演劇評論家の犬丸治さんに歌舞伎の見どころをレクチャーしていただいて、より面白く、興味深く、歌舞伎が鑑賞してみましょう。今月は、歌舞伎座で上演中の十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂『菅原伝授手習鑑 加茂堤』について教えていただきます。
文/犬丸治(演劇評論家)
ほとんど視力を失っていた、十三代目片岡仁左衛門の奇跡
「神韻縹渺」(しんいん・ひょうびょう)。
今月歌舞伎座で二十七回忌追善が催されている、十三代目片岡仁左衛門の「道明寺」の菅丞相(菅原道真)を評したことばです。そこはかとない、優れて深い趣き、というのでしょうか。十三代目は、昭和五十六年十一月国立劇場で二十年ぶりに「道明寺」を勤めました。私にとって仁左衛門は、セリフ廻しや仕種はじめ、独特のクセのある役者に映っていたのですが、老いはそれまでの無駄とアクをそぎ落とし、讒言によって筑紫に配流されるのを目前に、養女苅屋姫に悲痛な別れを告げるまでの丞相の哀しみを、類まれな格調で描いたのでした。
その精神性は、昭和六十三年二月歌舞伎座の再演でさらに掘り下げられていきます。既にほとんど視力を喪っていた老優の、それはまさに奇跡でした。そのさまは、ドキュメンタリー映像作家羽田澄子監督が長編映画としてありありと記録しています。
片岡仁左衛門の菅丞相、その動かない役を発酵した芸で魅せる!
この大役を三男である現仁左衛門が継いだのは平成七年、まだ孝夫といった頃でした。それから回を重ね、五年ぶり六度目の丞相ですが、私はひとつの高みに達したと思います。
ひとつは、前の場面である「筆法伝授」から通すことで、政治の荒波に翻弄される知識人・道真の苦悩がありありと浮かぶことです。キリストが十字架というひとびとの罪を背負うように、運命に抗わず、哀しみと苦悩を一身に引き受けることで、道真が「神」になる、という軌跡が鮮やかでした。
それを支えているのが、仁左衛門の鍛え抜かれた義太夫狂言への素養です。父十三代目は、父親で戦前の劇壇の大立者だった十一代目をはじめ、多くの名優から人柄を愛され、型を学びました。現仁左衛門の昨年の「実盛物語」「盛綱陣屋」「渡海屋・大物浦」「封印切」「引窓」の舞台を観ると、その父以来の教えが、いま仁左衛門の身体のうちに沸々と発酵しているさまを見るようです。
菅丞相は「動かない役」と言われています。文楽の人形遣いの名人吉田栄三が、これまた名人の四代目鶴澤清六の三味線で丞相の人形を遣いました。余りに素晴らしい出来に、観た人が栄三の楽屋へ行くと「あきまへん。あれ三味線が先歩いてますわ」。「道明寺」の終段、丞相が館を出立するところです。別れを惜しむ丞相は「時よ止まれ」とばかりに歩を進めたくないのです。「三味線が歩いているから、遣われしません」。余情を残して人形を遣えない、ということです。まして生身の役者は、ジッと端坐したまま、周囲の出来事を肚の内に収めて、無言のままで想いを観客に伝えなければならないのです。そのためには、義太夫で鍛えた肚が必須なのです。
初演四半世紀にして、父とはまた違う丞相像を
さらに今回感心したのは、その精妙なセリフ廻しです。菅丞相のような高貴な役は「公家言葉」とよばれる高音の音遣いが必要です。終幕、せめて最後は愛娘に対面を、と苅屋姫の小袖を掛けた伏籠の内に姫を忍ばせます。姫の泣き声にそれと悟った丞相の「子鳥が鳴けば親鳥も」というセリフ、今回の仁左衛門は振り絞るような絶唱です。それまでに、仁左衛門は「中なる香はきかねども、銘は大方伏屋、か、か、り、や」で苅屋姫を、「伯母御前より道真が申し受けし女子の小袖」も「おなごのこ、そ、で」と「女子の子」を、セリフで十二分に粒立たせていて、それが全てこの「子鳥が鳴けば‥」の情愛に効いてくるのですね。これだけでも、観に行く価値があります。初演四半世紀にして、いまの仁左衛門は父とはまた違う丞相像を創ったのです。
浄瑠璃は、物事の由来を紐解く
ところで、「道明寺」と言いますが、この幕の舞台面は、夫亡き後男勝りの老女・覚寿が守る河内郡領の館であって、お寺ではありません。これは、劇界の通称で、劇中覚寿が娘立田と婿宿彌太郎の死に世を儚み、髻を切って庵主になること、最後の「道明らけき寺の名も、道明寺とて今もなほ栄へまします御神の、生けるが如き御姿、ここに残れる物語」と、縁起を語っているくだりに拠っているのです。文楽では「丞相名残」と呼んでいます。熊谷直実が敦盛(実は我が子小次郎)を討つ「組討」の場面を「壇特山」(だんとくせん)と言うのもおなじで、義太夫の詞章から採ったもの。「壇特山」は本来インドの地名です。
浄瑠璃は、物事の由来を紐解くという性格がありますが、「道明寺」は、掘り起していけばいくほど、様々な古層が見えてきます。たとえば、敵役土師兵衛と宿彌太郎親子の名前は、古代の豪族「土師宿彌」を分解したもの。天皇への殉死を禁じる代わりに埴輪を発明したのは土師氏で、そこから道真の菅原氏が分かれていったのです。つまり、この芝居は宮中で出世した菅原一族に対する、土着の土師氏の復讐劇ともとれるわけです。さらに、丞相が三度まで掘り直し、魂を込めた木像は、土師氏の埴輪にも通じるのではないでしょうか。
そして、池に沈む立田の死骸の上で、時ならぬ刻を告げるニワトリ。こうした奇怪な古俗を、当時の浄瑠璃作者は良く知っていたと感心しますし、それが冷凍保存されているのが、歌舞伎と文楽の尽きせぬ面白さなのです。
滅びゆく古代豪族の館で、未明のひとときに相次いで起きる怪奇と悲劇。このドラマを二十一世紀のいま、眼前で楽しめるのは、仁左衛門ら歌舞伎役者たちの血と肉があればこそなのです。劇場で是非一度この奇跡を目撃されるよう、お薦めしたいと思います。
公演情報
<歌舞伎座2月公演>歌舞伎座
十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言
昼の部11:00開演
『菅原伝授手習鑑 加茂堤』
『菅原伝授手習鑑 筆法伝授』
『菅原伝授手習鑑
道明寺』
歌舞伎座公式サイト
<2月文楽東京公演>国立劇場(小劇場)
第一部11:00開演
『菅原伝授手習鑑』
車曳の段
茶筅酒の段
喧嘩の段
訴訟の段
桜丸切腹の段
国立劇場公式サイト
犬丸治
演劇評論家。1959年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。歌舞伎学会運営委員。著書に「市川海老蔵」(岩波現代文庫)、「平成の藝談ー歌舞伎の神髄にふれる」(岩波新書)ほか。