大河ドラマ「光る君へ」で人気なのが、藤原の若き貴公子4人のシーン。道長役の柄本佑、公任(きんとう)役の町田啓太と行成(ゆきなり)役の渡辺大知、斉信(ただのぶ)役のはんにゃ. 金田哲が会話するシーンを見るだけで、少女漫画を読むようにときめいてしまう。
筆者はふと思った。イケメンが4人も集まっているのなら、今後“F4”(※1)のグループ内恋愛を描くシーンがあるのでは?「光る君へ」は「源氏物語」をオマージュしたシーンがすでに盛り込まれてきた。しかも「源氏物語」には光源氏が女性にフラれて、その弟に添い寝してもらうシーンもある。”BL”展開の可能性が、ワンチャンスあるかもしれない……。「光る君へ」で男性の同性愛が描かれるかどうか、古代中国の習慣までさかのぼり考察してみた。
※1:漫画『花より男子』の用語。漫画の舞台となる名門高校に、「F4(エフ・フォー)」と呼ばれる4人の男子生徒が登場する。「F4」とは「Flower four(花の四人組)」。彼らの実家は大金持ちという設定だ。この漫画をふまえて「光る君へ」の4人はファンの間で”F4″と呼ばれている。(藤原の頭文字Fをとる、という説もあるようだ。)
古代中国語「男色(ナンセー)」を、そのまま輸入した日本
伊達政宗など、戦国武将の男色文化は広く知られている。この男色という言葉、じつは古い中国語からきていることをご存じだろうか?
中国語では男色をナンセーと読み、およそ1500年前にはあった言葉だという研究がある。中国では男性間の性行為を指すワードだ。この「ナンセー」を輸入し、日本語読みをした熟語が「男色」で意味は同じ。古代日本は、隣の大国であった中国からさまざまな文明を取り入れてきた。日本の「男色」の習慣も中国から持ってきたと考える学者もいる。つまり男色は日本だけではなく、中国にも歴史があるのだ。
中国では紀元前から、皇帝が美少年を寵愛していた
中国の男色の歴史は、なんと紀元前から記録がある。公的に任命された美しい少年と、皇帝や支配者が性的な関係を持っていたらしい。
紀元前6年~1年まで在位した漢の皇帝・哀帝には有名なエピソードが残っている(※2)。皇帝が寵愛する少年と昼寝をしていたら、会議に呼び出された。皇帝の袖(そで)を下に敷いて眠っている少年を起こさないように気遣い、皇帝は袖をたちきって部屋を出たという。この故事から、断袖(だんしゅう)という言葉が生まれ、男色と同じ意味でつかわれることもある。そして平安貴族にも人気があった、李白や白居易といった詩人も男色を好んだと指摘する学者もいる。
※2:文献『漢書』
唐の時代、男性同士の結婚が一般的になっていた福建地方
唐の時代になると、男性の同性婚を推奨する地域もでてきたようだ。福建地方では、宮廷に多くの美少年を送り出し、男性同士の結婚が一般的になった。しかし、同世代カップルが結婚するわけではない。
年長の男性が、少年の花嫁を迎える。少年が成人すると、年上のパートナーが彼と女性との結婚をとりはからい、費用も負担してあげたらしい。若いときは同性と結婚し、その後は異性とも結婚する。唐の時代は、現代人の想像を超えた結婚観があったようだ。
平安貴族の男色文化には、合理的な理由があった?
平安時代は国風文化だと習った人も多いだろう。しかし、平安貴族の多くは、中国の文化に精通していた。「光る君へ」でファーストサマーウイカが演じる清少納言は、漢詩に詳しい女性として描かれている。そんな中国通の人だらけの宮中で、”F4”が中国の故事をまねて、男色を受け入れた可能性はあるのではないか?
残念ながら道長や行成が書いた日記に、男色の記録はない。しかし、道長、公任、行成の孫の世代が、寺院にいた美少年に熱を上げていると書かれた日記(※3)がある。三井寺にいた稚児を道長、公任、行成の孫たち青年貴族が気に入り、たびたび寺に訪問していた。馬など高級なプレゼントもしていたようだ。そんな孫たちが1039年新嘗祭の最中に騒ぎを起こしたと、さらに記録が残っている。
「この童を以てその所の陪従井びに童女に通嫁せしむ」
青年貴族たち、稚児、少女入り乱れて五節の夜の「濫行」(乱交)であり、この時代のセクシュアリティの一端がうかがえる。(※4)
ちなみにこの記録は「光る君へ」で他人を厳しく批判し、よく日記を書く人物として描かれる藤原実資(さねすけ/ロバート秋山竜次)の孫(※5)が書いているのも興味深い。
平安貴族の男色には、合理的な理由があったという人もいる。男性貴族が成人女性とばかり性行為を行うと、子どもがたくさん生まれる。子孫が多すぎると家計が傾くし、宮中で限られた数しかない役職につけなくなってしまう。そういった理由から、平安貴族の男色がうまれたという説だ。
ちなみに平安貴族の男色は、青年と年下の少年が交流する点がポイントだ。年上が能動的、年下が受動的に性行為を行う暗黙のルールがあったと考える研究者もいる。このルールを守れば、年下側だった少年が成長すると能動的に立ち回る役割に変わる、うまいサイクルができた。また、身分が高い年上の貴族に男色を通して気に入ってもらえれば、政治で出世をするチャンスもあった。
”F4”の中で、行成は道長より6歳年下である。”年の差カップル”がドラマ内で生まれる可能性はゼロではない。時代考証をしつつ、記録にないオリジナルキャラ・直秀なども登場させる「光る君へ」は優れたフィクション作品だ。当時の文化をふまえ男色シーンが描かれる展開も、筆者はひそかに期待している。
※3:藤原資房(すけふさ)「春記」。
※4:三橋順子「歴史の中の多様な性」から引用。
※5:藤原資房の父親は、藤原実資の養子。乱交騒ぎのほか摂関の独裁を批判するなど怒りに満ちた日記が「春記」には多いらしい。「光る君へ」で描かれる祖父のイメージと似ているかもしれない?
参考文献:
ゲイリーPリューブ「異色の日本史」
東野治之「史料学遍歴」
武光誠「日本男色物語」
三橋順子「歴史の中の多様な性」
アイキャッチ画像は、探幽/遊楽図(一部拡大)/野村高明摸/東京国立博物館/出典:ColBase
平安貴族・男色研究のパイオニア論文
平安貴族について調べる人は多かったが、男色について言及する研究者がいなかった時代が長くあったそうだ。そんななか、保元の乱で死んだ平安後期の貴族・藤原頼長の日記から男性とのナイトライフをピックアップして研究した論文が1979年にうまれた。今、この論文は一般書籍でも読める。東野治之(とうのはるゆき)先生の「史料学遍歴」という本だ。「日記にみる藤原頼長の男色関係―王朝貴族のウィタ・セクスアリス―」という論文で、素人が読んでも大変読みやすく、面白い。
史料学遍歴