Culture

2025.12.29

なんのために踊りますか。日本舞踊の尾上菊之丞×石見神楽の神田惟佑、伝統文化の“隣の芝生”

天照大神が岩戸に隠れてしまい、踊りで誘い出したのが、神楽の起源だと言われています。そして島根県西部の石見地方の郷土芸能「石見神楽(いわみかぐら)」は、室町時代には神社の神職により舞われ、明治以降は土地の人々の手により受け継がれてきました。

そんな石見神楽のチーム「万雷(ばんらい)」を迎え、詩楽劇『八雲立つ』を構成・演出し共演するのが、日本舞踊尾上流四代家元の尾上菊之丞(きくのじょう)さんです。万雷をプロデュースする、MASUDAカグラボ理事長の神田惟佑(ゆいすけ)さんと、日本舞踊家の菊之丞さんが、お互いの芸能への思いを語りました。それぞれの「ないものねだり」と、お互いを結びつける瞬間とは。

ちょっと怖い人たちかも

——初共演は、2022年に京都の先斗町歌舞練場で上演された、『魂神楽(みたまかぐら)』でした。お互いの印象は?

神田惟佑(以下、神田) 脚本の戸部和久さんから「菊之丞さんと文楽の竹本織太夫さんに入っていただく」とうかがった時は、自分たちがそんなトップでご活躍の方々とご一緒できる世界線があるなんて、と。緊張もありましたが、京都の先斗町歌舞練場の稽古場で初めてお会いした菊之丞さんは、大変物腰柔らかく、しかも石見神楽に対してリスペクトももって接してくださって。

真ん中で踊るのが、菊之丞さん。2022年3月に先斗町歌舞練場で上演された『魂神楽』。

尾上菊之丞(以下、菊之丞) 先斗町歌舞練場は、僕にとってはホームです。でも稽古場に集まった青年から壮年にかけての逞しい男子たちを前にしたときは、正直「ちょっと怖い人たちかも」と思いました(笑)。いざ実際に演舞をみせていただいたところ、全員の息がしっかりと合っていた。郷土芸能って、もっと野性味があり、洗練よりも粗削りなエネルギーで舞うイメージがあったんです。お稽古が大変行き届いていることに驚きました。

神田 我々、万雷は、島根県益田市内の神楽社中から選抜した若手メンバーで結成したチームです。石見神楽の知名度を上げるべく県外での活動を広げていますが、『魂神楽』では、菊之丞さんをお迎えする以上、我々が中途半端ではいけないと、いつも以上にお稽古をして先斗町に乗り込んだんです(笑)。

菊之丞 体の使い方、扇子の扱いの違いと共通点を確認して、もう1回見せてもらったら、自分が入っていけそうな動線も想像できた。すぐにでも一緒に踊りたくなりました。

神田 その年の大晦日には、東京国際フォーラムで上演された詩楽劇『八雲立つ』の初演に呼んでいただいたんですよね。今度は、菊之丞さんから「タンゴにあわせて、石見神楽の『大蛇(おろち)』をできますか」とリクエストが。もちろん初めての経験でしたが、節があり拍子のとれる音楽であれば、さほど違和感なく乗っかることができた。それが菊之丞先生の演出の中で、作品として一つにまとまっていく。これが話に聞く「芸能という共通言語」の感覚なのかと。石見という限られた地域から表に飛び出して得た、大きな経験でした。

石見神楽の代表的な演目のひとつ、『大蛇』。胴体の長さは最大17mになる。詩楽劇『八雲立つ』初演の舞台より。

土地に根付く神楽と、伝統の古典の舞踊

——2022年の『八雲立つ』の前に、菊之丞さんは一度、島根県石見を訪れたそうですね。

菊之丞 はい。神田さんのお宅は神社で、その舞台で石見神楽を拝見したんです。その時に、石見神楽はその土地の生活の中にあるんだなと改めて実感しました。感激したのは、最前列で地元のお子さんたちがステージに手をつき、食い入るように見ていたことです。

神田 かぶりつきでね(笑)

奉納の季節になると石見地域の神社では、秋まつりの前夜祭として、石見神楽が夜通しで舞われます。

菊之丞 石見の皆さんには当たり前の光景だから、特別気に留める様子もなかったけれど、我々の主戦場たる劇場では、まずできないことでしょう!? ご見物が自由に動き回ったり舞台の面に手をついていたら、劇場の係の人が飛んできて注意され、場合によっては退場処分です。しかし石見神楽の舞台では、子供たちが好きなように動き、舞台に乗り出すように観ていた。これが素敵だと思った。僕らは洗練されすぎているのかもしれない。劇場での演者とご見物の距離感とは異なる一体感を羨ましく思いました! 

