Culture
2020.03.04

「六甲おろし」も「モスラの歌」も作曲。朝ドラ「エール」のモデルになった古関裕而ってどんな人?

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みなさんの幼児体験のなかで、覚えているメロディーとはどのようなものだろうか。お母さんや幼稚園・保育園の先生が歌う童謡?それとも子供向け番組の主題歌?近藤家4人きょうだいの上2人、わたしと弟はたいへんなおじいちゃん子であった。明治生まれの亡き祖父は、よく私たちに72回転の手回しレコードで藤山一郎や東海林太郎の歌を聴かせてくれた。そしてそれらが最先端の音楽だと勘違いしていたのである。「泳げたいやき君」よりもずっと流行の曲だと。なかでも好きだったのが古関裕而(こせき・ゆうじ)の作曲したものだ。その古関裕而をモデルにしたドラマが2020年3月30日から始まる。朝の連続テレビ小説「エール」(窪田正孝主演)である。

独学で音楽を学んだ福島の少年

古関裕而?誰それ?という人がいまではほとんどではないかと思う。しかし、古関裕而の作った曲を本当に知らない人はまれだろう。例えば東京ドームの最寄り駅である水道橋駅のホームに行ってみるとよい。発車メロディは「巨人軍の歌(闘魂込めて)」。これが古関裕而の作曲である。ほかにも「六甲おろし」として知られる「阪神タイガースの歌」や高校野球のテーマソング「栄冠は君に輝く」も彼の作品だ。

さらに古関は映画「ゴジラ対モスラ」でザ・ピーナッツが歌った「モスラの歌」や大根踊りで知られる「東京農業大学応援歌」の作曲もしている。交響曲や校歌、社歌まで実にさまざまな曲を数多く作曲した人物なのだ。そのなかでも個人的に思い入れが深いのは祖父が愛聴していた藤山一郎が歌う「夢淡き東京」「長崎の鐘」などである。

古関メロディをたくさん聴かせてくれた祖父に抱かれる生まれて間もないわたし

戦前の音楽家といえば、藤山一郎がそうであったように、東京音楽学校(後の東京藝術大学音楽学部)を卒業した者が多かった。しかし、古関は違っていた。

古関(本名は古關勇治、読みは同じ)は福島県福島市で呉服店の子供として1909(明治42)年に生まれた。父親が音楽好きで当時はめずらしかった蓄音器を購入。音楽が流れる環境で育ち、ほぼ独学で音楽を学んだという。また、小学校の担任が音楽好きで、音楽の指導に力を入れていたことも幸運であった。10歳になると楽譜を読めるようになり、作曲に夢中になっていった。小学校を出ると家業を継ぐため旧制福島商業学校(現在の福島商業高等学校)に入学したが、常にハーモニカを携帯し、学業より作曲に夢中だったという。作曲法の本を買っては勉強に明け暮れた。

そんな古関の曲が初めて大勢の前で演奏されたのは校内で行われた弁論大会のことである。古関が書き溜めていた曲を合奏用に編曲して、大勢で演奏することになったのだ。幼少期からの努力が報われた、そんな瞬間であったに違いない。

卒業を控えた時期、古関は福島ハーモニカ・ソサエティーに入団した。このバンドは日本でも有数のハーモニカバンドであった。ここで古関は作曲・編曲・指揮をまかされた。地元で開かれていたレコードコンサート(生演奏ではなく、集まってレコード鑑賞をする会)で近代音楽家の数々に出会って衝撃を受けたのもこのころである。とりわけリムスキー=コルサコフの「シェエラザード」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」に感銘を受けたという。ほかにもドビュッシー、ムソルグスキーに古関は惹かれ、足しげくレコードコンサートに通った。

実は、実家の呉服店が学生時代に倒産していたので、古関は卒業後の仕事を見つけなければならなかった。しかし作曲好きなハーモニカ青年には、まだ音楽で食べていけるだけの力もなければ、その道筋さえも開かれていなかったのだ。古関は川俣銀行(現在の東邦銀行)に入社した。それでも音楽をあきらめたわけではなかった。

