力士の浴衣に宿る、江戸から続く粋
浴衣は、鎌倉や室町時代に貴族が湯浴み時に着用していた湯帷子(ゆかたびら)が語源とも言われていて、庶民に広まったのは江戸時代に入ってからのこと。江戸初期は湯屋と呼ばれる銭湯帰りに着るものでしたが、奢侈(しゃし)禁止令*や歌舞伎役者の派手な浴衣図案の影響を受けて、江戸中期からは柄を染めた浴衣が庶民の夏の日常着になっていきます。
*絹や麻などの生地が禁止となり綿生地を使うことが奨励された
さて今の時代も浴衣を日常着とするのが相撲界です。そして相撲界の浴衣といえば、他の力士の四股名が入った浴衣を着るというしきたりがあります。どれぐらい古くからのしきたりなのか気になりますよね。それは江戸末期にはすでにあったのではないかと教えてくれたのは、力士の浴衣文化や浴衣図案にまつわる物語をまとめた『相撲浴衣反物見本帖』の著者であり、相撲を長年取材してきた日刊スポーツNEWSの佐々木一郎さんです。

「江戸時代後期の絵師・菊川英山の描いた錦絵に小柳(こやなぎ)の四股名入りの浴衣を着た力士が描かれています。錦絵なので断定はできないけれども、相撲界に四股名入り浴衣が受け継がれてきたのがわかります」、と佐々木さん。美人画の名手として知られる菊川英山が手掛けた『いわきますや前の賑わい』には、江戸の麹町にあった呉服商「岩城枡屋」の店先と往来の賑わう様子が描かれています。第6代横綱・人気力士の小柳常吉とその付け人力士の姿があり、付け人が「小柳」の名入りの浴衣を着用している様子が見て取れます。

相撲界には不文律として、受け継がれてきた伝統やしきたりが数多くあります。浴衣や反物についてもそうで、四股名入りの反物をつくることができるのは、幕内力士のみです。約600人いる力士のうち幕内に名を連ねる42人だけに許された特権だと、佐々木さんは話します。
「なぜ幕内力士のみなのかは、特に明文化されてはいません。でも四股名入りの反物をつくっても恥ずかしくない立場(番付)なのかどうかが問題とされてきたのだと思います。さらに自身の四股名入りの浴衣は、自分が着るためにつくるのではありません。お世話になった人へ贈るためにつくります。とはいえ部屋や力士によって考え方も異なるために、今では四股名入り浴衣を着用する力士もいます」
夏の大相撲を彩る、浴衣反物の贈答文化
力士がつくった反物は、同じ部屋の力士や一門の関取衆、また親方衆へと、感謝の気持ちを込めて贈ります。5月場所のころには、浴衣反物を贈り始めます。そのため毎年7月場所は、新作浴衣のお披露目の場になっているそうです。ちなみに毎年四股名入りの浴衣反物をつくる力士もいれば、手間や費用の問題でつくらない力士も。また昨年の図案を生かし異なる色を染めて、新たな浴衣反物に仕立てる力士もいます。

「関取衆や親方衆には、かなりの数の反物が贈られます。贈られた反物を浴衣に仕立てて着こなす力士の姿は、NHKの大相撲中継でも夏の風物詩として紹介されています。またそれ以外でも関取衆は、好きな反物で浴衣を誂えます。例えば大関の安青錦関は、3代目若乃花(花田虎上さん)のファン。今年は若乃花反物で仕立てた浴衣をよく着ていますよ。また佐田の海関にはここ数年、マリメッコ社が協賛していて北欧デザインの洒落た浴衣を着ていることもあります。最近の傾向としては、アフリカンバティック柄を着ている力士をよく見かけますね」、と佐々木さん

令和8年に安青錦が着用している浴衣は、3代目若乃花の四股名入り。モダンな柄に若乃花のセンスを感じる。佐々木さんの写真資料より
相撲界の慣わしである浴衣反物の贈り合いは、若い力士のためにもなっていると佐々木さんは言います。外出時には髷を結い着物を着る決まりがあって、力士は春から秋まで浴衣姿が基本です。最低でもシーズンに4、5着は仕立てる必要があります。とはいえ若い力士にとっては、反物を買って仕立てるのは金銭的に厳しい。そこで部屋の関取や親方に贈られた反物から自分好みの柄を選んで浴衣を仕立てるのです。

