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2020.04.02

エレベーターガールならぬボーイも登場!?創業150周年の百貨店・松屋のやんちゃな実験

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「百貨店がオワコンなんて勘違いだ!」と「百貨店が危機」というニュースを見るたびに、こぶし握りしめるわたし。百貨店がだいすきです。むかしのように屋上で遊ぶことはできませんが、いつだってキラキラしたものがいっぱいあふれていて、風情を漂わせる建築におしゃれな店員さんたちがいる場所。お財布に風が吹いている時だって、見ているだけで気分がアガるし、もちろん買えたらとってもうれしいし。
百貨店がニュースなどで「岐路に立たされている」「古い」「高すぎて買えない」などといわれはじめてから、ずいぶん経ちます。たしかに売り上げ面などで苦戦していることは否めません。でも百貨店は懸命に努力をしているんです。
東京・銀座と浅草に店舗をかまえる老舗百貨店・松屋は2019(令和元)年に創業150周年を迎えました。これを機に始めたのが「百貨店、実験中。」という試みです。いったいどんなことが行われているのか、150年の歴史とともにみてゆきましょう。

1. 松屋の沿革~銀座の顔になるまで

松屋の前身は松屋呉服店といい、初代古屋德兵衛が1869(明治2)年に横浜で「鶴屋呉服店」を開業しました。その後、1889(明治22)年に神田今川橋の松屋呉服店を買収、翌年今川橋店として開店し、東京進出を果たしました。

洋風3階建ての今川橋店(1907[明治40]年)

1925(大正14)年には銀座店を開店。1931(昭和6)年には東京初のターミナルビルとして浅草店が東武線・浅草駅の駅ビルに、銀座店とは対照的に庶民的な百貨店として開店しています。この2店舗の開店が松屋における発展期であるといえるでしょう。

銀座店開店(1925[大正14]年)

しかし当時から銀座は百貨店激戦区。1924(大正13)年から銀座に出店していた松坂屋に加え、1930(昭和5)年には三越も支店をつくって進出してきたことにより、銀座の百貨店はしのぎを削りはじめていたのです。

そのなかで、松屋はどのように店舗をつくっていったのでしょうか。

松屋の特徴としてまず注目されるのは、店舗の建築です。とくに銀座店は当時としては高い8階建てで、「東洋一」といわれた設備を誇る建物として誕生しました。内部の中央には巨大な吹き抜けがあります。この吹き抜けは現在も松屋を語る際に欠かせないものですが、当時からモダンな雰囲気を醸し出していたのです。

銀座店開店当時の中央ホール(1925[大正14]年)

ほかにも「流行研究会」「商品研究会」と呼ばれる組織を社内に設け、商品開発や研究に努めました。研究会においては自社製品にかかわる調査・研究・開発が行われ、シャツやネクタイなどの販売につなげていました。これらの事例に見られるように、銀座の百貨店として流行の重要性をかなり意識していたように感じられます。それを裏付けるものとして、以下のような記述もみられます。

兎に角年中研究してゐなければ駄目だ、斯ういふ激しい競争の中にあつては、若し心に緩みがあつたら人後に落ちるに決まつてゐる、常に積極的に積極的にと進んで行かねばならぬことは言を俟たない。例へば品物の流行といふことについても、この商品は前年によく出たけれども、今日では余り出ないといふ事になるから、それを改良する事に努力しなければ、他に圧倒されることになる。それを指導するのが熟練者の力なのである。一面に於て斯ういふテンポの早い時代には製造方にも余程注意して戴かなければ製造方それ自身が墓穴を掘ることにもなり、こちらにも影響して来る訳である

「品物の流行と研究」関宗二郎『松屋発展史』デパスト社、1935年より

1927(昭和2)年に松崎天民『銀座』、1931(昭和6)年に安藤更生『銀座細見』という2冊の著名な銀座ガイドブックが出版されました。両書によると、当時すでに松屋は銀座を代表する百貨店として登場していたことがわかります。このころは郊外住宅地の開発にともなって、百貨店が支店網を拡大していきました。このため、新宿を筆頭に、百貨店の密集地域が既存の日本橋・銀座以外にも生まれつつありました。

2. 松屋を舞台にした映画があった!

日活太秦撮影所の制作による『銀座セレナーデ』という映画が1930(昭和5)年に公開されました。
新聞、雑誌等の記事によれば、この映画は松屋の宣伝部が全面的にバックアップしたものとされています。松屋には映画協力をしたことしか記録に残っておらず、どの程度の後援を行ったのか、詳細はさだかではありません。

当時の新聞や雑誌の記事によると、1929(昭和4)年に『東京行進曲』が映画の主題歌とともに大ヒットしたことから、映画と主題歌をセットで売り出す企画が相次いでおり、その流れの中で生まれたようです。目論見は成功し、映画中で歌われる同名の主題歌がヒットしています。当時は無声映画からトーキーへの移行期であり、パートトーキーとして、歌唱するシーンのある映画は効果的だったのでしょう。

映画は、メインキャストが松屋で働いている設定であったため、映画は閉店後の店内で撮影されました。『キネマ旬報』の「撮影所通信」に沿って撮影の進み具合を追っていくと、制作決定の後にキャスティング行われ、すぐにクランクインしています。長倉祐孝原作・脚色の「銀座小唄 銀座セレナーデ」とタイトルも決まり、キャストは入江たか子、相良愛子、峰吟子という顔ぶれ。「銀座松屋の厚意により、同店全階を使用し大夜間撮影」を行ったことが『キネマ旬報』に記録されています。