就職して間もなく、古関は山田耕筰の事務所へ楽譜を郵送して手紙のやり取りを行った。また、福島ハーモニカ・ソサエティーの一員として仙台中央放送局(現在のNHK仙台放送局)の番組に出演した。これで縁ができ、仙台在住でリムスキー=コルサコフの弟子・金須嘉之進に師事することになった。古関は音楽の道を一歩ずつ進んでいったのである。

かぐや姫の訪れ、そして戦意高揚歌の作曲家として

1929年(昭和4)年、小関は管弦楽のための舞踊組曲「竹取物語」をイギリスロンドン市のチェスター楽譜出版社が募集した作曲コンクールに応募し、入賞を果たす。日本人初の国際的作曲コンクールにおける入賞であり、当時の新聞でも大々的に報道された。色彩的で斬新な曲だったという。残念ながら、この曲の楽譜は現存していないため、その豊かな音色を再現することはできない。

竹取物語を演奏したらかぐや姫がやってきた…というわけではないのだろうが、一人の女性が古関のもとに現れた。愛知県豊橋市の内山金子(きんこ)がその人である。新聞で古関の入賞記事を読んだ金子は古関にファンレターを書いた。それはそれは熱烈なものであったらしい。古関はその文面にほだされ、二人の文通は続いた。そして1930(昭和5)年、二人はついにゴールインした。ときに古関20歳、金子18歳。若い夫婦であったが、古関は妻を晩年まで愛し続けた。古関のかぐや姫は月に帰らず夫を大切にした。

結婚した年の9月、レコード会社・コロムビアの顧問・山田耕筰が古関をコロムビア専属の作曲家に推薦。これをきっかけに古関夫妻は福島から上京した。古関は山田の著書を以前から読んで尊敬していたので、その縁を大切に感じ、ありがたく思った。さらに、声楽家志望だった金子は上京後に帝国音楽学校へすすんだ。

音楽家としては順風満帆だった古関であるが、実家の破産以降、一族を養わなくてはならず、徐々に生活のための作曲に傾いてゆくこととなる。それまでクラシックを愛してきた古関には苦渋の選択であったが、作曲した「船頭可愛や」(詩:高橋掬太郎、唄:音丸)は大ヒットし、一躍人気作曲家となった。この歌は世界の舞台でも活躍した三浦環(「エール」では柴咲コウ演じる双浦環のモデル)も歌い、レコードを出した。

古関裕而『人間の記録18 古関裕而鐘よ鳴り響け』(日本図書センター、1997年)※現在は集英社文庫版が発売中

また、戦時中は古関メロディーのベースであったクラシックと融合した戦時歌謡(軍歌ではないが、戦意を高揚させる曲)を数多く送り出した。もっとも、古関の戦時歌謡はただ勇ましいだけではなく、「暁に祈る」など、どこか切なさを感じさせる曲調のものも多かった。しかしそれが受けた。日本人はすこし寂しくノスタルジーをそそる曲が好きなのだ。さらに言葉には出せないが戦争に傷つき、くたびれた人たちの心に深く刺さったのだ。古関自身も出兵し、当時の経験が「暁に祈る」や「露営の歌」に結びついたとのちに証言している。自分の曲が出征の折に流されることへのつらさも影響しているように思う。

戦後の明るい日本の象徴としての古関メロディ

戦争が終わると、戦意高揚のための曲作りの必要性はなくなった。しかし戦後の日本は暗く、古関は音楽によって日本を明るくしようと努めた。原爆投下の事実に基づいた映画「長崎の鐘」の主題歌や、戦災孤児をテーマとしてラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」は多くの人々に愛された。

そして、1964年開催の東京オリンピックの開会式で使われた「オリンピック・マーチ」や、いまでも使われている高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」など、古関メロディはスポーツにも深くかかわっているのである。

