穏やかな時間が流れる六島ですが、年に一度開催されるお祭りはかなりアグレッシブ。「よーまっせ!」の掛け声と共に、物凄い速さで神輿を回します。その勢いは「ぶん回す」という表現がぴったり。遠心力で吹っ飛ばされる人がいるくらいの過激な回しを、島のいたるところで、さらには海の中でも行うのです。今回はそんな六島の伝統的なお祭りを取材しました。
神輿を回し、島の氏神様に感謝を伝える
六島のお祭りは、元禄5年創建より島を守り続けている氏神様「大鳥神社」に感謝を伝える神事。10月2週目週末に開催され、土曜日には宵宮(太鼓と獅子舞による神事)、日曜日に回し神輿が行われます。
※例祭は元々旧暦9月8日を本祭りとしていたが、島民が少なくなり、島外に住む帰省者にも協力を要請するため、数年前に10月の週末に変更
「島の各所で神輿を回す」という独特なお祭りですが、その起源や神輿を回す理由などは一切不明。島の高齢者やお祭りに詳しい方に歴史を聞いても「わからない。自分が子供だった60年以上前からやっていた」などといった反応が返ってきます。
そんな謎多きお祭りですが、神輿の回し方や回す場所、神輿を盛り上げる太鼓の演舞などは大事に引き継がれ、島の文化として定着してきました。
しかしこのお祭りはコロナ禍以降、5年間に渡り中止に。その理由のひとつは神輿の担ぎ手問題でした。
過疎化や高齢化が進む六島の人口は42人(2024年10月現在)。19歳未満2人、20代、30代はおらず、約70%が65歳以上という超高齢化社会であり、激しい動きを必要とする回し神輿を復活させる目途が立たなかったのです。
しかし2024年10月。数々の障壁を乗り越え、六島の回し神輿はついに復活を果たします。神輿の担ぎ手に手を挙げたのは、島内にあるブルワリー「六島浜醸造所」のSNS投稿を見て集まった島外の青年たち。遠くは東京から駆け付けた人々によって、六島の神輿は再び勢いよく回りだしたのです。
一度中止になってしまったお祭りを再開するのは、かなりの労力を必要とするもの。ましてや担い手たちが高齢になってしまった離島では、その難しさは跳ね上がります。
一体どのようにしてお祭りを復活させたのか、そこにはどのような想いがあったのか。祭り復活の旗振り人の一人である「六島浜醸造所」オーナーブルワーの井関竜平さん(以下:井関さん)にお話をお伺いしました。
過疎化、超少子高齢化の離島でのお祭り復活
井関さんが大阪から六島に移住したのは8年前のこと。祖母が住む六島に度々訪れる中で島に惹かれていき、移住を決意。そしてコンビニも居酒屋もない(ちなみに自動販売機や信号機もない!)離島で、クラフトビールの醸造を開始しました。
井関さんが六島に移住したきっかけのひとつが、この回し神輿。島に遊びに来ていた際にお祭りを見て、「六島の文化を守りたい」と思ったといいます。そして時を経て現在。その時の思いを実現し、お祭りを復活させる側の人間となったのです。
――お祭りを復活させよう、という計画はいつから動き出したのでしょうか
井関さん:復活させたい、という声は以前からありましたが、実際に動き出したのは昨年の秋くらいです。昨年はお神輿を境内の中だけで出したのですが、その際に「来年こそは!」という想いが青年団の中で高まっていって。
僕と、漁師である三宅さん、「六島の文化を残したい」という強い想いを持つアキさん(現在は島外在住)の3人が中心となって動き出しました。
――復活のためにどのようなことを行ったのでしょうか?
井関さん:まず本当に開催するのか否か、何度も話し合いを重ねました。担ぎ手はどうするのか、労力が必要な祭りの準備はどう進めるのか。クリアすべき問題はいろいろとありましたが、祭りの知識を持っている人が高齢化でどんどんと引退してしまっている現状を考えると、今復活させること、そしてそれを記録として残すことがとても重要だという結論になりました。
――今回、神輿の担ぎ手は島外から募集したんですよね。どのくらいの人が集まったのでしょうか?
井関さん:僕個人や醸造所のSNS投稿を見て、30人以上もの方が名乗りを上げてくれました。
――わたしも井関さんの投稿がきっかけで、今回お祭りに参加しました。大好きな六島浜醸造所のクラフトビール無料ってどういうこと?!から入って、六島ではおもしろいお祭りをやっているんだな、と、どんどん気になっていって…
片道7時間(神奈川から)かかるのでちょっと迷いましたが、それを凌駕するくらいビール×お祭りの魅力は強かったです。同じように、島外から来た他の方たちも、ビール関係の方々が多かったのでしょうか?
井関さん:そうですね。開業前に知り合った方々や、島で出会った方々など様々ですが、ビールきっかけで知り合った方が多く来てくださいました。
――島外から担ぎ手を募集することに、反対の声などはなかったのでしょうか?
井関さん:積極的な意見、消極的な意見など様々な意見がありましたが、本気でお祭りのことを考え、関わる人間の中にネガティブな意見を持っている人は誰もいませんでした。
――お祭り準備の中で、何が大変でしたか?
井関さん:のぼり用の竹を用意することが大変したね。険しい山の中をかき分けるようにして30分以上進み、7~8メートルの竹を複数本切り出しました。
それを担いで沢を下り、海へ。竹を漁船に結び付け、海に浮かべる形で集落へと運びました。
節を落としたり磨いたりして旗を通すのですが、のぼりを立てるのも4人がかりで。切り出すのも立てるのもかなりの力作業でした。
――今回のお祭りで大切にしていたことは何ですか?
