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Culture

2024.09.01

皇族が和服を着るようになったのは意外と最近。「着物」が語る物語【彬子女王殿下が次世代に伝えたい日本文化】

同世代の友人たちに比べると、私は比較的和服をよく着る方だと思う。公務で着ることもそれなりに多いし、お茶のお稽古では毎月着ている。観劇の際なども時折着る。和服を着ると、気持ちがしゃんとする。洋服のときは、背もたれに寄りかかって足をプラプラさせてしまうこともあるけれど、和服のときはそんな気持ちにならない。私にとって和服は、気持ちのスイッチを切り替える道具のようなものなのかもしれない。

三笠宮家の“なで肩”

良くも悪くも、私は着物体型であると思う。背が高いと反物の長さが足りず、柄をきれいに出すのが難しかったり、お端折りがなかなか出なかったりするらしいが、私は一時代前の日本人の平均身長くらいなので、そういった苦労は全くない。ちなみに、東郷平八郎とほぼ同じサイズである。

そして、三笠宮家の血なのだと思うが、なで肩である。以前私の目の前に、父、三笠宮妃殿下、叔母が並んで座っておられたことがあるのだが、全員肩の角度が同じで思わず笑ってしまった。恐らく並べば私も同じような角度であっただろう。大学時代、自転車愛好会に入っていて、ツーリングで自転車を分解して運ぶ際、肩に輪行袋をかけてもすぐにずり落ちてしまうので、大変苦労したけれど、和服には適した肩であると思う。

常陸宮妃殿下から受け継いだ桜の柄の訪問着を着て。

皇室の装いの移り変わり

そんなこともあって、和服はとても好きなのだけれど、皇族が和服を着るようになったのは、意外と最近のことであったりする。明治に入るまで、皇族が着ていたのはいわゆる十二単に象徴されるような公家装束である。しかし、明治の御代となり、様々な国の在り方が形作られていく中で、西欧列強と肩を並べていくために、宮中では古来よりの装束を廃し、洋装を第一礼装と定められた。以来皇室では、洋装の方が和装より格が高いということになっている。

『銀のボンボニエール』というご著書の中で、秩父宮妃殿下は

今は宮中も和服をお許しになっていますが、戦前は表向きは洋服に限られておりましたので、和服の時は夜になってから伺いました。それも御所の正面から正式にと言うわけにはまいりませんので、お庭続きにどこかから、まさにお忍びの形で、何度か殿下もご一緒にお伺いしたものです。和服は宮中では影の品で、たとえ紋付きといえども内輪のお祝いにしか着ないくらいですから、婚礼のお支度にもそれほど多く用意したわけではございませんが、伺う度に違うものを着るように心がけました。

と記されている。公の場面では洋服しかお召しにならなかったけれど、御身内のお集まりのときなどは和服を時折お召しになっていたことがわかる。三笠宮殿下も宮邸にいらっしゃるときは、いつもお和服をお召しだった。今私が和服を着ると気持ちがしゃんとするのとは逆に、当時の殿下方にとって和服は、日頃の緊張感のあるご公務から離れ、張り詰めたお気持ちが少しやわらぐお召し物だったのかもしれない。

戦後、服装令が撤廃されてからは、宮中での女性皇族の衣装は皇后陛下を始め、妃殿下方のご相談で柔軟に決定されるものになっていく。国賓の答礼行事などで和服が着用されるようになり、少しずつ和服の登場回数は現在のように増えていくようになったのである。明確なルールはないのだけれど、私は外国の方が多い行事や日本文化関係の行事の際は、和服を選ぶ率が高くなっていると思う。時代の流れと共に宮中での服装は様々に変化したけれど、洋服も和服も自由に着られる時代は、長い歴史を顧みればわずかこの数十年なのだと思うととても感慨深い。

妃殿下方の着物が伝える、歴史と思い

和服の良い所は、世代を超えて着られるということ。洋服には流行り廃りがあり、二十年前には最先端だった服が今は着られなかったりするけれど、和服にはそれがない。ありがたいことに、小柄な私は妃殿下方からお召し物を譲っていただけることが多い。皆様がお召しになったものには、それぞれ物語がある。香淳皇后が三笠宮妃殿下に御譲りになった、鮮やかな紫色の訪問着。柄合わせが不思議なので、妃殿下に伺うと、元々はお掻取(かいどり、武家では打掛)であったものを小袖に仕立て直したのではないかと仰っていた。清宮(島津貴子)様や常陸宮妃殿下、三笠宮家のおばたちがお召しになったお振袖も、度々に着用させていただいた。

香淳皇后から三笠宮妃殿下へ、そして彬子女王殿下へ譲られた訪問着。帯は常陸宮妃殿下から譲られたもの。令和5年の春の園遊会前に宮邸にて。

作られてから50年以上、中には100年近く経っているものもあるのだと思う。でも、どれも少しも古びず、今ではかえってモダンに感じるデザインであったりする。細工も縫製もとても丁寧で、本当にたくさんの方々が心を込めて作られたことが伝わってくる。だからこそ、今でも問題なく着られるのだろう。

昔の和服は、肩にかけた時にずっしりと重みを感じる。それは、歴史と思いの重みを感じる瞬間でもある。お召しになった皆様は何を思いながらこれを身にまとわれたのだろうか。お母様はどのような思いでこのお支度をされたのだろうか。そんなことに思いをはせられるのは、とてもあたたかく、幸せな時間である。皇室は、守り、伝えていく場所なのだと改めて思う。

とはいえ、和服を着るのはなかなかハードルが高いもの。子どもたちにも和服に関心を持ってほしいと思い、心游舎で浴衣の着付けのワークショップを開催したことがある。オンラインだったので、画面越しに苦戦している様子が見えてハラハラしたけれど、モデルさんが一人でするすると浴衣を身に着ける様子を皆真剣に見つめていた。初めて一人で着られた子の満足げな笑顔が忘れられない。

彼女が将来自分で和服を着たいと言ってくれる日は来るだろうか。そのときは、和服にこめられた様々な物語を語り合えたらいいなと思っている。

常陸宮妃殿下から受け継いだ訪問着。高千穂神社にて。
撮影/永田忠彦
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彬子女王殿下

1981年12月20日寬仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。
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