ちょんまげも大銀杏も髷に欠かせないオーミすき油
江戸時代初期の寛文年間(1624~1644年)に、溶けた蝋燭と油をあわせ、松脂や香油を混ぜた固形の油がつくられるように。これを「伽羅の油」と呼んだという。江戸の百科事典『守貞謾稿』によれば江戸市中では、寛文年間(1661~1673年)から「伽羅油」が売られるようになった。最高級の沈香である伽羅が加えらているわけはなく、丁子などで甘い香りをつけた鬢付け油だ。しかし伽羅の香りに憧れる庶民は、男女とわず買い求めたとされている。そんな伽羅油に倣った甘い香りの鬢付け油が今でも大相撲の世界には受け継がれている。それは日本髪用の鬢付け油「オーミすき油」だ。すべての力士が結う“ちょんまげ”から幕内力士のみが取組や儀式で結う“大銀杏”まで、力士を力士たらしめる“髷”には欠かせない整髪剤だ。
日本髪用の整髪剤には、すき油や鬢付け油がある。一般的には、すき油は髪に塗布して櫛で何度も梳くために使い、鬢付け油は髪型を固定するために使うものとされている。しかし「オーミすき油」は、力士の長い髪を梳くときにも、髷を結いあげるときにも、「すき油」でもあり「鬢付け油」でもある整髪料だ。材料となる植物油には香料が練りこまれ、商品を手にするとふわっと甘く爽やかな香りが漂う。力士に出会った人々が抱く「お相撲さんはいい香りがする」という印象は、オーミすき油の香りによるものだ。
近江出身者が開発した商品は東京の下町に受け継がれる
「オーミすき油」を手掛けているのが、東京は江戸川区にある「島田商店」だ。日本でも数少ない日本髪の整髪料を製造している会社であり、「オーミすき油」のほかにも日本髪に使われる鬢付け油や水溶性整髪料などを手掛けている。島田商店の工場に入った途端、ふわりと甘くてすうっと爽やかな香りに包まれる。
「いい香りがしますか?私たち家族は、いつもここにいるからこの香りはあまり感じないんです(笑)。今は創業者の父と母、私と妻の四人で製造しています。すべてが手仕事の家内制手工業です」。
そう話してくれたのは、中心となって商品づくりを行う二代目の島田陽次さんだ。
島田商店の創業は、高度経済成長期のど真ん中、1965(昭和四十)年だ。すき油や鬢付け油を手掛ける浅草の会社で職人として働いていた父・秋廣さんは、会社が閉業となり「オーミすき油」などの商品を受け継ぐ形で独立。新たに「島田商店」として会社を始めるも、特に商品名を変えることなく、製造・販売を続けてきた。昔は髷を結う油はいろいろあったようだが、秋廣さんが独立したころには力士の髷には「オーミすき油」が定着していた。ちなみに商品名の「オーミ」は開発した製造会社の社長が滋賀県(近江)出身だったからだという。
製造工程はすべて手作業、一番大事な工程の練り上げ
「オーミすき油」の原材料や製造工程は、とてもシンプルだ。材料は、国産のハゼから採ったモクロウとナタネ油、ヒマシ油、そして香料。国産材料を使うには理由がある。「同じように見えても輸入品のモクロウはツヤや粘りがまったく違います。試しに一度つくってみたのですが、出荷できるような製品にはならなかった。だから昔と変わらずに国産材料を使っています」。
まるで石鹸のようなモクロウや油を鍋に入れて中火で溶かし、熱が冷めるまで3時間ほど置いていく。鍋ふちにロウ成分が固まり始めたら、バニラと液体香料を入れて軽くかき混ぜてから、細くて長いカシの棒で練っていく。硬さや粘りを感じながら、強弱をつけて20~30分ほど練り上げていく。陽次さんは、練り上げることで油にツヤと粘着性がでるという。「一気に仕上げないとダレるので練り上げは気が抜けないです」。