神田 郷土芸能というと、「もう年寄りしかおらんのじゃ」といった地域も多々ありますが、ありがたいことに今のところ、石見神楽には、後継者となりうる子供たちが入ってきてくれています。石見地域の子どもたちにとって石見神楽は、幼い頃から観て憧れ、大きくなれば一緒に踊れるコンテンツ。イベント会場でヒーローショーと石見神楽があれば、石見の子どもたちは石見神楽に集まるのだとか(笑)。

菊之丞 素晴らしいな。僕自身、日本舞踊とヒーローショーなら、ヒーローショーに行ってしまう子どもでしたから(苦笑)。

神田 それでも菊之丞さんは、幼い頃から舞踊の稽古はされてきたわけですよね?

菊之丞 そうなんです。日本舞踊に全然興味はないけれど、父に稽古をつけてもらうことに抵抗はありませんでした。生活の一部として疑問を持つことはなく、どこの家でも何かしらの稽古はしているのだろうと。

神田 ハハハ。やりたいかと聞かれたら?

菊之丞 やりたくなかった(笑)。また、歌舞伎座を始めとした劇場にも、しょっちゅう連れていかれるわけです。とにかく興味がないから、劇場は蕎麦を食べに行くような場所で、客席で居眠りをしては隣の父や母から肘鉄をくらうという有様でした。でもある時、中村富十郎さんの舞踊『船弁慶』を観て、「こんなにも勇ましくかっこいいものがあるのか」と。あの衝撃は鮮明に覚えています。神田さんは、やはりお家が神社でいらっしゃるから?

神田 そうですね。石見地域では、神社のお祭りといえば神楽。祖父が神主で、物心ついた頃から当たり前のように神楽に触れていました。子どもの頃は、放課後に同級生たちと、当時の神楽団体の代表さんのお宅に勝手に集まり、庭にござを敷き太鼓や道具を引っ張り出して、畑から帰ってきた代表さんに「お前ら全然違うわ」と笑われながらも、見よう見まねで覚えていくものでした。

石見神楽で使用される面。職人の手により和紙をはり重ねて作られている。

菊之丞 でも中学・高校生くらいになると、ふと「なぜこれをやらないといけないんだ?」となりませんか? そして部活や受験勉強に打ち込むようになり、お稽古事から離れていく子が非常に多い。でも神田さんたちのチームには、若い年代の子たちも結構混ざっていました。

神田 地元の高校の石見神楽部の部員です。彼らは神楽が好きで、神楽をしたいから部活に入り、3年間かけて皆で切磋琢磨していく。「好き」が前提で参加していますから、基本的に「やりたい」子しかいません。指導にあたっていても、こちらの話がよく響きます。

菊之丞 強制ではない上に憧れる先輩や切磋琢磨する仲間がいるなんて、楽しいだろうな。ちなみに神田さんが、石見神楽に一気にのめり込むようなきっかけは?

神田 10代の頃ですね。WOWOWで、石見神楽大会の初のTV放映があったんです。地元の電気屋さんに頼んでVHSに録画をしてもらい、それを仲間の家で皆で何度も観ては「あれがいい」「これがいい」とやりました。あの経験は、一つのきっかけかもしれません。

Check!! 日本舞踊と石見神楽、その題材は?

日本舞踊
江戸時代に創られた古典作品では、当時の風俗や人の姿、街の風景などが描写されている。中でも廓の情景や男女の恋物語は人気の題材。能狂言や国外の題材、現代ではアニメなど、時代ごとにあらゆるものを題材にしている。

石見神楽
日本の神話や『古事記』を題材にした演目が多い。戦後GHQにより皇国史観の強い演目が禁止され、『紅葉狩』『大江山』など能を題材にした作品が創られた。現在も、創作神楽や新演出が生まれている。

菊之丞さんと神田さんの、ないものねだり

——お互いの芸能に触れ、「ここは違うな」と感じたところはありますか?

