SHIHOの悩み「ベストショットを超える難しさ」
SHIHO いつも連載の監修をしていただき、ありがとうございます。横山さんから伺う禅の解説がわかりやすく素晴らしくて、深く学ばせていただいています。
横山 こちらこそ、いつも楽しい話を聞かせていただいて。SHIHOさんのInstagramも時折拝見していますよ。今日もさっきまで雑誌の撮影だったとか。
SHIHO はい。最近よく思うのですが、大体服を着て1カット目に撮ったものが最終的に選ばれるんです。いろんなポーズや表情などを試してみますが、私を含め皆が最初に「一番良い」と感じる写真が撮れてしまうと、その後の撮影では、どうしても1カット目を基準にポーズや表情を目指すようになっちゃって、そのショットを超えるのが難しくなってしまうんですよね。
横山 なるほど。
SHIHO でも必ずしもそういうときばかりというわけでもなくて、ベストショットのことは忘れて、もう一度まっさらな、新しい気持ちで臨むと最初よりもっと良くなる時もあって。あくまで自分の中での比較なのですが、その違いは意図的でいるか、それとも自由な発想で表現しているかのような気がしています。思考的なのか、心から沸き上がってきた感情の中にいるのかで、結果が違うんですよね。
横山 ご自分の内面的な部分の変化をしっかり自覚しておられるってすごいですよね。似たようなことを私も感じたことがあるんです。以前、曹洞宗の国際布教の一環で、北米やヨーロッパに滞在していたことがあるのですが(写真下)、スイスの山並みの中にある、まるでアニメに出てくるような山小屋で3日間ほど坐禅を組んでいたことがありました。休憩を挟みつつですが、朝から晩まで坐禅を組んでいたら、ある瞬間に、天と地と自分が一つになった感じというか、ワーッと心も体も入れ替わって楽になったような、もし悟りを得たとすればこんな感覚になるのかとさえ感じるような、すごい感覚になったことがありました。
「なんなんだこれは!」と思って、早速次の坐禅を組むのですが、もうその感覚は味わえないんですね。いつの間にか私の脳はさっきの感覚を狙おうとしているんです。
SHIHO 狙うとだめなんですね。
横山 そうなんです。あのとき、あの瞬間だったから味わえた感覚だったのでしょうね。曹洞宗の坐禅というのは、悟りを追い求めません。「悟り」を狙った瞬間にもうそれは坐禅じゃなくなるんです。坐禅という「執着」になってしまう。
SHIHO 執着というのは、欲望みたいなものですか?
横山 そうですね。私たちは「修証一如(しゅしょういちにょ)」といいますが、修行をすることと悟りを得ることとは別々のことではなく、一体なのだという教えです。
SHIHO 例えばゴルフをする時に、何も考えずに頭を空っぽのままにして先生から言われた通りにスイングすると、よく飛ぶんです(笑)。で、それを「うまくやろう!」とか「もっと飛ばそう!」とすると、うまくいかないの。ロボットのように何も考えずに打つ方がいいのかなって。
横山 何にせよ「思考」が自分の邪魔をする、ということがあるんでしょうね。
モデルとしての型、坐禅の型。
横山 とはいえ坐禅にも決められた姿勢、ポスチャーがあります。SHIHOさんはモデルとしてやっぱり一つの「型」のようなものがあるんですか?
SHIHO そうですね、ベースとしての型はありますしとても大事です。でも型にこだわって頭がそこに集中しちゃうと、ちょっと固く見えたり、作った表情になったりすることもあって。型にこだわると型を越えられないなと思います。
横山 非常に深いお話ですね。
SHIHO やっぱりその日その時その瞬間だからこそ、のものがあって。服を着て撮影現場に立った時にパッと見えるものがあるんです。自分の中に「これだ!」って、言葉にしにくいんですが、何か感じるんですよ。それをそのままカメラの前で表現すると、ショットが決まるんですよね。今日もまさに、そうでした。
横山 頭だけを働かせていても、頭で考えた通りにしか動けないということですね。何か土台となる部分があって、その上に心の面で何を積み重ねるかが大切だと。
SHIHO ベースに加えて、たとえばその雑誌の世界観や着こなし感も大切だし、そもそも写真ってカメラマンと自分の間の「空気感」が映るんです。もし、カメラマンが「これを撮りたい」というイメージを持ってくださっていると、それが伝わって、イメージや表現のコラボレーションができるんです。それがすごく撮影の面白いところです。それは、女性像の時もあれば、光かもしれないし、表情かもしれない。動きを求められることも。カメラマンによって求めることが違うので、そこが興味深く、現場において大切にしているところです。
SHIHOが禅に興味を持ったきっかけ
横山 事前に打ち合わせはするんですか?
SHIHO エディターの方から撮影のテーマを聞いて、用意された洋服によってヘアメイクさんがイメージの女性像を仕上げてくれます。カメラマンとは、求める感じは確認しますが、たくさん言葉を交わすというよりも、撮りながら阿吽の呼吸の中で創り上げていく感じでしょうか。はっきりとしたイメージがある場合は、私は楽なんですよ。そこに乗っていけばいいだけなので。でもイメージがないと、自分が考えないといけなくなるので(笑)。あと、写真は「光」で全てが決まる言ってもいいくらい。そしてシチュエーションと服と表現が合ってないと、やっぱりどこか違和感が出てきますよね。
あとは、雑誌の特集のテーマについても事前に尋ねるようにしています。雑誌には写真に文字が乗るので。表紙や扉のページでは、それをみてくださる読者の方の目線というか、第三者に「伝える」という感覚を持つようにしています。
そう考えると、やはり私の仕事はみんなとの「共作」なんです。エディターとカメラマン、スタイリスト、ヘアメイク、光とシチュエーション、モデルとしての表現が合わさった、全ての共作。その世界観がうまく一つになった時に、すごく良い写真が撮れるんですよね。
横山 すごく面白いです。我々は坐禅を通して思いの手放しをするんですよね。手放したうえで自分を見つめ直すというか、自分というものを外側から感じながら、そこから自分の生き方をどうするか、こういうことをしてみようとかっていうふうになっていくんです。でもSHIHOさんの場合は、モデルとしてのお仕事の中で自分を表現しつつ、そこにその時の自分自身が現れているわけですよね。
SHIHO 私もやっていていまも楽しいです。モデルの仕事は服が主役ですから。どんな女性がその服を着ていたら素敵なのか。それは私ではなく、理想の女性がいつもそこにいます。だから見たことのない表情や女性像が撮れると思わず嬉しくなっちゃう。
面白いのが、雑誌を見ていて他のモデルさんを見た時に、表情が生き生きしてよかったりすると、「あ、私生活が充実しているんだな」とかわかりますよ(笑)。いずれにせよ、私も30歳くらいから、いいパフォーマンスをするためには、体だけでなく心も整えておく必要性を感じたんです。ヨガや瞑想に興味を持ち始めたのもその頃からでした。
【続きます】