古関は日本を代表する歌手・藤山一郎、劇作家・菊田一夫など、自分の音楽を表現してくれる人たちにも恵まれた。藤山一郎の歌唱による「長崎の鐘」の壮大さ、「夢淡き東京」の軽やかさはこのコンビならではといえる。夢淡き東京は、戦争から復興しつつある銀座のまだ貧しい裏通りと、輝く聖路加(現在の聖路加国際病院、聖路加ガーデンのあたりと考えられる)の対比が、メロディでよくあらわされている。菊田一夫の脚本に音楽をつけた舞台「放浪記」は森光子の主演で、日本演劇史上・不朽の名作となったことはご存知の方も多いだろう。また、ラジオドラマ「君の名は」では生演奏での劇中伴奏を行っている。戦後の日本音楽のあらゆる箇所に、古関裕而は立っているのだ。同じく戦前から活躍していた古賀政男は、戦後になると演歌というジャンルを確立してノスタルジックな曲調を好む人々に訴えかけた。一方で古関裕而の音楽は、人々の心に寄り添いながら明るいほうを常に目指していたように感じる。

「栄冠は君に輝く」制定30周年となった1977(昭和52)年、古関の母校である福島商業高校が甲子園初勝利を挙げ、甲子園に招待されていた古関は、自らの作曲した校歌も聴くことができた。作曲家としてこのうえない喜びであっただろう。

戦後の日本音楽を支えてきた古関裕而は、1989(平成元)年8月18日に88 歳でこの世を去った。音楽葬では応援歌を作曲した早稲田大学、慶應義塾大学のの応援団がそれぞれの応援歌である「紺碧の空」と「我ぞ覇者」を歌った。連日、テレビやラジオでなつかしい古関メロディが流された。

古関メロディは歌い継がれてゆく

現在、JR福島駅の発車メロディは在来線ホームが「高原列車は行く」、新幹線ホームが「栄冠は君に輝く」をそれぞれアレンジしたものとなっている。古関のメロディは、古郷でも生き続けているのである。福島駅東口駅前広場に設置された生誕100年を記念しモニュメントは古関が愛用したオルガンを奏でる姿をかたどったデザインで、午前8時から午後8時までの1時間おきに、「栄冠は君に輝く」「長崎の鐘」などのメロディーが流れる仕組みになっている。

福島駅のモニュメント(写真AC)

まもなく始まる朝の連続テレビ小説「エール」では古関を窪田正孝、妻を二階堂ふみが演じる。どのようなストーリーになるのかに加え、各所に散りばめられるであろう古関メロディの登場がとても楽しみだ。阪神ファンでもないのに「六甲おろし」を歌い、巨人ファンでもないのに「闘魂込めて」を歌い、女子高育ちなのに「栄冠は君に輝く」を愛唱する。野球のルールはわからない。でも古関裕而がすごくいいよ!ということをみなさんにお伝えしたい。亡くなった祖父が教えてくれた古関メロディは、わたしのソウルミュージックなのかもしれない。

福島市古関裕而記念館

■開館時間:午前9時~午後4時30分(但し、入館は4時まで)
■休館日:年末年始(12月29日から1月3日)を除いて開館
但し、施設点検や展示替え等で、臨時に休館することがあるため、あらかじめご確認ください
■入館料:無料
■交通のご案内
●車の場合:(東京方面から)東北自動車道福島西インターから国道115号線・国道4号線経由で8.2㎞(約25分)、(仙台方面から):東北自動車道飯坂インターから国道13号線・国道4号線経由で7.7㎞(約20分)※駐車場は同じ敷地内にある福島市音楽堂と共用(70台)
●公共交通機関利用の場合:路線バス JR福島駅東口バスターミナル(2、3番乗場)より乗車し、「日赤前」停留所下車、徒歩約3分
http://www.kosekiyuji-kinenkan.jp/link/index.html