菊之丞 日本舞踊はプレイヤーであれお師匠さん業であれ、生業(なりわい)なんですよね。劇場でもお稽古場でも、そこにはお客様やお弟子さんがいる。その意味で日本舞踊家は、自分の表現を追求するために踊る芸術家であるよりも、演出家やご見物の要求とご期待に応える職人であるべきだと思っています。だからこそ神に捧げる、祈りの中で綿々と続いてきた郷土芸能としての神楽の純度の高さに憧れる。少し卑下した言い方になりますが、僕らは、どうしたってその真似ごとにしかなり得ない、と感じるんです。

神田 それに対して、我々はやはり生業に憧れがあるわけです。もし石見神楽で食べていける道が拓ければ、僕らだけでなく子供たちの夢も広がる。神楽のために、石見で暮らし続ける人も増えていくはずだと。そんなコンセプトから、「万雷」の興行化を試みているんです。

絢爛な衣裳にも注目したい。石見神楽の代表的な鬼舞『塵輪(じんりん)』の一幕。

菊之丞 お互いに、ないものねだりなのかもしれません(笑)。僕はずっと、日本舞踊で「型の美しさ」「正しい型」という教えられ方をしてきました。徹底的に洗練した中に、異形なもの、魂の塊を注ぎ込む。そのバランスこそが、この芸能の魅力です。でも神田さんたちのなさっている芸能には、それだけじゃない「型を突き破るもの」を感じました。だからこそ神田さんたちが洗練されすぎることには、少し危うさも感じます。もちろん石見神楽をはじめ、郷土芸能も洗練し、技術を磨くことは絶対に大事。でも郷土芸能の本質は、結局「思い」や「祈り」にあると思っていて。洗練を目指し徹底的に磨き、努力しつつも、上手くなることが最終目的じゃない。それはプロセスの違いこそあれ、日本舞踊にも言えることなのですが。

菊之丞さんは、演出・振付で様々な作品に携わりながら、自らも舞台に立つ。

神田 菊之丞先生と我々では抱えるものが違いますが、お話はよく分かります。実際、石見神楽は郷土芸能の中でも、人に見せることに特化して発展してきた一面があります。そちらにばかり比重がいっては、本質的なものが見えなくなる。万雷も県外での活動によりスキルアップも目指せるし、多くの方に知っていただく機会にもなります。こんなにありがたいことはありません。でも、石見神楽は、やはり土着的な芸能です。地域の人達にとって身近なものであるだけでなく、芸能に根ざした産業もある。石見神楽専用のお面屋さんや衣装屋さん、大蛇の胴だけを作る職人さんがいたりもする。子どもの頃から神楽に触れて、「これからも石見神楽をやりたい」と帰ってきてくれるUターン者は、地域にとって大事な逸材です。県外で活動するにしても、最終的には地元に着地するべき芸能だと考えています。

なんのために踊るのか

——ここまで、それぞれの立場や思いを伺ってきました。最後に、一人の踊り手としてお聞きします。「あなたは、なんのために踊りますか?」

菊之丞 僕は、生きるため。生業としての意味も含まれますが、その割合は小さい。僕は踊ることによって生かされているし、日本舞踊という芸能の良さを伝え、追求していくこと自体が生きる実感に繋がります。芸能って、生きる人間に宿して初めて成立するものですから、どうしたって生きるために踊っている、ということになるんです。

神田 僕も、生きるため。でも根本は、ただただ好きだから。「好き」以外に何もないと気づかされました。小さい頃から見て育っても、やるやらないは本人の自由。石見神楽を観るのが好きな人もいれば、舞うのが好きな人もいる。そんな中、何か強制を感じながらやる人間はごくごくわずかだと思うので。

万雷は、東京新宿歌舞伎町ZEROTOKYOや、地元の島根県芸術文化センターグラントワにて、小林幸子さんと共演。クリエイティブ集団「MPLUSPLUS」がLED照明テクニカル協力に加わるなど新たな試みを続ける。

菊之丞 やっぱり羨ましいな。もちろん僕自身、日本舞踊という芸能が好きなわけです。子供の頃にはその魅力に気づかなかった僕でさえ、これほど夢中になる日本舞踊には、もっと可能性があるはず。そしてこれほど自分は様々なチャンスに恵まれながら、まだ何の成果も得られてないという感覚もある。だから四六時中舞踊のことを考えて、打ち込んで、ライフワークバランスって何? というほどに狂っているかもしれない。神田さんもそんなタイプにお見受けします(笑)。

