そんな扇子を見せてください、というお願いに答えてくれたのが、日本舞踊尾上流四代家元の尾上菊之丞(おのえ きくのじょう)さんです。名作舞踊『二人椀久(ににんわんきゅう)』で使われる扇子をご紹介くださいました。
三代目尾上菊之丞 おのえ・きくのじょう
名作とともに、受け継がれる扇子
——さっそくですが、菊之丞さんの「特別な扇子」を見せてください。
尾上菊之丞(以下、同じ):
舞踊『二人椀久』で椀久を踊るときに使う、こちらの扇子です。

——『二人椀久』といえば、歌舞伎や日本舞踊で人気の演目ですね。
長らく上演が途絶えていたものを復曲するかたちで、祖父の初代尾上菊之丞が、1950年代に長唄舞踊として発表しました。その後、五代目中村富十郎さんをはじめ、今でも多くの歌舞伎俳優や舞踊家により踊られて、祖父の代表作となりました。
祖父が『二人椀久』を初演するにあたり、日本画家の前田青邨先生が衣裳のデザイン画と扇面を描いてくださり、それを元にこしらえた衣裳と扇で祖父は椀久を踊ったんです。父(尾上墨雪。二代目菊之丞)も私もその拵え(衣裳・化粧)、小道具や舞台美術、演出に至るまで祖父の型を受け継いでいます。

——デザインはシンプルですが、グラデーションのじんわりした淡さに不思議な余韻があります。
椀久の前に現れた松山は椀久が見る夢かうつつが幻か。意識が判然としない感じを抽象的に……とロジカルに読み解くのもナンセンスですが(笑)。要(留め具)の向きから言えば浅葱色の面がこの扇の表ですが、シーンやポーズによって赤紫の面を表にして持つこともあります。
——同じデザインの扇子が、いくつもあるのですね。
舞踊で使う以上、消耗は避けられません。なかでも『二人椀久』は、激しく扇を使う演目なので、新調するたびに絵描きさんに元のデザインを写していただくのですが、そこに少しずつ違いが出てきます。浅葱や紫の濃淡やぼかしの雰囲気が違い、それぞれに良さがあります。

Check!! 舞踊『二人椀久』について
日本画家と日本舞踊家が育んだ名作舞踊
——前田青邨といえば日本画の大家、院展の重鎮です。
前田先生は、六代目尾上菊五郎の後援者でもあり、菊五郎劇団の舞台美術も手がけていらっしゃいました。尾上流は、六代目菊五郎が創設した流派ですので、そのご縁もあり、祖父にもお力添えくださる関係に。

当時、新橋の花柳界は、文壇や画壇の頂点に立つ方々が集う場でした。芸者衆のハレの舞台『東をどり』では、川端康成や谷崎潤一郎にはじまり、北条秀司、久保田万太郎が戯曲を書き、舞台美術は横山大観、竹内栖鳳、そして前田青邨といった、僕からしたら歴史上の人物のような先生方がご後援くださいました。尾上流は、祖父の代から新橋芸者衆の踊りを指導しています。今では考えられないほど、豊かな文化の交流がなされていたのでしょうね。

——そしてこちらが『二人椀久』の衣裳のデザイン画ですね。現在、舞台で見る椀久のビジュアルとほぼ同じです。右下に書かれた文字は……。

“金銀箔は「もみ」でも可”。前田先生からのメモ書きです(笑)。前田先生は、すでに日本画壇のトップの方でした。でも決して美術品としてではなく、あくまで舞踊作品を創るためのやりとりの中で、描いてくださった絵だったのでしょう。

そのようなわけで、絵を四つ折りにしたあとまで残っています(笑)。尾上流には、前田先生にゆかりのものが多くありますが、残念ながらどれも、お宝としての価値はそう高くないのかもしれません。でも尾上流にとっては大切なもの。扇面もこの絵も、後になって「あ!」と気がついて額装しているんです。

椀久は、別格に“重い”
——数ある扇子の中から、『二人椀久』の扇子を選ばれた理由をお聞かせください。
『二人椀久』は尾上流を代表する演目であり、自分自身にとっても憧れの強い作品だからです。

——この作品にどのような魅力を感じますか?
まず圧倒的に曲が良い。この世界に没入できる仕掛けが、たくさん作られています。また、日本舞踊の「狂乱もの」は、女性の主人公がほとんどですが、『二人椀久』は男性の物狂いです。“狂い”はある種の躁うつ状態で、役が踊ることに無理がないんです。小難しい解釈をする必要もなく身体が動き、幻の松山を見て没頭できる。体力的には大変ですが、現実とは少し離れたところへ心を持っていける、踊る楽しさのある作品だと思います。

