
開国して間もなく、諸外国の発展ぶりを知った明治政府は、国民生活を世界的水準にしようと、日本の伝統を否定してまで欧米の国々に追いつこうと、必死だったのかもしれません。だから、混浴が野蛮だと軽蔑されるのを恐れていたのでしょう。
ですが、外国人は混浴を日本の伝統的風習として尊重し、温泉の魅力の一部として受け入れていた…。それを知ると、温泉はこれからますます、世界の注目を集めることになっていきそうです。

左/温泉街の中心に位置する、草津温泉の名所「湯畑(ゆばたけ)」。毎分4000ℓもの温泉が湧出し、常時湯煙に包まれていて、夜はライトアップが美しい。右/湯畑のすぐ隣に、かつてベルツが宿泊した「ホテル一井」がある。ベルツが着目した草津温泉にある6つの源泉のうち、ふたつを露天風呂などのかけ流しで楽しめる。ホテル一井では、この温泉を堪能できる多彩なプランを用意。

【湯宿DATA】

ホテル一井(ほてるいちい) 
住所:群馬県吾妻郡草津町草津411 
電話:0279-88-0011
宿泊料金:2名1室利用時1名15,000円(税込)~(1泊2食付)
アクセス:JR北陸新幹線「軽井沢駅」より草軽交通・西武観光バス「草津温泉」下車。送迎あり(到着時要連絡)。
公式サイト:https://www.hotel-ichii.co.jp/

構成/山本毅 参考文献/『温泉と日本人 増補版』八岩まどか(青弓社)、『温泉の日本史』石川理夫(中公新書)
※本記事は雑誌『和樂(2023年2・3月号)』の転載です。
※表示の宿泊料金は税金・サービス料込みの金額です。別途入湯税や、入浴料などがかかる場合があります。また、連休や年末年始など、特別料金が設定されている場合もあります。
※お出かけの際には宿のホームページなどで最新情報をご確認ください。

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和樂web編集部

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