大阪の繁華街にある癒しのスポット
400年近い歴史を持つ法善寺は、大阪ミナミの繁華街から路地に入った場所にあります。派手なネオンや喧騒とは違う、ほっとくつろげる静かな雰囲気が漂います。
法善寺と言えば全身を緑のコケに包まれた「水掛け不動尊(水掛け不動さん)」が有名ですが、これは1人の女性がすがる思いから、目の前の水をすくってかけたことが始まりです。それ以来願掛けと同時に水を掛ける作法が続いていて、お不動さんの近くにはバケツに入った境内の井戸の水が置いてあります。無くなると気づいた人が井戸から汲んでくれたり、拝む作法がわからない観光客には地元の人が教えてくれたりと、大阪の人情が息づいています。
谷崎潤一郞も贔屓にした名店「鶴源」とは?
実はこの法善寺は、織太夫さんのルーツとも言える場所です。法善寺北側の「法善寺横丁」と呼ばれる通りには、和食など飲食店が多数集まって賑わっていますが、元々は法善寺境内にあった参拝客相手の店が発祥なのだそうです。織太夫さんは、「三味線の初代鶴澤清六の娘の、鶴澤きくが法善寺の境内で商いをしていました」と話します。きくの生涯の伴侶となったのは、七代目竹本綱太夫。織太夫さんに繋がる系譜の先人たちは、代々この場所でお店を開き、七代目竹本綱太夫や四代目鶴澤清六の自宅もあったそうです。
きくが営んだ「カフェーリスボン」の跡地で天ぷら屋を営んだのは、きくのひ孫と結婚して婿入りした四代目鶴澤清六。この伝説の三味線弾きと呼ばれた人物が、『一の糸』のモデルです。三味線の腕は超一流で、人間国宝まで昇り詰めた名人の『鶴源』は名店として知られ、著名人に愛されたのだとか。今で言うミシュラン5つ星に匹敵するようなお店と芸を両立させるとは、凄すぎてピンと来ません。
「徹底的にやる人だったんでしょうね。三味線弾きとして活躍しつつ、自分で実際に天ぷらを揚げていたんですから」と織太夫さん。『鶴源』の鶴はきくの名字からで、源は七代目綱太夫の本名、櫻井源助から取り入れるなどネ—ミングにも本気を感じます。東京にまで評判は届き、「大阪へ行ったら『鶴源』の天ぷらを食べないと」と、言われるほどだったそうです。食道楽だった谷崎潤一郎や志賀直哉など、著名人もこぞって贔屓にしました。大阪一の名店として、その後東京に支店もできたそうです。
四代目清六は、先妻と死別した後に静という女性と再婚しますが、『一の糸』のヒロイン茜のモデルはこの女性。そして静の妹と結婚したのが、清六の弟子で織太夫さんの祖父の二代目鶴澤道八です。「昼は三味線のお稽古、夜は岡持ちとして天丼の配達をしたそうですよ」
代々の名人たちが眠る場所
法善寺境内の墓地には、初代、二代目の竹本綱太夫ら名人たちのお墓があります。そのお墓を大切に守ってきた織太夫さんは、今年令和の大改修として大がかりな整備を始められました。敷地を拡張し、腐食した墓石の箇所は削って磨き上げ、耐震補強もほどこしてと本格的な工事です。
「私の祖父師匠である豊竹山城少掾(とよたけやましろのしょうじょう)は、93年前に大がかりな整備をしていまして、『偲ぶ奥津城(おくつき)』という記録を残しています。その志を継ぐ思いですね」。代々の竹本織太夫、綱太夫を襲名した先人たちも、皆お墓を大切にして、整備してきたそうです。「かつてこの場所には、竹田出雲(たけだいずも)※が建てた芸脈に繋がる二代目竹本義太夫(初代政太夫)※2の墓もありましたので、いずれは、それも再建したいと思っています」と、織太夫さんの文楽の道を切り開いた名人たちへの思いは、とても強いようです。
小説『一の糸』で描かれる文楽の世界
『一の糸』は、新潮文庫から刊行された後、河出文庫で再文庫化されました。数多くの小説が誕生しては消えていくなかで、これは異例のことです。作者の有吉佐和子は残念ながら若くして亡くなりましたが、この作品はSNSなど口コミで人気が広がっています。
箱入り娘として育った茜が17歳の頃、文楽の三味線弾き、清太郎が弾く「一の音」の響きに心を奪われます。その感情は恋心に変わりますが、清太郎に家庭があったことから、思いを遂げることは叶いませんでした。紆余曲折のあと再会した時、清太郎は前妻を亡くしていて、独身を続けていた茜に求婚します。こうして結ばれた2人でしたが、様々な苦難が押し寄せるなか、芸一筋の清太郎を支える茜の姿が描かれます
