かつては男性のものだった和太鼓の世界に大きな変化が起きている。全国各地で開かれるワークショップでは女性の参加が急増、参加者全体の過半数を占めるところも多いという。何が彼女たちをそんなに引きつけるのか。今年で芸歴40周年を迎えた女打ち和太鼓奏者の先駆けで、太鼓芸能集団「鼓童」名誉団員の小島千絵子さんに、和太鼓の魅力を聞いた。
たたくと心が、魂が喜ぶ!和太鼓の魅力
--最近は女性で和太鼓をたたく人が増えているそうですね。
私が各地でやっている和太鼓のワークショップでも、参加する人の80%ぐらいは女性になっています。プロの奏者はまだ男性が多いですが、アマチュアでやっている方の60%以上は女性だと思います。
--女性が太鼓を打つ場合、男性に比べて力の差など不利な点もあるのでは。
和太鼓は最初は力ずくで打つんですけど、だんだん力を抜いていかなくてはいけない。力を抜くことで、いい音が出るようになる、きれいな響きを立てるようになるんです。力を抜くのは、入れるよりも難しい。その点、体が柔軟な人は脱力して体全体を使いやすい。だから女性のほうが、むしろ和太鼓に向いているんじゃないかなと思います。
--和太鼓を打つことには、どんな魅力があるんでしょうか。
とっても気持ちよくって、心が、魂が喜びます。私は世界中あちこち行くんですけど、太鼓をやっている人には壁がない。どんどんやってるうちに、心の化粧が、殻が取れていっている感じ。その人自身が持っている輝きとか、そういうものが、そのまま出るんですね。だから、太鼓を打つ時間は、その人にとってかけがえのない自分に戻れる時間になるかもしれません。
和太鼓は自分で音をすぐに出せるし、その音が自分に響いてくる。太鼓を聴くだけより、自分でやるほうが100倍も楽しいです。はまっちゃうんですね。まずは一発どんとやってみたら分かると思います。
--一般の人が自分も太鼓をやってみたいと思ったら、どんな方法が。
全国各地のコミュニティーセンターの講座で和太鼓のワークショップをやっているところがたくさんあります。それから太鼓スタジオが全国にありまして、そこで初心者の太鼓体験を開催しているなど、調べればたくさん、お近くに太鼓をやれるところがあると思います。
親に勘当されて佐渡へ
--小島さん自身は、どんなきっかけで和太鼓の世界に。
私は栃木の農家の生まれで、その頃はお嫁さんとか看護師さんとか保育士さんとかいうのが当時の女性のたいがいの夢として語られていたんですけど、そういうのは絶対やりたくなかった。
40数年前は、お祭りとか神社には太鼓がありましたけど、舞台芸術とか、一般の人が趣味で和太鼓をたたくというのはまだなかったんですね。その先駆けの一つとして佐渡に「佐渡の國鬼太鼓座」(鼓童の前身のグループ)ができて、雑誌で永六輔さんが紹介していらした。20歳の頃にそれを読んで、面白そうだと思って東京の公演を見に行ったんです。すごい、これやりたかったんだという、ひらめきというか、探していたのはこれなんだと。
--どんなところがすごいと思ったんですか。
好きだった舞踏とかアングラ演劇もそうですけど、心にぐっときて、何かよく分からないけど、エネルギーが放出してくる。太鼓の音だから、すごく響くんですね。耳でなく、体ごと、建物ごと響いてきて、落雷を受けたようなショックを感じました。そして自分と同じくらいの年齢の人が舞台上で、きれいに演奏しようというよりは必死なんですね。汗も飛ぶし、必死な顔で打ち込んでる姿が、もうすごかったです。
--20歳の時にまず出会って、それからやっと佐渡島に渡れたのが23歳の時。
最初は佐渡の國鬼太鼓座の「追っかけ」をやってたんです。楽屋にも訪ねて行って、あんまり私が追っかけているので、リーダーの人が「お前入りたいのか」って聞いてくれた。「はい」と答えたら、「じゃあ、来い」と。でも当時は会社勤めをしていたので、辞めるためにしばらく時間を要しました。