井関さん:まずはお祭りを復活させること、そしてそれを記録に残すことを大切にしました。
人員や財源の問題などで、強い熱量の下、思いっきりお祭りを開催できるのは今回が最後の可能性もあって。この神事を写真や動画で記録し、そして伝えるということにも重きを置きました。
「どんだけまわすねん!」島で、海で何度も回る神輿
2024年10月13日。六島を愛する人々の熱い想いや行動によって、5年ぶりにお祭りは復活しました。
長きに渡り、島の人々が守り続けてきた「六島の回し神輿」。しかし島の存在すらあまり知られていないため、このお祭りについて検索してもほとんどその情報は出てきません。
ここでは記録を残すという意味も兼ね、その詳細をたっぷりとご紹介していきたいと思います。
祭り当日。海を臨む高台にある大鳥神社に、青年団や島の人々が集まります。ヤマトタケルを祀る本殿と奥の院、そして金毘羅さんにお参りし、お祭り開始。
まずは太鼓によって、獅子舞を目覚めさせる神事を行います。六島のお祭りの特徴の一つである太鼓。大人の太鼓と、子供の太鼓ぶち(太鼓を叩きながら舞い、ポーズを決める)による音色で、境内は厳かな雰囲気に包まれます。※本来は大人2名と子供2名(小学生以下)で行われる太鼓ですが、島に子供がいないため今年は異なる形で行われました
太鼓の叩き方は、なんと21演目。次々と変わる太鼓の音色に連動するように、獅子舞は目覚め、舞いだします。
その後、神輿の準備へ。六島には前浦(まえうら)と湛江(たたえ)という2つの集落があるのですが、どちらかの集落が太鼓を叩いている中で、もう一方の集落が神輿を境内から出し、回し、戻します。そして叩き手と担ぎ手を交代すると、再度一連の流れを繰り返すのです。
この儀式が終わり、御霊入れによって神様が神輿に乗れば準備完了。神輿を担いで境内を一周回った後、いよいよ六島の回し神輿が始まります。
回し神輿はものすごいスピードで神輿を回すため、神輿を離さぬよう、複数のロープが結びつけられています。
担ぎ手たちは右手でそれを掴み、左手で前の人の腰紐を握りしめます。そして「よーまっせ!」の掛け声と共に勢いよく神輿を回すのです。
その速さは「きっとこのくらい速いんだろうな」と想像していたスピードを遥かに超えるもの。この神輿は生きているのでは……!と錯覚するような躍動感で、上下に揺れながらぐるぐると回り続けます。
境内で回した後は、神輿を担いで海へと向かいます。砂浜からざぶざぶと胸の深さ位まで進んだところで、再び回しスタート。砂によって踏ん張りが効かない足元や、海水によって重くなった神輿のことなど関係ないかのように、担ぎ手たちは力強く神輿を回します。
海で清められた神輿は、集落へ。まずは前浦へと向かい、海の神様である恵比寿様の前をはじめ、集落内5か所ほどで神輿を回します。
前浦で回し終わった後は、もうひとつの集落である湛江へと向かうのですが、この移動がまた特徴的。大漁旗と笹を付けた船に神輿を乗せ、海の上をぐるぐる走り回りながら進むのです。
お祭りに用意されていた船は2隻。1隻には太鼓と叩き手が乗り込み、神輿の乗った船を先導します。
鳴り響く太鼓の音、そして太陽の光に輝く神輿。船はそれらを乗せて、高速で波をかき分けるようにして前浦の海を時計回りに3周。そしてその後湛江へと向かいます。
湛江の沖合に到着すると、そこでまた3周大きな円を描くように回り、湛江へと入港。その後前浦と同じく、集落内5か所での回し神輿が始まります。
戻る際も来た時と同じように、湛江の海を3周、前浦の海を3周。美しい海をびゅんびゅん駆け抜け、複数の円を描きながら集落間を移動し、前浦へと向かいます。
集落間を移動し、各所で神輿を回すこと数時間。再び前浦に戻ってきた神輿は大鳥神社へ向かいます。そこで最後に「これでもか!」と神輿を回し、神輿を奉納。
午前中から始まり、夕方まで。島の至る所で声を張り上げ、全身全霊で神輿を回し続けた六島の回し神輿は、これで幕を閉じるのです。
つなぎ、残す島の文化
祭りが終わり、とっぷりと日が落ちた後。前浦の波止場でお祭りの慰労会が開催されました。通常、居酒屋や食堂がない六島では公民館で宴会を行うことが多いのですが、今回は多くの人が参加しているため野外で開催。
波止場前の広場を電球が色どり、島で採れたワタリガニや野菜、美味しそうなオードブルがずらりと並びました。お酒はもちろん、今回多くの担ぎ手が島に来るきっかけになった、六島浜醸造所のビール。
この祭りのため、島までやってきた担ぎ手たち。島外から戻ってきて、地元の祭りを楽しんだ帰省者。そして長きに渡り、歴史や文化を守り続けてきた島民たち。
多くの人々が「はじめまして」の中、同じビールで乾杯をし、六島の回し神輿について盛り上がる……皆のキラキラとした笑顔を見ていると、今後の六島のお祭りの「新しい形」が見えてくるような気がしました。
時代が移りゆく中で、文化をつなぎ守っていくということ。その一端をこのお祭りでは見せてもらったように感じます。
今後、回し神輿がどのような形で続いていくのか。来年以降も注視していこうと思います。