「人間国宝になった時の60歳の写真がありますが、若々しくて俳優のようですよ」と織太夫さんは、モデルとなった四代目鶴澤清六について教えてくださいました。茜が恋い焦がれる描写から、読者は清太郎の魅力のとりこになっていくのですが、モデルも設定通りの素敵な方だったようです。
この小説は2人の恋愛が主軸になっていますが、清太郎が身を置く文楽の世界のことも描いています。「現実にあったことと、共通している場面は多いと思いますね」。有吉佐和子は伝統芸能に造詣が深く、また取材をして執筆していることから、当時の文楽の様子もリアルに反映させているようです。
物語の終盤、初老となった清太郎改め徳兵衛は、心ならずも文楽とは距離を置き、孤独な日々を過ごします。そんな中、有望な若手の太夫を指導して欲しいとの申し出をされます。明るくて素直な性格の春太夫は、徳兵衛のもとで稽古をつみますが、1年という予定だったのに、あまりの厳しい稽古のお蔭で予定通りには進まない様子が描かれています。
「私が『寺子屋』※3の稽古を師匠にしていただいた時は、最初の数行を語るのにも数時間がかかって、結局全て終えるのに1年かかりました。名人たちは皆この演目が一番苦しいと言っていましたね。1時間半ほどある語りのなかで、一行も抜くところがなくて、息ができるのは笑い声を出す場所だけなんです。語った後に、脳に酸素がいっていない感じになって、30分ぐらい正常な状態にならなかったこともあります」と織太夫さん。浄瑠璃を語ることの難しさや厳しさは、小説の世界のままのようです。
織太夫襲名お練りの思い出
平成29(2017)年、織太夫さんは、六代目竹本織太夫襲名にあたり、近隣商店街を練り歩くあいさつ回りをされました。「ミナミは生まれ育った街なので、地元への感謝の思いを伝えたかったのです」。国立文楽劇場を出発して、黒門市場や千日前道具屋筋、心斎橋、道頓堀と練り歩き、最後に到着したのが法善寺でした。
この大がかりなお練りは注目を集め、様々なメディアで報道されました。「お練りを行うための許可取りなどの雑事は、直前まで公演があったので自分ですることはできませんでした。段取りや指示は出しましたが、家族が引き受けてくれたお蔭で、無事につとめることができました」。幼稚園や小学校からの幼なじみの地元の友人たちのサポートも有り難かったと、織太夫さんは当時を振り返ります。
楽屋入り前にも手を合わせる、大切な場所
「ここはご近所さんですね」と、織太夫さんは親しみを込めて法善寺のことを言います。自宅から自転車を漕いで国立文楽劇場へ向う途中、立ち寄って水掛け不動さんに手を合わせる。これが日常のルーティンだそうです。
そして公演が千穐楽を迎え、無事に舞台を勤めた後は、名人たちへの報告とお礼のお墓参りも織太夫さんにとって欠かせない行事です。脈々と受け継がれてきたバトンを受け取った現役の太夫として、エネルギーをチャージする特別な空間のようです。
取材・文/瓦谷登貴子 取材協力/浄土宗 天龍山 法善寺、現代割烹 法善寺momo
竹本織太夫さん公演情報
令和6年度(第79回)文化庁芸術祭主催公演
国立文楽劇場四十周年記念
11月文楽公演 『仮名手本忠臣蔵』第2部に出演
※第1部は『仮名手本忠臣蔵』大序~四段目
※第2部は『靫猿(うつぼざる)』『仮名手本忠臣蔵』五段目~七段目
■期間:2024年11月2日(土)~2024年11月24日(日)
※休演日 12日(火)
■開演時間:第1部 午前11時開演(午後3時20分終演予定)
第2部 午後4時開演(午後8時30分終演予定)
■観劇料 1等8000円(学生5600円) 2等6000円(学生4200円)
通し割引(第1部・第2部セット)1等14000円
■会場 国立文楽劇場(OsakaMetoro「日本橋」駅下車7号出口より徒歩約1分)
公演の詳細な内容:日本芸術文化振興会
https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2024/611/
チケットの申し込み:国立劇場チケットセンター
https://ticket.ntj.jac.go.jp/
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