液体だった油がカスタードクリームのように固まっていく。「もういいかな」と頃合いをみて、木製の作業台へ。秋廣さんと陽次さん親子は、大きな塊となった油をしっかりと叩いて空気を抜き、棒状へとまとめあげる。木枠に入れて形を整えた油を陽次さんの妻・かおるさんが糸鋸で等分に。最後の箱詰めは母の陽子さんとかおるさんが阿吽の呼吸で仕上げていく。仕込みから商品の完成までは6時間ほど。月3~4回、1回につき7キロ容量の鍋で製造している。商品はひとつ70gなので、出来上がりは100個程度だという。
「相撲部屋には年6回の本場所にあわせて、2カ月ごとに商品を納品しています。力士の数にもよるけど、多い部屋で2ダース、少ない部屋だと1ダースですね」と陽次さん。
香りもパッケージも進化、唯一無二なロングセラー
昔はどこの相撲部屋も同じ商品を使っていたけれども、ここ数年は各相撲部屋の床山から「少し軟らかいものが欲しい」、「もっと硬いものがいい」などと注文や依頼をされるように。依頼や注文の先に応えるのが職人親子、今では定番品を含めてなんと5種類ほどを製造しているとか。
「1回につき7キロしか作れないために同じタイプの商品をまとめてつくっています。ただ定番品も季節によって少し内容は変えています。夏はどうしても軟らかくなるので硬めに仕上げたり、逆に冬は硬くなるので軟らかめに仕上げたり、成分や工程を調整しています」と陽次さん。ちなみに立浪部屋と大嶽部屋は同じタイプの商品を使っている。若き横綱・豊昇龍関と期待される西前頭筆頭・王鵬関(令和七年五月場所番付)という同期組は、同じ仕様の「オーミすき油」で髷を仕上げてもらっているのだ。
唯一無二なロングセラーは、時代にあわせて工夫を凝らし進化を遂げてきた。工夫のひとつはパッケージだ。昔は缶タイプだったが手作業では詰め始めと詰め終わりで品質にばらつきがでることも。今では品質向上のために棒状にして切り分けてぴったりサイズの紙箱で展開している。もうひとつの工夫は香りだ。香りの成分は企業秘密としながらも「最初はバニラと2種類の香料を混ぜて使っていました。ただ十数年前に取引先の調香師とともに見直しました。今はバニラと3種類のブレンド香料を混ぜて使っています。より香りが深くなった感じでしょうか」と陽次さん。
相撲人気の上昇とともに、企業から「オーミすき油」の香りを商品化したいと提案があるものの、「島田商店は香りではなく日本髪の整髪剤を手掛けている。そこは本筋ではないですからお断りしています」と初代・二代目は口を揃える。
髷や結髪などの伝統を支えて、次世代につなげていくために
さて二代目の陽次さんは、高校時代には家業を継ぐと決めて大学では化学を専攻。「子ども時代からプラモデルなど、ものづくりすることが好きでした。だから職人もいいなと思っていました」。大学卒業後は、父を師として職人の道へ。手伝いをしていたとはいえ一人前になるまでは時間がかかったとか。
「すき油も鬢付け油もすべて手仕事。温めて溶けた油を固形にするために、ちょうどいい塩梅に練り上げるのは難しくて。一連の作業すべてを任されるようになるまでに十年はかかりました」と陽次さん。家業を継ぐと決めた際、「この仕事は稼げないけど時間だけはあるから」と親から言われたことは当たっていると笑う。
相撲や結髪という日本の文化を支えてきた島田商店。一般の女性が日本髪を結う機会は少なくなってきたとはいえ、東京をはじめ京都や名古屋など各地に顧客は多い。時代劇のカツラを手掛ける床山からも「島田商品の鬢付け油じゃないとダメ」という声がある。「相撲界や時代劇のカツラなど多くの床山さんに必要とされている。日本髪の伝統を支える一助になっているという自負はあります。この仕事をどうやって次世代につなげていくのかも考えていきたい」と陽次さん。
「オーミすき油」は、本場所中の両国国技館や両国の商店、浅草の仲見世のお土産屋などで販売しているとか。
さて、もうすぐ両国国技館で五月場所がはじまる。国技館で観戦できる幸運なみなさまは、力士からふわっと漂ってくる江戸薫る整髪剤の香りにもご注目をしてみてほしい。
取材協力/島田商店
撮影/梅沢香織