1993年、「シャネル」は時計・宝飾部門を創設。それにより、ファインジュエリーのアーカイブを充実させることが急務に。その最初のミッションが、’32年に開催されたガブリエル・シャネルにとって生涯で唯一のハイジュエリーコレクション「ダイヤモンド ジュエリー」展の作品を探し出すことでした。
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ファインジュエリー不朽のアーカイブを日本初取材!「シャネル パトリモニー」新たな伝説の始まり
名立たる芸術家が集結した、すべてに革新的だった展示会
1932年、低迷するダイヤモンド市場を復活させるために、ロンドン・ダイヤモンド商業組合は、稀代のファッションデザイナー、ガブリエル・シャネルによる「ダイヤモンド ジュエリー」展を企画。彼女はオートクチュールに着想を得て、前代未聞の展示会を開催しました。
会場は、なんと彼女の自邸。コレクションのテーマを決め、ヘアメークを施したマネキンに作品を展示することも、革新的な試みでした。また、リリース制作や会場装飾には、ジャン・コクトーなどのアーティストが協力していることも話題に。
しかし、この展示会があまりに注目されてしまったがために、パリの宝飾界が猛反発。会期後にジュエリーの解体を要求したのです。それが了承されたことで、コレクションの多くが失われてしまいました。ただ、この決定前に売買契約が交わされたものがあり、それが現存している可能性があります。
約50点の作品からなるコレクションには2点の時計が含まれていました。パトリモニー部門は膨大な報道記事、展示会の写真、ニュース映像から来場者を特定。系譜学者の力を借りて彼らの子孫をたどり、45名にコンタクトをとりました。そして2点の作品の所在があきらかに。その1点が2000年にアーカイブに収蔵されたコメット(彗星)ブローチ。もう1点が個人所有のプリュム(羽根)ブローチです。
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