親の説得にも時間がかかりました。その頃は女性的な幸せというのは、いい人を見つけて結婚して、子どもを育てて家を守る専業主婦というような時代でした。母親もそれを願って私に夢を託していたので、芸能活動には猛反対。最後は勘当されて佐渡に渡りました(笑)。とはいえ、母親はその後、様子を見に来て、応援してくれるようになりました。
女性ならではの太鼓表現を
--当時は太鼓の世界というのは男性社会だったのでは。
その頃は鬼太鼓座でも、舞台上の表現として、男性は太鼓で女性は踊りという風に分けられていました。太鼓は女性部員も稽古はできるんですけど、舞台ではやっぱり男の人の演目だったんですね。たたきたいがために佐渡に渡ったのに、女性だということで踊りをやりなさいということになって、女って損だな、なんで自分は女だったんだろうと思いました。
--79年に踊り手として舞台に本格デビュー。81年に太鼓芸能集団「鼓童」の創立メンバーに加わってからも、相変わらず太鼓をたたけなかった。
ただ、踊りにはまったんですね。踊りの表現というのはすごく自分に合ってるなと思って、それはすごく良かったことです。でも、まだやっぱりふつふつと、太鼓をやりたいという気持ちも抱えていたんです。
そんな頃、世の中に太鼓が浸透してきて、女性も太鼓を打ち始めていた。それを見て、今ならもう一度、夢をかなえられるかもしれない、太鼓ができるかもしれない。せっかくだから踊りの要素を取り入れた、新しい太鼓のスタイルを作りたいと思ったんです。これまでは女性はたたけなかったのを、女性だからたたける、女性ならではの太鼓表現をやってみようと思って、「花八丈」という演目を作りました。
--八丈島の八丈太鼓は他の地方と違って女性もたたいているそうですね。
そうなんです。日本の伝統的なお祭りごとには、女性が触れられないとか、関われないというのがあるでしょう。女はそういうお祭りごとの太鼓に関われない。だけど八丈島では誰でも自由にたたけたんですね。男も女も。だから八丈島の太鼓だったら、女である私も受け入れてくれるなと思って、そのリズムを頂きました。
--女性ならではの太鼓というと、どんな打ち方にしようと考えたんですか。
自分のスタイルを作るために、まずは男性と真逆の表現をしたいと思いました。悔しかったから(笑)。男性は力強い。力を体ごと表現する。私はそれを逆に、内側に秘めて、力を見せない。インナーマッスル的な内側の秘めた力で、外には力を見せないようなたたき方。それからたたくときの立ち姿も、普通男性のスタイルは足をしっかりと開くんですけど、足を閉じて着物姿で優雅に打てるものにしました。
もう一つは踊り的な要素として、出来事とか心象風景とかを音と姿で表現したいと思ったんです。
--「花八丈」の太鼓と踊りを融合させた独自の演奏スタイルは、踊りの世界を知ったおかげで生まれたものなんですね。
はい。だからもう、たたけなかったという悔しい気持ちも、この作品を作るためにあったんだと思いました。マイナスが何かのきっかけで全部プラスになったような感じですね。
--そのような女性ならではの太鼓表現は、世間の人たち、特に女性からはどのように受け止められたんでしょうか。
米国で太鼓カンファレンスという、和太鼓をやっている日系の人たちが一堂に会するイベントがあるんです。ちょうど20年前にそこに招かれて、「花八丈」を初めてお見せしたんですけど、たたき終わったときに、スタンディングオベーション、みんな総立ちになってくださって、アンコールの拍手が鳴りやまなかったんですね。
そのときにご覧になった女性が、「本当に革命的で、自分の太鼓人生が変わった」と言ってくれたんです。それまでは米国の女性たちは、やはり男性の世界で頑張るというようなスタイルだった。あんなに自由な国なのに、米国でも女性の地位に関しては、やっぱり何かしら抱えていらしたみたいで。それを彼女たちは男性の世界にどんどん入っていって、男性と同じことをやることで切り開いていった。
