日本文化の入り口マガジン和樂web
11月29日(月)
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば(藤原道長)
日本文化の入り口マガジン 和樂web
日本文化の入り口マガジン 和樂web
11月25日(木)

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば(藤原道長)

読み物
Culture
2019.12.11

花押ってなに?伊達政宗ら戦国武将も使っていたサインが面白い!

この記事を書いた人

「花押(かおう)」というものをご存知でしょうか。時代劇などで聞いたことがあるかたもいるかもしれません。花押は、公家や武家などが発行した文書の最後に書いたサインのことです。花押については佐藤進一『花押を読む』(平凡社、1988年)というバイブル的な本がありますが、初心者にはすこし難しいので、ここではわかりやすく「花押」についてお伝えします。

花押はサイン 名前の一文字から意匠をこらしたものへ

花押は中国に起源をもち、日本では平安時代から使われていたとされてます。もともとは自分の名前の一字を崩してサインのかわりにしたものです。途中からそれに飽きたらず意匠をこらすようになり、独特の花押がたくさん登場しました。たとえば源頼朝は「頼朝」の二文字の部首のうち「束」「月」を合体させて花押を作りました。足利尊氏も「尊」と「氏」を合体させたものを使っています。足利氏の花押は「足利様」と呼ばれるようになりました。

「源頼朝書状」(文治2[1186]年)※国立博物館所蔵品統合検索システムより(https://colbase.nich.go.jp/collectionItems/view/12f08f3c06a62af80737925634848303/34323
終わりから2行目の下部に花押が書かれている

足利氏は、室町幕府をひらいて京都に住むようになると、公家のような形の花押もつくり、武家用と公家用を使い分けたそうです。なお、花押にはさまざまな形がありますが、意匠の凝らし方にルールなどはありません。

「足利尊氏御判御教書(あしかがたかうじごはんみきょうじょ)」(文和3[1354]年)※国立博物館所蔵品統合検索システムより(https://colbase.nich.go.jp/collectionItems/view/12f08f3c06a62af80737925634848303/30556
日付の下に花押がある

花押を使わない人もいます。厳密にいうと使えなかったのです。鎌倉時代や室町時代における武家や公家は文書の最後に花押を書くことが一般的でした。そのため、花押がない文書は効力を発揮しないもの、あるいは偽文書だと考えられてきたのです。しかし、そうした文書には「○○丸」のような、元服前の幼名での署名があり、15歳にならないと花押を使えなかったためだと現在ではわかっています。

動物のモチーフが多い?

動物のモチーフをつかった人もいます。織田信長は麒麟の「麟」の字を裏返して横にした花押を使っていました。

佐藤進一『増補 花押を読む (平凡社ライブラリー) 』(2000年発行)中央下が織田信長の麒麟の花押

よく知られているのが伊達政宗の花押で鳥の鶺鴒(せきれい)を模しています。伊達政宗の鶺鴒が有名になったのにはエピソードがあります。

奥羽地域で発生した一揆に、政宗は蒲生氏郷らとともに鎮圧に参加しました。この一揆の続発は当時の豊臣政権にとって予想外のもので、なかでも「政宗が以前治めていた葛西氏・大崎氏による一揆は、政宗が裏で糸を引いているのではないか…」との疑いがかかります。そのため、政宗は秀吉への弁明のために上洛したのですが、秀吉から政宗の鶺鴒の花押が入った手紙を見せられ責められます。秀吉の非難に対し「自分の花押であれば鶺鴒に針を刺して『目』を作っています。もし目がなければ偽物です」と政宗は答えました。実際に目に穴が開いていたかどうかは定かではありませんが、その度胸に秀吉はそれ以上政宗を責めることはありませんでした。

「伊達政宗書状 三月十日」(年代不詳)※国立国会図書館デジタルコレクションより(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287860/1
中央下が鶺鴒の形の花押

この逸話は後世につくられた軍記物でのエピソードで、実際にあった話ではないようです。現在、発見された政宗の文書に、穴の開いている花押はありません。ほかの武将に比べ、政宗は花押をたくさんつくっており、書類を出す相手によって使い分けをしていました。そのため、「やばいこと」がばれた時にいいわけがすぐにできたのだと考えられます。

なお、仲が悪い人がいた場合、相手と同じような花押にするパターンもありました。似たような花押を使うと侮辱したという意味になったといわれています。花押の使い方もさまざまだったのです。

