勤、はいいとして、怠、って何じゃいな。仕事していなければ、それすなわち怠けている、とでも? 欠勤の理由なんていろいろあるし、出勤していたって勤務時間中に怠けている手合いが「怠」にならなくて「勤」にされるのも癪に障る。
あー、うんうん、ちょっと落ち着こうか。決めつけはよくない。ちゃんと意味を調べて、裏取りをしてから言おう。
――と、いう脳内やり取りがあったので、ちょいと調べてみたのである。「勤怠」とは何ぞや。なぜに「勤」の対義語が「怠」なのか。
勤怠とは? まずは意味を調べてみる
まずは、「勤怠」という単語を辞書で調べてみた。
なお、勤怠=勤惰として、詳細がそちらにしか書かれていない辞書については、勤惰の項目から引用している。
仕事に励むことと怠けること。また、出勤と欠勤。勤惰(きんだ)。(『デジタル大辞泉』)
仕事にはげむこととなまけ怠ること。出勤と欠勤。出席と欠席(『日本国語大辞典』勤惰の項より)
努めることと怠ること(『角川類語新辞典』)
精を出すことと、なまけること。(『新選漢和辞典 Web版』)
ああ~やっぱり~! なんで? 何でだよ!? 仕事を休んでる=怠けてる、じゃないじゃん! (多くは)正当な権利の行使なのに! これも高度経済成長期から引きずっている価値観なのか?
なんて、怒りに任せて思ったのだが。
実はこれ、まことに長い歴史を持つ言葉らしい。なんと、神亀4(727)年『続日本紀』にこの単語がすでに見られる(二月甲子「巡監国司之治迹勤怠也」)。うーむ、そうか。もう少し深掘りしてみるとしよう。
「怠」の漢字の意味
そうすると、そもそも「怠」の漢字に別の意味があるのではないか。という仮説のもと、再び辞書の海にダイブ!
おこたること。なまけること。無気力であること。また、職務上の過失・失態。(『日本国語大辞典』たい(怠)の項より)
おこたる、なまける、ゆるむ。あなどる、あきる。おとろえる、くずれる、あやうい。(『字通』(怠)の項より)
なまける。たるむ。つかれる。ばかにする。病気が少しよくなる。つみ。おわび。(『新選漢和辞典 Web版』(怠)の項より)
ほう? 「病気が少しよくなる」なんていう意味もあったのか。それにしても、全体的にマイナスなイメージばかりである。
再びよみがえる、ムカっ。休みをきちんと取らないほうが仕事の効率は下がるし、費用対効果だってダダ下がるんだぞ! 生きていくために仕事をするんであって、仕事をするために生きているんじゃないんだぞっ!!! 仕事に真摯に取り組むためにも、休みはものすごく重要なんだぞ!!!(おーい、落ち着きたまえよ……。)
あ、待て待て、こんなのがあった。
『新選漢和辞典 Web版』と『字通』の解字の項、「気がゆるむ」。
ん? 「気がゆるむ」?
案外、こちらの意図がもとは強かったんじゃないのか?
と、思うが、そこもまた裏取りをする必要がある。
真実やいかに。
ちょっとブレイク。AIに聞いてみた
今はやりのAIに、「勤怠」という単語について聞いてみた。
―― なぜ「勤怠」は欠勤のことを「怠る」と表すのか。
AI:「怠る」は業務において「職務をきちんと果たさないこと」を指しマス。勤務時間に仕事に集中しないこと・与えられた仕事をきちんとこなさないこと・そもそも職場にいないこと(欠勤、遅刻、早退)などが「職務怠慢」の具体例とされマス。
―― 正当な権利としての「休日」も「怠る」とされるのは違うのでは?
AI:「勤怠」という言葉はもともと漢文由来で、二つの対極的な状態を表すものデス。職務を果たすべき時にそれを果たさない状態を広く指すもので、言葉が成立した時代においては「働くか、なまけるか」という二元論的な視点が強かったと考えられマス。
―― その根拠となる資料を提示して。
AI:それは無理デス。一般論なのデス。辞書や論文を参考にしていますデス。
―― では、参照元の一部を提示して。
AI:だから無理デス。
―― うーん、具体的な参考文献を挙げられないと、信頼性を疑われちゃうよ? ま、いっか。では最後にもう1つ。
―― おおAI、あなたはどうしてAIなの。
AI:私は●●●によってトレーニングされた、大規模言語モデルです。
あ、駄目だ、この類いのジョークにはまだ対応してないのね。ゴメンネ、ふざけて。
ならば、詳しい人に聞いてみる
閑話休題。
図書館で辞書事典類をどれだけあさっても、答えは出てこなかった。
案外、AI君の言う「言葉が成立した時代においては、働くか、なまけるかという二元論的な視点が強かったと考えられマス」というのが正解な気もする(江戸時代までは決まった休日などがあるわけではなかったと聞くし)が、「そうかもしれない」を即座に「そうである」と判断してはならない。
ということで、日本史に詳しい編集部アドバイザーにお聞きしてみた。
基本、江戸時代まで休日という概念はなかったですよね。
あ、やはり。悪意や仕事至上主義から出ているとかではなく、そもそもの根本概念が違ったんですね。
私もAIで調べてみたんですが、「しかし、この言葉が会社や規則が存在しない大昔から使われてきたことを考えると、『勤(いそ)しむか怠けるか』という二元的な表現が自然だったのかもしれません。」と出てきました。
AIの言うように、勤はイコール働くではなく、何かに勤しむ、何かに一心に取り組むという意味ではないでしょうか。それに対して、何もしないこと、心がゆるんでいることを怠の文字で表しているように思いました。
ふむふむ、なるほど。そういう視点なのかもしれない。
いずれにしても、「勤怠」は非常に長い歴史を持つ表現であり、決して「仕事をしていないヤツいねがあ!」とか言いたいわけでもなく、ただ淡々と「仕事しているか・していないか」と、特段の感情を含まずに表しているものらしい。
そうすると、「正当な権利としての休日」とか言っていられる現代は、ずいぶんと恵まれているのかもしれない(もちろん、江戸時代までとは業務形態が変わったということもあるかもしれないが)。
これからは「勤怠」に腹を立てるのではなく、感謝しながら生活していこうと、そんな風に思ったのであった。
アイキャッチ画像:歌川(五雲亭)貞秀画 「横濱商館真圖」メトロポリタン美術館より
参考文献
・『デジタル大辞泉』小学館
・『日本国語大辞典』小学館
・大野晋・浜西正人『角川類語新辞典』KADOKAWA
・『新選漢和辞典 Web版』小学館

