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Culture
2020.01.11

日本昔話に見る女性像とは?西洋のお姫様との違いは?強く美しい日本女性から紐解く

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「昔々、あるところの、ある人」の物語として伝承されてきた昔話は、時代も作者も、さらには登場人物さえ明らかでないことがほとんどだ。

力持ちで面倒見の良い美人に、強い意志で運命を切り開いていく若い女性、いかなる苦労も子どものために耐え忍ぶ母親…。今回は、そんな名の知れぬ女主人公たちが活躍する日本昔話を紹介。

西洋のお話に登場する可憐なお姫様とはちょっとちがう、日本ならではの女性像に注目してみよう。

女性の活躍が目覚ましい日本昔話3選

相撲とりのトレーナーになった怪力女『大い子の握り飯』

昔、大い子という若くてきれいで、たいへん力の強い女がいた。
ある時、越前国の力士が試合のために都に登る途中で頭に水桶をのせて川から戻ってくる大い子を見つけた。

力士は、いたずら心から大い子の脇をくすぐろうとした。すると大い子、力士の手を脇の下に挟んでしまう。抜こうとしても力が強くていっこうに抜けない。「世の中は広い、まだどのような強い人が他の国から登ってくるかも知れません。私の家にいて、修行をしてから行った方がいいでしょう」という大い子の言葉をうけて、力士は「大い子の作った握り飯を食べる」という修行をすることになる。

ところが、大い子の作るおむすびが、とにかく硬い!
修行の成果もあり、次第に大い子のおむすびを食べれるようになった力士。「私の握ったむすびが、楽々と食べられるようになったら、もう大丈夫でしょう」大い子がそう言ってくれたので、力士は大喜びで相撲の試合へ出かけて行ったそう。

きれいで強くて、しかも面倒見もいい大い子。まさに理想的な女性ではないだろうか。物語には書かれていないけれど、もしかするとこの力士、大い子に惚れていたのでは?なんて想像も膨らむ。

運命なんかに振り回されない!人生を切り開いていく女性『炭焼長者』

釣り仲間の長者二人には、それぞれもうすぐ子どもが生まれる。
ある夜、片方の長者はふとしたことからお産を守り、運を授けに行く神様が話をしているのを聞いてしまう。聞けば、自分の子(男)は運が悪く、仲間の子(女)は運が良いという。月日がたち、神様の話を覚えていた長者は十八歳になった息子の嫁に運の良いという仲間の子と結婚させる。

娘は良い女房だったが、息子は遊び人。ある年の夏、旦那に昼のお膳を足で蹴飛ばされた娘は怒って「私はとてもここでは暮らせません!お膳とお椀だけもって家をでます」と言い残し去ってしまう。

やがて辿りついたのは、炭焼きの五郎左衛門の小屋。生活を立て直し、二人で仲良く暮らしていると、貧乏になった元旦那が訪ねてくる。女房は手厚く世話してやるが、相手は女房と気づかないばかりか失礼な態度をとる始末。すると女房はお膳とお椀を出して見せた。元旦那はそれを見て恥じ入り、舌をかみ切って死んだらしい。

強い意志と知恵を働かせて自分の道を選んで進む『炭焼長者』は、現代女性にエールを送る、ちょっと爽快な気分になる昔話だ。

我が子を守る愛情深い母親『手なし娘』

昔、ある仲の良い夫婦に一人の娘がいた。
ところが母親は亡くなり、娘を煩わしく思った継母は娘を追い出してほしい夫に頼む。そこで父親は娘を山へ連れて行き、娘の両腕を切り落として置き去りにした。
娘は川の水で傷を癒やし、木の実を食べて生きながらえた。あるとき立派な若者が通りかかり、娘を自分の家へと連れて帰り、二人は夫婦となる。子どもも生まれ、娘は幸せに暮らしていた。

その後、継母の策略で娘は赤ん坊をおぶり、家を出なければならなくなる。途方に暮れ、疲れ果て、娘は川の水を飲もうとした。すると背中の子どもが落ちそうになり、無い手で思わず子どもを守ろうとする。
そのとき、なかったはずの手がはえてきたのだ。妻子を探していた若者は、喜び、うれし泣きをし、その涙がこぼれたところに、美しい花が咲いた。

『手なし娘』に似た話は日本だけでなく、世界中にある。悪魔の罠にはまった父親が娘の両手を切り落とすが、娘を助けるために天使(あるいは神様)が現れて手を元通りにしてくれる…というのがおなじみのパターンだ。

だけど、日本と西洋とでは娘の置かれた状況や、手がもとに戻る理由にちがいがある。表現のちがいはどうして生まれたのだろう?

ヨーロッパと日本でちがう?昔話に描かれる女性像

日本の『手なし娘』は、悪魔も神様も魔女も登場しない。だからこそ、悲しみを味わい、苦しみに耐えながら生き抜く日本の『手なし娘』の姿はあまりに健気で哀れだ。
背中からずり落ちる我が子を受け止めようとする、とっさの動きのなかで手が生えるというのは現実には起こりえない出来事だけれど、驚きよりもさきに、母親の愛に胸が打たれる。

なにより、『手なし娘』『炭焼長者』『大い子の握り飯』に登場する女性たちに共通しているのは、芯が強く、器が大きく、人を育てたり世話したりと母性的なものを感じさせることだ。こうした彼女たちの描写に、日本人の心のありようが表れているように感じられる。

母親の愛情を描く昔話の起源は日本神話にあり?

「母性」を扱っている日本でもっとも古い昔話はなんだろう。
そのひとつに「古事記」のイザナミとイザナギの夫婦の物語が挙げられるかもしれない。

火の神カグツチはイザナミから生まれたが、火の神であるためにイザナミに致命的な大やけどを負わせてしまう。イザナミは苦しみながら亡くなるが、我が子であるカグツチにすべてを与え、満足のうちに死んでいった。

ここでは、ごく自然にわき上がる無償の愛、自分の命よりも大切な我が子への愛が表現されている。

日本の心理学者、河合隼雄(1928年-2007年)は日本人の母権的意識について、運命を呪うのではなく、耐え受け入れ、受け入れて待つときには運命は変化していく特徴があると指摘している。そして「日本には、与えられた運命を味わうことに生きがいを感じる独特の価値観がある」らしい。

日本昔話に登場する女性たちの強さの理由はどうやらここにありそうだ。

イマドキの女性像を昔話から学んでみては?

『手なし娘』では、子どもを守ろうとする娘の強い想いが、手をもとに戻す理由になる。きっと子どもへ向けられた母の愛情は世界共通だろう。

『炭焼長者』には、持って生まれた運命にはあらがえないこと、身に降りかかる苦しみに耐えなければならないという教訓が込められているのかもしれない。だけど、意思をもって立ち上がれば自らの手で運命を切り開くこともできるのだと、自分の生き方を選択し、旦那のもとを去った女性が身をもって示してくれている。

強くて、美しくて、健気で、母性的な女性たちが活躍する日本の昔話。女性の活躍が注目される昨今、昔話からわたしたちが学ぶことはまだまだたくさんありそうだ。

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。