酒蔵や居酒屋の軒先に、大きな玉がぶら下がっていることがあります。
「見たことはあるけど、そういえば名前とか意味は知らないかも……」という人もいるでしょうか。
今回は、あの不思議な玉の謎に迫ってみます!
新酒を知らせる看板
この球体は、杉玉あるいは酒林(さかばやし)と呼ばれています。その名の通り、杉の葉を材料に作り上げた玉です。
日本酒は大抵、毎年秋に収穫されたお米を、冬から春先にかけての寒い時期に仕込みます。そうして醸造されたお酒を搾った時期に、新酒ができたと知らせるサインとして掲げられるのがこの杉玉です。
杉玉は最初こそ鮮やかな緑色をしていますが、時間が経つにつれて葉が枯れ、茶色がかっていきます。そしてまた新酒の季節になると、新しいものと替えられます。つまり、青々とした杉玉は「新酒ができました」「新酒を仕入れました」というお知らせなのです。
どうして杉なの? 日本酒と杉の関係
杉玉の意味がわかると、そもそもどうして杉が使われているのか疑問に思いませんか?
これには、奈良県にある大神神社(おおみわじんじゃ)が大きく関わっていると言われます。
大神神社は醸造の神様を祀っており、毎年11月に醸造安全祈願祭が行われます。
全国の酒造関係者が集うこの行事に併せて、拝殿と祈祷殿に掛けられた大杉玉(直径はなんと1.5m!)が替えられます。
この大神神社から全国の酒屋へ、杉玉を吊るす文化が伝わったとされています。
この神社は創建が有史以前とされ、『古事記』や『日本書紀』には主祭神の大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)が三輪山に祀られた伝承が記されているほどです。そのご神木が杉で、境内にはいくつもの杉が祀られています。古来より、大物主大神の力が宿ると言われたのが杉なのです。
また、『万葉集』では「味酒を三輪の祝がいはふ杉手触れし罪か君に逢ひかたき」と詠われています。「味酒(うまさけ)」は三輪の枕詞にあたり、古くより三輪山が酒や杉と結びついていたことが窺えます。
もう一つ、日本酒と杉の関係を語るのに欠かせないものが容器です。お酒を入れる樽の材料によく使われていたのが杉でした。杉の樽に清酒を入れると数日ほどで香りが移り、「木香(きが)」はお酒の風味の一部として楽しまれていました。ちなみに、大神神社と同じく奈良県にある吉野の杉は、江戸時代以降、樽の材料としてとても重宝されました。
杉は日本の固有種ということもあり、昔から日本人にとって身近な木材だったのでしょう。
日本の神様のお酒エピソード
日本神話では、たびたびお酒が登場します。現代でも神道では神様にお酒を供えていますが、神話の時代から人間にとってお酒は神様と自分たちを繋ぐ存在だったのかもしれません。
例えば、前項で取り上げた大神神社のご祭神である大物主大神。『古事記』や『日本書紀』には、崇神天皇が疫病に悩んでいたところ、夢に大物主大神が現れて「自分をきちんと祀れば国は安定する」というお告げを受けるエピソードが登場します。
指示通りに祀ったところ平穏が訪れ、崇神天皇は活日(いくひ)という人を掌酒(お酒を神様に捧げる役目)につけました。出来上がった神酒が天皇に献上され、活日は「この神酒は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸みし神酒 幾久 幾久」と歌を詠みました。天皇やその場にいた人たちも、「味酒」を織り込んで三輪の大物主大神を讃える歌を返しました。
同じく大神神社のご祭神であるスクナビコナも、『古事記』の仲哀天皇の段で「この神酒は 我が神酒ならず 酒の司 常世に坐す 石立たす 少名御神の 神寿き(後略)」と歌われています。どちらも「この神酒は私のお酒ではなく、神様の神酒です」と言われているのが面白いですよね。
また、美しい女神として有名なコノハナサクヤビメは、『日本書紀』は神吾田鹿葦津姫(カムアタカシツヒメ)として占いで定めた田から捕れた稲から「天甜酒(あまのたむさけ)」を作った記述があります。
そして忘れてはいけないのが、スサノオのヤマタノオロチ退治です。高天原を追われて出雲に降り立ったスサノオは、八つの頭を持つ蛇の怪物・ヤマタノオロチの退治を引き受けます。ここで活躍するのがお酒で、スサノオはお酒を入れた樽を八つ用意しました。ヤマタノオロチは八つの頭をそれぞれの樽に突っ込んでお酒を飲み、酔っぱらってしまいます。その隙に剣で切り刻み、見事に討ち取りました。
ヤマタノオロチ退治に見事貢献したこのお酒は「八塩折之酒(やしおりのさけ)」と呼ばれています。近年では、『シン・ゴジラ』でゴジラを倒す作戦名に使われていました。ちなみに、『日本書紀』では「菓釀酒」と書かれており、お米から作られた酒ではなく果実酒と見られています。
なお、杉玉とは関係ないでしょうが、『日本書紀』にはスサノオの抜いた髭が杉に変わるというエピソードが存在します。
ヨーロッパにもある新酒のサイン
さて、新酒を知らせる杉玉は日本の文化ですが、実はヨーロッパでも同じような新酒のサインがあるのです。
オーストリアには、200年以上の歴史を誇り、2019年10月にはユネスコの無形文化遺産になった「ホイリゲ」と呼ばれる文化があります。「今年の」を意味するこの言葉は、1年未満に造られたワインとそれを提供する酒場を表します。そして、その酒場の入り口の軒先には、目印として小枝の束がぶら下げられるのです。
もっとも、酒場の印に植物の束を用いる例はローマ時代にさかのぼり、居酒屋を兼ねた宿屋では酒の神バッカスの象徴としてキヅタの枝を束にして看板のように吊るしていたそうです。その文化が残ったからか、英語には「good wine needs no bush」(良いワインに小枝の束は要らない)という諺があります。このフレーズはシェイクスピアの『お気に召すまま』に登場し、「If it be true that good wine needs no bush, ‘tis true that a good play needs no epilogue.」(良いワインに枝の束は要らないというのが本当なら、良い芝居にもエピローグは不要でしょう)と語られています。
形は違えど、遠く離れたヨーロッパで、神様のシンボルとなる植物がお酒の目印として使われているなんて面白いですよね。
古今東西、人々に愛されてきたお酒。だからこそ、新しいお酒の到来を喜ぶ文化が各地にあるのかもしれません。
今は街中で杉玉を狙って見つけようとしてもなかなか難しいかもしれませんが、いざ出会うととても嬉しいものです。
皆さんも街中で若緑色の杉玉を吊るしたお店を見つけたら、ぜひ飛び込んでみてください!