——観る側だけでなく、踊る人をも惹きつける理由が見えてきた気がします。
でも、もし祖父の代表作ではなかったら、僕は『二人椀久』に、ここまで執着しなかったかもしれません。
——それは、「家の芸」や血の繋がりがあるからこその愛着だったとか?
DNAが反応するとか……。いや、一番大きく影響したのは、周りの熱量ですね。僕が生まれる前に初代は亡くなりましたので、僕は初代から、直接教えを受けることが叶いませんでした。それだけに初代のお弟子さん、父、天王寺屋(中村富十郎)さんなど、初代を知る方々は熱心に、僕に初代の芸や思いを伝えようとしてくれるんです。初代の思いを、僕がどこまで受け取れているかは分かりません。でも周りの方々の「伝えよう」という熱量は、間違いなく伝わってくる。その思いが、重い。冗談ではなくヘビーなんです(笑)。他の演目と比べて別格に重かったのが、『二人椀久』でした。

——周囲の期待に応えて、椀久を意識するように。
そして、それが嫌でもありました(苦笑)。「家の芸」がある皆さんは、少なからずそのような経験をされているのではないでしょうか。
僕が踊りを始めたのは、周りの期待を感じたからです。物心がついた頃から、「踊りをやってね」「がんばってね」「楽しみにしてるよ」と声をかけていただきます。子どもながらに大人たちの期待を感じ、「ハイ!」と答えてニコッとする。でも本心は、また別にあるんですよね。歌舞伎俳優や舞踊家の中には、子どもの頃からお芝居や踊りが大好きで、という方もいらっしゃいます。でも僕は天邪鬼でしたから、周りの期待が嫌でした。天邪鬼だから嫌だったのか、重圧を感じて天邪鬼になったのかは分かりませんが(笑)。

——でも『二人椀久』は、嫌いにはならなかった。
やはり素敵な作品だと感じ、「皆さんが憧れるのも分かるな」と思えたのでしょうね。いくら家に所縁の作品でも、魅力がなければ途絶えてしまうかもしれません。この先も、多くの方に憧れていただき、踊っていただける作品として受け継がなくてはいけない。そのためには、まずは僕が踊れなくては話になりません。この先、僕が拵えをして踊る機会は減っていくと思います。舞踊家としては、やはり(衣裳や化粧なしの)素踊りに重心があるからです。ですが『二人椀久』だけは、生涯この衣裳で、あの拵えで踊ろうと思っています。

さらに意外なビッグネーム登場!
——菊之丞さんは2011年に四代目家元となり、三代目菊之丞を襲名されました。ご襲名の祝い扇は、どうされたのですか?
万寿菊がデザインされた扇子を、金子國義先生に描いていただきました。

——あの金子國義先生ですか!? 女性や「不思議の国のアリス」をモチーフに、アバンギャルドな画風で知られるアーティストですよね。このような絵も描かれていたのですね。
実は、金子先生の最初のデザイン案には、女性が描かれていたんです。でも、その女性の顔がどこか自分に似て感じられまして(苦笑)、「大変申し訳ないのですが、万寿菊だけの方が好きかもしれない」とご相談を。お茶目なお人柄の先生ですから、「誰の絵だか分からなくなっちゃうよ?」なんておっしゃいながらも、今のデザインに仕上げてくださいました。
襲名披露舞踊会(2011年京都南座)にて、右から狂言師の茂山逸平さん、菊之丞さん、金子國義さん。
——素敵な扇子ですし、意外な組み合わせが面白いです!
後から知ったのですが、金子先生は、日本画や舞台美術からキャリアをスタートされたそうです。襲名披露の会では美術もお願いしました。「また古典の舞台に関われて嬉しい」と喜んでくださいました。

——最後にあらためて、舞踊家の菊之丞さんにとって扇子とは?
日本舞踊家にとって扇は最も大切で、この一本で神を感じ、あらゆるものを表現する唯一無二の道具です。他には代えがたいものという意味では、命のように大事なものではないでしょうか。身体の一部にしなくてはいけませんし、手から離れ、扇子自体が浮いたように見える表現をすることもあります。
先ほど「扇子は消耗する」とお話しましたが、決して消耗品という意識で手にすることはありません。子どもの頃、うっかり扇子を跨いでしまった時には、とても厳しく怒られました。「大事にしなくてはいけない」と教えられて育ち、この年齢になり、その大切さを実感できるようになった気がします。舞踊家の精神性を表すものであり、扇子を依り代に神様がエネルギーを送ってくれる。扇子があるから、自分は清らかな光を放ち踊ることができる。大げさに聞こえるかもしれませんが、そのような感覚です。

関連情報
日本舞踊キャラバン
2025年9月13日(土)京都公演 祇園甲部歌舞練場
2025年12月21日(日)広島公演 JSMアステールプラザ 大ホール
※尾上菊之丞さんは、京都公演に出演します。
https://nihonbuyoucaravan.com/
尾上菊之丞・茂山逸平 二人会「逸青会」
2025年9月27日(土)~28日(日)
セルリアンタワー能楽堂
https://www.ceruleantower-noh.com/lineup/2025/20250927.html
和樂web内の尾上菊之丞さんの記事はコチラから