さらに相撲部屋がつくる部屋の名入りの“仕着せ(しきせ)”と呼ばれる浴衣があります。仕着せは、千秋楽パーティーや公式行事などで、部屋の力士が揃って着用します。佐々木さんは、ユニフォームみたいなものだと話します。
「一般的に仕着せは、毎年新調するものです。王道の図案を取り入れている部屋もあれば、アーティストがデザインを手掛ける部屋もあります。ただどの部屋でも特別な浴衣として、大切に扱うように指導をしています。力士たちは古くなった浴衣を泥着(どろぎ)と呼ぶ稽古用浴衣にします。しかし仕着せは、泥着にしてはいけないという部屋もありますね」
故郷への愛、大切な家族、勝利への意思――力士が浴衣に託すもの
浴衣反物づくりは、部屋のおかみさんや世話役にお任せの力士もいますが、図案から携わる力士も多いそうです。『相撲浴衣反物見本帖』に紹介されている浴衣図案や意匠には、いくつかの傾向がみられます。<1>力士に縁のある図案(本名や家族、故郷、好きなもの、部屋の伝統図案)、<2>縁起担ぎの図案(吉祥紋や干支柄)、<3>デザイナー・アーティストや縁のある企業とのコラボ図案などです。もちろんそれらすべてが組み合わされているものもあります。
「令和7年に取材した浴衣反物については、<1>が多いかもしれません。本名である大波(おおなみ)にちなみ青い波をモチーフにした若隆景関、故郷・熱海の桜は日本一早く咲くと赤地に桜を描いた熱海富士関、妻が好きなマーガレットをデザインした玉鷲関などの浴衣は、印象に残っています。また元兄弟子に図案を依頼した宇良関の浴衣は、好物のダブルチーズバーガーや趣味のオタマトーン*などがデザインされています。宇良関らしいというか、ファンにはたまらないでしょうね」
*アーティスト明和電機が手掛けた電子楽器。
<2>の縁起担ぎの図案には、導きの神「八咫烏(やたがらす)」を取り入れた尊富士関、良いことが起きる前兆の瑞獣「九尾の狐」をデザインした義ノ富士関などがいて、どちらも勝利への強い意思が伝わってきます。<3>のコラボ図案には、イラストレーターMURASAKIに故郷・奄美大島をダイナミックに描いてもらった明生関、ミキハウス×遠藤(現・北陣親方)などがあり、土俵上の雄姿からは想像できない意外なコラボも!
浴衣に表現される、土俵では見えない力士の美意識
『相撲浴衣反物見本帖』には、力士ひとりひとりの想いがこもる、個性あふれた浴衣の数々が紹介されています。なかでも私が注目したのは、両横綱の浴衣反物です。第74代横綱の豊昇龍関は、大輪の花柄とともに立浪部屋の元行司・木村玉治郎が書いた「豊昇龍」の文字を染め抜いた図案です。「前年(令和6年)と同じデザインで色を変えたそうです。鮮やかな蛍光黄色×ダークネイビーのインパクトの強い一枚ですね。豊昇龍関にとっては、部屋の兄弟子としてお世話になった玉治郎さんが書いた四股名は、お守りのようなものなのかもしれませんね。初優勝の取り組みをさばいたのが玉治郎さんであり、横綱にとっても思い入れのある図案だそうです」、と佐々木さん。

そして第75代横綱・大の里関は、青に黄色のひまわりが美しいシンプルで夏らしい一枚。「横綱昇進の年であり、忙しくて凝ったデザインができなかったと取材時に大の里関が打ち明けてくれました。でも横綱の締め込み色の青に黄色のひまわりを咲かせた爽やかな浴衣図案です。勝ち虫のトンボも飛んでいて縁起もいい。周囲からも評判がよかったそうですよ」、と佐々木さん。

71種類もの浴衣図案を取材したなかで、佐々木さんの興味を惹いたのは髙安関が手掛けた上品な浴衣反物でした。浴衣図案のきっかけは、髙安関が贔屓の鰻屋で使われていた有田焼の器でした。器の美しさに感動した髙安関は、店主に器を手掛けた陶芸家・岩永浩さんを紹介してもらったそうです。
「髙安関は岩永さんの器を買い求めて、日々使うなかで浴衣図案にしたいと考えるように。そこで岩永さんに原画を依頼したそうです。そして完成した反物には、岩永さんとの出会いから浴衣づくりに至った経緯をしたためた手紙とともに、贈ったと言います。器に心を寄せる美意識、作家への尊敬の気持ち、添えられた手紙、その一連のエピソードに髙安関の豊かな感性を感じました」

仕事柄、反物を頂く機会が多いと話す佐々木さん。浴衣にする以外には趣味のカルトナージュ*を生かして反物で雑貨をつくったり、テディベアやパスケースなどの小物を製作し、友人や知人にプレゼントしているそうです。
*厚紙を組み立てた箱に布や紙を貼って仕上げるハンドメイド工芸。

力士が身にまとう一枚の浴衣。その図案に込められた故郷への思い、家族への愛、勝利への願い、そして人との縁。土俵の上だけではわからない、力士の素顔に出会えることも、相撲浴衣の楽しみかもしれません。

相撲浴衣反物見本帖
令和7年5月から7月ごろの幕内力士とその部屋がつくった71の浴衣図案と浴衣づくりにまつわる物語を紹介。さらに力士の浴衣づくりにかかわる作り手や力士浴衣に魅せられた蒐集家などのインタビューも。相撲好きなひとからデザイン好きまで広く楽しめる一冊。
著者/佐々木一郎 出版/COCON BOOKS
撮影/福井麻衣子

