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Culture
2019.12.12

作者近松半二が観客に仕掛けた数々の伏線と罠。盛綱陣屋は推理劇の醍醐味を味わえる!演劇評論家・犬丸治さん解説

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演劇評論家の犬丸治さんに歌舞伎の見どころをレクチャーしていただくことで、より面白く歌舞伎を鑑賞してみましょう。今月は、国立劇場で上演中の「近江源氏先陣館」(「盛綱陣屋」)について教えていただきます。

文/犬丸治(演劇評論家)

「実は」を多用することで、その手法は頂点に達した。

国立劇場は、白鸚二十八年ぶりの「近江源氏先陣館」(「盛綱陣屋」)と、幸四郎の「蝙蝠の安さん」の二本建てです。方や重厚な時代物狂言、方やチャップリンを巧みに翻案した新歌舞伎を親子で手掛けるというのも、歌舞伎ならではの多様性でしょう。

とりわけ「盛綱陣屋」は、鎌倉時代の頼家(京方=豊臣秀頼)と時政(鎌倉方=徳川家康)に仮託しながら、大坂の陣での真田昌幸(=劇中の佐々木盛綱)幸村(高綱)兄弟の確執を描いています。義太夫もののズッシリとした手ごたえと、作者近松半二が観客に仕掛けた数々の伏線と罠を如何に解いていくかという、一種推理劇の醍醐味を備えた名作と言えます。

人形浄瑠璃は、「見世物」「仕掛物」的性格からか、ドンデン返しはじめ意表を突く展開で見物を驚かせたのですが、特に近松半二は「実は」を多用することでその手法が頂点に達した人でした。少年期から歌舞伎に耽溺していた三島由紀夫は「あの半二の、最後は全てがウソになってしまうところが堪らない」と漏らしていたそうです。しかし私は、半二が最後に残したのはウソではなく、さらにその先にある真実だと思うのです。

ウソの先にある真実

「近江源氏先陣館」では、最愛の我が子小四郎を敵の鎌倉方に生け捕られた佐々木高綱が怒りに任せて一騎駆けに打って出て討ち取られます。しかし鎌倉の総大将北條時政は「高綱には数知れぬ影武者がいる」と警戒し、弟の面体を知った盛綱に首実検を命じます。首桶を開けようとしたまさにその瞬間、囚われの身であった小四郎少年が「父の後を追う」と言って切腹します。しかし首は明らかに偽首。盛綱は甥とその向こうにいる弟高綱の深謀を悟って、主時政に「高綱の首に相違ない」と偽りの申告をするのです。

盛綱の決意は人間性の発露、「泥中の一蓮の花」とも映りますが、しかしこの物語、そんなに甘い話でしょうか。

例えば、京方の武将和田兵衛が陣屋を訪れ「小四郎を返して欲しい」と談判するのも、この和田兵衛の供に紛れ込んで、高綱の妻の篝火が小四郎に会いに来るのも盛綱たちに「高綱夫婦は小四郎に未練がある」と印象付け、高綱の影武者が一騎駆けする暴挙を納得させるためなのです。

さらに言えば、祖母微妙が小四郎に切腹させようとして小四郎が「命が惜しくなった」と逃げる、篝火も「我が子は殺さぬ、殺しはせぬ」と木戸口の外で祖母を必死に止めようとするのは、首実検より前に、証人の小四郎が死んでは困るからです。母子共謀の大芝居なのです。それを全て悟ったからこそ、盛綱は「教えも教え、覚えも覚えし親子が才知」と瀕死の小太郎を褒めたたえるのです。

たとえ兄弟、嫁同士、孫同士であっても寸刻も心を許せぬ修羅の世界に生きる佐々木家の人々を、半二は描き出したのでした。

もっとも、半二の筆は冷徹なばかりではありません。歌舞伎ではカットされていますが、原作本文では我が子の死を目前にした母篝火の痛切な嘆きが記されています。

「いかに武士の習いじゃとて、斯う斯うして自害せいと、教ゆる親の胴欲さ、可愛や初陣の初から、死に行く事合点して、『俺や侍の子じゃによって、討死するは嬉しけれど、死んだら父様や母様に、つい逢う事がなるまいかと、そればっかりが』と云ひさして、泣顔見せず勇んで行きしその立派さ」。

ここには、トリックの道具ではない生身の母親の哀しみが息づいています。私が「ウソの先にある真実」と述べたのはそこです。

八段目「盛綱陣屋」に続くのは九段目「大津舟宿」。この場面は歌舞伎でも滅多に上演されませんが、高綱は船頭二郎作、篝火は女房およつと名乗り潜伏しています。

小四郎の位牌に手を合わせる篝火を、夫は「ええ未練な」と叱りつけますが、妻は「お前ばかりの子かいな。私の為にも子じゃわいな。まだ年はもいかぬもの、こうこうせいと惨たらしい。父御の詞を子心に、大事大事と忘れもせず、立派にあった其時の、姿が今も目先に見え、何とこれが忘らりょう。わしゃ忘られぬ、得忘れぬ」と搔き口説きます。

これに対して高綱は「我とても肉縁の倅、不便にのうて何としょう。側でありあり見た其方より、見ずに案じた我が心、どの様にあろうと思う。骨は砕かれ身は刻まれ、肝のたばねへ焼金を、刺された様にあったわやい」と血を吐くような述懐をしています。この父親のひとことで、小四郎の魂は初めて救われたと言えないでしょうか。

その後高綱は、自分の身替りとなった百姓藤三郎になりすまして、その女房おくると夫婦だと偽り、なおも執念深く時政の命を付け狙います。これが続編としていまも上演される「鎌倉三代記」です。

歌舞伎の首実検・身替り劇の人を驚かすトリックの数々。その行間には、このような「隠されたドラマ」とその後の主人公の人生が無数に埋もれているのです。華やかな舞台に心奪われたかたは、活字で読めますから一度是非原作の浄瑠璃本文にあたって見られることをお勧めします。

公演情報

『近江源氏先陣館—盛綱陣屋』
『蝙蝠の安さん』

公演日:12月4日(水)〜26日(木)
公演時間:11時30分開演 ※開場は開演の45分前の予定です。
会場:国立劇場 大劇場
国立劇場公式サイト

犬丸治

演劇評論家。1959年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。歌舞伎学会運営委員。著書に「市川海老蔵」(岩波現代文庫)、「平成の藝談ー歌舞伎の神髄にふれる」(岩波新書)ほか。

書いた人

東京都港区在住。2001年『和樂』創刊準備号より現在に至るまで、歌舞伎及び、日本の伝統芸能を主に担当してきた。プライベートでも、地方公演まで厭わず追っかけてしまうほど歌舞伎や能・狂言、文楽が大好き。