それに対し、私がもう一つの方向性として示したのは、女性ならではの、女性しかできないようなものに重きを置いた表現だったので、そのことを感じてくださって、男性も女性もみなさん共感してくださった。女性であることを肯定する、そのようなものを感じてくださったのかなと思っています。
太鼓はただの楽器じゃない
--ご自身にとって今、太鼓はどんな存在になっていますか。
日本の和太鼓がこれだけ世界中に広まるということは、ただの楽器じゃなくて、打っている人にも聴く人にも何かしらの現象が起こるんじゃないかと思うんですね。太鼓の音は自分の体にも響くし、そこにいる人たちにも、神様にも、ご先祖様にも届く。自分の殻を破るとか、元気になる、細胞が活性化するとか、勇気が湧くとか、何かプラスの現象があると思います。
昔ながらの和太鼓、神社や寺にある和太鼓や、盆踊りの中で真ん中で打たれる和太鼓には、その音の響きに何かしらの意味がとても深くあるものじゃないかなと思います。そのような和太鼓に自分が舞台で関わることにも役割がきっとあると思うので、その役割を全うしたいなと思っています。
--12月には40周年記念公演を開くそうですが、どんな内容になりますか。
2部構成で、ひとつは道成寺物語。もうひとつは、日本には岩戸に隠れたアマテラスを呼び出すために、その前で神々が騒いで、アメノウズメが舞って、それを聞きつけてアマテラスが岩戸から出てくる神話がありますけど、それが日本の芸能の始まりだとよく書いてあるんですね。一幕はそういう岩戸開きの物語をします。打ちまくって、踊りまくって、舞いまくって、光を呼び出すみたいな、ドラマチックなものをやります。
佐渡に自分の拠点を作りたい
--40周年を過ぎてから、どんなことをやりたいか決まっていますか。
次は80周年を目指します(笑)。それから、私は旅が多く、世界中あちこちから公演に呼ばれて行くんですけど、私にとっては佐渡というのがすごく重要なんです。だから佐渡に自分の拠点を作りたいと思っています。そこに自分のスタジオ工房を設立して、佐渡から世界に出て行くだけではなく、今度は世界中からお招きして、島の中で集中して稽古したり、佐渡をご案内したり、物作りをしたり。
佐渡にはもともと鬼太鼓という郷土芸能が島のあちこちにあるんです。それぞれ集落ごとに個性があり、島から出ていった人がその時には帰ってきて太鼓を打ち、鬼を舞う。それがすばらしい。ほかにもたくさんの芸能が息づいている特別な島です。生まれた土地では廃れてしまった芸能文化でも、島に伝わって残っているものがあります。
また、佐渡に行くには海を渡るというのがすごくスペシャルなんです。みそぎのような感じ。浄化されて佐渡島に渡って創作活動すると集中できます。
--これまでの太鼓人生を振り返って、どんな40年間でしたか。
竜宮城に行った浦島太郎みたいな気分です。太鼓を打ったり踊ったりしているうちに、あっという間に40年が過ぎてしまいました。楽しいことがたくさんありましたから。大変なことや落ち込むこともあったけど、それをばねにして起き上がらないと損だから、何でも楽しむことにしちゃうんですね。
<小島千絵子さん略歴>
栃木県岩舟町(現栃木市)出身。 1976年「佐渡の國鬼太鼓座」に入座。81年「鼓童」創立に参加。女性ならではのしなやかな表現で太鼓と舞踊を融合させた「花八丈」で独自の世界を切り開き、日本各地のほか、米国やブラジルなど34カ国以上で公演・ワークショップなどの活動を行っている。また、国内外のアーティストや太鼓グループとの共同制作を展開。2006年には坂東玉三郎演出・出演の「アマテラス」でアメノウズメを演じ、鮮烈な印象を残した。2012年、鼓童名誉団員となる。2019年12月23日には東京・文京シビックホールで 「鼓童『千の舞』~小島千絵子芸歴40周記念公演」を上演。