見た目は人魂。
光を放ちながら空を飛ぶ謎の光り物「金霊」という伝承がある。そのまま読むとちょっといかがわしい感じがするが、正しくは金霊(カナダマ)と読む。
光を放ちながら空を飛び、家のなかに入ると、その家は裕福になるという。家から家へと移動する気まぐれな幸運のシンボルといったところだ。
金霊にまつわる伝承をまとめると、それはランプのように青白く(あるいは赤く)光り、うなりを生じながら飛び、火の玉のようでもあり、空から落ちてくる隕石のようでもあるらしい。どんな色と形をしていても、金霊が入った家は栄えるが出て行った家は没落する、というところはみな共通している。
そんな伝承が関東から近畿におよぶ広い範囲で伝承されているのだが、実態はあまり知られていない。なにせ知名度の低い伝承なのだ。
金霊≠ザシキワラシ
金霊の特徴を聞けば聞くほど、なにかによく似ていると思わないだろうか。そう、言わずと知れたザシキワラシである。
ザシキワラシ伝承は、もっぱら子どもの姿で現れる。それが家に入ると富み栄え、家から出ていくとその家は没落する。このあたりは金霊とそっくりだ。となるとザシキワラシ伝承が時の経済状況の影響を受けて金霊へと変化していったと想像したくなるが、じつは金霊はザシキワラシよりもはるかに古い伝承だったりする。
ところで、ザシキワラシはいまや国内随一の知名度を誇る怪異だが、かつては東北のごく限られた地域のみで語られるマイナーな伝承だった。
ザシキワラシを一躍有名にしたのは柳田國男の『遠野物語』で、この著名な民俗学者がザシキワラシについて書くついでに金霊について一行でも触れていたら昨今の金霊の扱いはかなり変わっていただろうなと、ごく個人的に私は胸を痛めている。
存在感のあるザシキワラシと比べたら、金霊なんて光っている以外はたいして特徴もないただの玉にすぎない。メディア受けしないせいか、今なおザシキワラシの影にかくれて空中をふらふら漂っている。
とはいえ、私は日の目を見ない妖怪・伝承の類が好きなので、むしろ金霊のきわめて稀な「在り様」が特別に感じられておもしろいのだけれど。知名度を上げるためにも、まずは金霊がどんな伝承なのか古い文献を開いてみよう。
金霊というお金の妖怪
金霊がザシキワラシに勝っていることといえば、先に述べたようにザシキワラシよりも早く記録に現れているということくらいだ。それでも江戸時代の文献にちょこちょこ登場しているあたり、当時の知名度はそこそこだったらしい。
滝沢馬琴『兔園小説』
滝沢馬琴『兔園小説』に、こんな話が紹介されている。
乙酉の年の春、丈助という男が早朝、苗代を見ようと外へ出ると青天に雷のような響きがあった。驚いて駆けつけると穴があり、なかには光る鶏卵のような玉があった。丈助は名玉を手に入れたと家に持ち帰り、人々に見せてまわった。家は少しずつ栄えていったので「丈助もよろこびていよゝ秘蔵しけるとぞ」とのことである。
山岡元隣『古今百物語評判』
江戸時代前期の文人・山岡元隣による怪談本『古今百物語評判』には、うなり声を発しながら空中を浮遊する銭の精「銭神」が登場する。
話によると、それは「たそがれ時に薄雲のやうなる物の気、一村其声をなして、人家の軒だけをざざめきわたれり」。不信に思い、刀で切ると「銭多くこぼれ落つる」とある。ならば銭神をおいかけておこぼれを頂戴しようと思うのが欲深き人の性だが、どうにも拾えない。というのもこれは銭の精で「空中にたなびく物なりけらし」なのだという。
江戸時代の鉱山書『山相秘録』
『山相秘録』によれば「金魂(金霊)」というのは黄金の精で、なおかつ地中に埋められているという。そして土の中より「砲火を上るが如く」「開いて花形を為し」空中に消え、稀に飛び去るという。ここでは、金霊は砲火に似ているが火の光とはまるで別ものであると記されている。
空飛ぶ貨幣
黄金の精とか、銭神とか、光る玉だとか、ささやかな違いはあれど金霊が貨幣に関係するものであることには変わりない。でも、絵に描いた餅ならぬ空に浮かぶ銭ではお腹が膨れないので、飛んで行ってしまうというのはなんとも残念なことである。
この時代に流通していた貨幣が寄り集まって町の空を、人と人のあいだをふらふらと風に乗るみたいに飛んでいくさまは、まさにお金の流れそのものといった雰囲気。夢もあるが現実味もたっぷりで絵としてもかなりのインパクトがある。
もとの根性が悪いせいか、箒の穂先がお金に届かない情けない姿を眺めていると、お金というのはいつの時代も指のあいだをすり抜けていくもので、集めても集まらないものなのだなあ、と皮肉のきいた絵にも見えてくる。箒でかき集めようとしているあたり、すごく人間らしい。
江戸が生んだフォークロア「金霊」
それでも空飛ぶ貨幣には夢がある。そのせいか、金霊は火の玉ではなく貨幣そのもので描かれることがけっこうあった。そしておそらく、金霊はほんとうに貨幣のメタファーだったのだ。
金霊が家に入るとお金持ちになり、出ていくと貧乏になるというのは言葉通りで、金霊のことを貨幣そのものの移動として当時の人はとらえていたのかもしれない。
ものの本によれば江戸時代、金貨を使用していたのは江戸とその周辺地域に限られていた。それ以外の場所ではもっぱら銀貨が使われたという。金霊伝承が報告されている地域は関東と東海地方、なかでも東京での事例がひときわ目立つ。
じつは金霊は江戸で生まれたフォークロアだという説があって、私も密かにこの説を支持している。
江戸時代も後半になるとお金を持った町人たちが吉原で豪遊したり、全国各地で公認の富くじが興行されるようになり、貨幣は金霊のごとく空を飛び交った。成功と没落、裕福と貧乏がシーソーみたいに都市の中で繰り返されていたのだろう。
なかにはお金が火の玉よろしく跡形もなく燃え尽きてしまった人もいたにちがいない。そういう意味では、空を飛ぶ貨幣「金霊」は江戸が生んだ、都市ならではのフォークロアといえる。
【参考文献】
『復刻 日本科学古典全書4』1978年、朝日新聞社
『続百物語怪談集成(叢書江戸文庫24)』1993年、国書刊行会
『日本随筆大成(第二期)』1973年、吉川弘文館
小松和彦(編)『日本人の異界観』2006年、せりか書房