花押を見れば親子関係もわかる

室町時代に下総国古河(現在の茨城県古河市)を根拠地とした足利成氏とその子孫のことを「古河公方」と言います。五代続いた5人の花押を見比べてみましょう。この花押は、古河歴史博物館でバッチとして売られています。

古河歴史博物館で販売されている古河公方五代の花押があしらわれた缶バッジ。上段左から初代・足利成氏、2代・政氏、3代・高基、下段左から4代・晴氏、5代・義氏。右下は彼らの拠点・古河城。

このうち、3代の花押がすこし変わっていることにお気づきになったでしょうか。初代・足利成氏、2代・政氏、3代・高基、4代・晴氏、5代・義氏と続いた古河公方ですが、3代・高基はもともと高氏という名前だったところを父親と仲が悪かったために改名しており「氏」がつきません。氏がつかないことと、妻が宇都宮成綱の娘だったのでその系統の花押をまぜたものになったのでしょう。こんなふうに、花押ひとつからさまざまな人間関係がわかるのです。

近世(江戸時代)には、農民も花押をつかったとされています。ただし、文字の読み書きができない人が言われて書くものですから「○」「△」「□」のようなサインともいえない記号にすぎないものでした。

自分の花押を作ってみよう

調べていくうち、現在でも花押を作ってくれる会社やデザイナーがいることがわかりました。しかしお値段が数万円からと高価なため、自分で花押を作ることにしました。

わたしの名前は「智子」なので「智」の字を使います。『くずし字辞典』でくずしのいろいろを見て、筆ペンを手に取ります。いくつか書いてみました。そういえば小学生のころ、するあてもないサインの練習をしたっけ……。ちなみに「智」は「ち」の元になった漢字なので、まずは「ち」をくずし字で描いてみました。わりと画数が少ないので、くずしが難しい文字です。
そして、書いたみたものがこちら。

うーん。小学生と変わらないレベルですね。抜本的なデザインがなにか違う気がします。そこで、気を取り直してつくったのがこちらです。

「とも」のひらがなを生まれ年の干支「子(ねずみ)」ふうに拵えてみました。これならいざという時に「目に穴が…」の言いわけもできそうです。とはいえ悲惨な出来栄えですので、今後さらに作り直しを試みたいと思います。

花押はいまでも使えるの?

現在でも総理大臣は花押を持っており、内閣府のホームページなどで閲覧可能です。また、クレジットカード等でも使えないわけではないようです。ただし、カード裏面のサインの欄に花押を書くのは難しく、あまり現実的ではないといえそうです。

なお、民法では民法968条において、下記の通り定めています。
1. 自筆証書によって遺言をするには、遺言者が、その全文、日付及び氏名を自書し、これに印を押さなければならない。
2. 自筆証書中の加除その他の変更は、遺言者が、その場所を指示し、これを変更した旨を付記して特にこれに署名し、かつ、その変更の場所に印を押さなければ、その効力を生じない。
このことから、2016年6月に最高裁判所で「花押は押印の要件を満たさず遺言書は無効」と判断されたケースがありました。現代は印鑑の文化ですので、花押の使用は難しいといえますが、文書のデジタル化が進んで印鑑レスの未来には、また花押が復活するかもしれません。

以上、花押のあれこれについてお伝えしてきました。古文書の最後についているこの印なんだろう?と思われていた方のお役にたったでしょうか。古文書は読めなくても、花押を見てるだけで世界がひろがります。ぜひこれからは花押にも注目してみてください。

古河歴史博物館

住所:〒306-0033 茨城県古河市中央町3丁目10-56
アクセス:JR宇都宮線/上野東京ライン 上野→古河(約60分)、湘南新宿ライン 新宿→古河(約70分)古河駅より徒歩15分、東武日光線 浅草→新古河(約70分)新古河駅より徒歩20分
入館料:一般 400円(団体20名以上 300円)、小中高生 100円
休館日:国民の祝日の翌日、年末年始、館内整理日(毎月第4金曜日)
開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
https://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/lifetop/kogameguri/art/3/3874.html

書いた人

岡山市出身、歴史学の博士号をもつ大の歴史好き。レトロという言葉だけでは語れない、戦前の日本文化を伝えたいと思っている。趣味は読書と街歩きと宝塚観劇と漫才で笑うこと。紺野ともという名で詩人もしている。