神田 そうですね(笑)。僕としては好きだからこそ、万雷の活動を通し、自分が若い時には得られなかった何かを、次の世代に与えてあげられたらいいなと思っています。それができれば、好きで続けてきた神楽に、何かもう一つ意味が生まれるのかなと思えます。

菊之丞 自分は芸能者として日本舞踊家として、あらゆる芸能の境地に到達したい、という欲求を原動力に動いています。だからこそ明確に、「欲しい」と感じるものが神楽にはある。神田さんたちが持つ濃度の濃い、純度の高いものを前にすると、それだけで自分は二歩も三歩も下がる気持ちになる。結局また「ないものねだり」の話に戻ってしまいますね(笑)。

たしかにあった、見えないもの

——12月29日より31日まで上演される『八雲立つ』でのご共演が、いっそう楽しみになりました。

菊之丞 こうして僕が、神田さんたちの活動に共感し惹かれるのも、何より一緒に舞台に立たせていただいたからだと思います。先斗町の稽古場で初めて「舞い上げ」をご一緒した時から、舞っている瞬間にだけ感じられることがありました。

詩楽劇『八雲立つ』には、歌舞伎俳優や宝塚OGなど多彩な芸能者が集う。

神田 「舞い上げ」は、万雷の神楽の特色と言えるかもしれません。神楽では、お面をかぶり神話の神様になりきります。一演目が終わるとお面を外し、感謝を込めて普通の人間に戻る。その意味づけのプロセスを、万雷では「舞い上げ」と呼び、演出に取り入れているんです。菊之丞さんのおっしゃる通り、初めてご一緒した時も、舞いながら「これならぶつからない」「このままいって大丈夫だ」といった、目に見えない意思疎通がたしかにありました。感性を高めあうような、面白い感覚でした。

菊之丞 石見神楽に限定せず、舞っている間は日常の精神状態とは違うところに居ます。「舞い上げ」では、それを皆が共有し、舞うことの幸せを感じられた気がしました。これはもう「気がする」でしかない。でも、それがとても重要なんだと思っています。それにしても、あれは踊っていて本当に気持ちが良い。毎日でも舞い上げたいくらいです(笑)。

神田 今回の『八雲立つ』も出演の皆さんと一緒に、そんな舞台を創らせていただければ。今回もよろしくお願いいたします!

三代目尾上菊之丞
日本舞踊尾上流三代家元・二代目尾上菊之丞(現墨雪)の長男として生まれる。2011年8月、尾上流四代家元を継承すると同時に、三代目尾上菊之丞を襲名。新作歌舞伎、宝塚歌劇団、OSK日本歌劇団やアイススケートなど、様々なジャンルの演出・振付に携わる。J-CULTURE FEST presents 井筒装束シリーズ 詩楽劇では、構成・演出・振付・出演を手掛ける。

神田惟佑
物心ついた頃から神楽に親しみ、受け継ぐ石見神楽継承者。神職であり、170年以上の歴史を持つ久城社中 座長。一般社団法人MASUDAカグラボ理事長。石見神楽「万雷」プロデューサーとして、石見神楽の継承と発展を目的に、郷土芸能の枠を超えて世界のエンターテインメントを目指す、若き舞手たちの集団を率いる。

公演情報

J-CULTURE FEST presents 詩楽劇「⼋雲⽴つ」
構成・演出:尾上菊之丞
脚本:⼾部和久

出演:尾上右近、紅ゆずる、佐藤流司、和⽥琢磨、梅⽥彩佳、川井郁⼦(ヴァイオリン)、⽯⾒神楽 万雷、
花柳喜衛⽂華、藤間京之助、若柳杏⼦、藤蔭慧、⾼橋諒
/ 尾上菊之丞

演奏:吉井盛悟、⽥代誠(英哲⾵雲の会)、豊剛秋、藤舎推峰、住⽥福⼗郎、川野稜太/安部潤、齋藤順、北村聡

主催:TAILUP/井筒/井筒企画/東京国際フォーラム

企画:井筒與兵衛

公式サイト:詩楽劇「⼋雲⽴つ」

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塚田史香

ライター・フォトグラファー。好きな場所は、自宅、劇場、美術館。写真も撮ります。よく行く劇場は歌舞伎座です。
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