映画は7月中旬に完成、8月初めに封切られました。映画が封切られた富士館は浅草の映画館。映画が公開された翌年の1931(昭和6)年、松屋は浅草駅に支店を開店していますから、前宣伝として松屋を印象付ける目的があったのかもしれません。

浅草店は屋上にスポーツランドを備えており、屋上遊園のさきがけとして有名な場所です。娯楽を求めて百貨店をおとずれる層に松屋は強くアピールする部分を備えていましたが、さらに映画によってファッション(=流行)の発信地としての存在をも周知したいと意図していたのでしょうか。

百貨店が衣裳協力等を行った映画はそれ以前にもあったようですが、本編に実際の百貨店が登場する映画は大変まれでした。さらに、全国公開されたことで、日本中に松屋の名前が普及する一翼を映画が担ったと考えられます。映画によって松屋は全国区の百貨店になろうとしていたことが推察されるのです。

3. 戦後の松屋 デザインとファッションの精神が根づいた百貨店へ

戦後の松屋は銀座店と横浜店を米軍に接収され、それは7年間にも及びましたが、厳しいなかでも細々と営業を続けました。ようやく接収が解除されると、1953(昭和28)年には全館新装オープンしてモダンな外装に。1964(昭和39)年には、銀座3丁目の1ブロックを占めるほどの大増築を行います。

1964(昭和39)年 銀座店大増築完成

また「デザインの松屋」をイメージづける「グッドデザインコーナー」が1955(昭和30)年に新設されました。

リニューアルも繰り返し、常に先端であり続けており、1984(昭和59)年の銀座開店60年に際しては「生活文化創造集団」を松屋グループの企業理念に採用しています。さらに1989(平成元)年の銀座本店全面リニューアルにともない、「生活デザイン百貨店」をストアコンセプトとしました。ファッションにももちろん力を入れ続けており、2001(平成13)年にグランドリニューアルオープン。「+F」をコンセプトに、ファッションに強い店を打ち出しました。

銀座店で過去4回行われている「銀座目利き百貨街」は、日本デザインコミッティーの会員が交代で店主となって展開されます。「目利き」は真贋を判定するアカデミックな鑑定眼という意ではなく、個性的な仕事をしている店主ひとりひとりの目を活かして、商品を選定している点に由来しているとのこと。

このもとになっているのが「デザインコレクション」です。デザインコレクションは1955(昭和30)年、日本デザインコミッティーと松屋が立ち上げたセレクトショップの草分け的存在。2011(平成23)年8月にリニューアルオープンした折には店舗内装をプロダクトデザイナー・深澤直人氏、照明を建築照明デザイナー・面出薫氏、グラフィックスをグラフィックデザイナー・佐藤卓氏という錚々たるメンバーが担当しました。商品はすべて日本デザインコミッティーのメンバーが選び抜いたもので、デザインをより理解するため、すべての商品にメンバーによる解説コメントがついています。

また、創業150周年にあたり、デザインに関するあらたなチャレンジとして行っていることがあります。それが、六本木・東京ミッドタウンにある21_21 DESIGN SIGHTで開催中の「マル秘展 めったに見られないデザイナー達の原画」の特別協力です。デザインの過程において生み出されたスケッチ、図面、模型など「秘められた部分」の展示はネットなどでも話題になっており、会期が当初の予定よりも2カ月も伸びるほど好評を博しており、松屋とデザインの関係を知るうえでも見逃せない展覧会だといえるでしょう。
※21_21DESIGN SIGHTの開館日や開催スケジュールはホームページでご確認のうえ、お出かけください。

4. 魅力的な展覧会も「銀座らしさ」を心がけて企画

近年、松屋を訪れるたびにとても印象的だと思っているのが、銀座店8階にあるイベントスクエアでの展覧です。2019(令和元)年「デビュー50周年記念『萩尾望都 ポーの一族展』」、2018(平成30)年「~サイリウムが照らす未来~ ももいろクローバーZ 結成10周年記念展」など、サブカルチャー的な展覧会を多く行っているのが特徴的、かつすべてデザイン性が高くスタイリッシュな展示なのです。

なかでも2014(平成26)年に行われた「誕生50周年記念 ぐりとぐら展」は子どものころからだいすきだった『ぐりとぐら』の世界にひたることができ、至福の空間でした。人生でもっとも印象的な展覧会のひとつだといっても過言ではありません。

バブル期には多くの百貨店の上のほうの階に展覧会場があり、それを見てから売場を訪れる人の様子が「シャワー効果」といわれましたが、いまではそうした場所もすっかり少なくなっています。だからこそずっと残ってほしい8階イベントスクエアでの展覧会。今後も「え、これやるの!?」「絶対見逃がせない!」と思わせる展覧会が続々開催予定です。詳細はホームページでチェックしてください。

5. 松屋が行う「百貨店、実験中。」ってどんなもの?

百貨店としてデザインやファッションを研究し、実践し続けてきた松屋は、創業150周年を記念して「百貨店、実験中。」という試みを行っています。ホームページによると「生活を豊かにするお手伝いを、たくさんの実験を通して考えます。多少のやんちゃはご勘弁を。どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。」とあります。

2020(令和2)年3月現在、50もの実験内容が掲載されており、例えば「毎日の清掃を、ゲームにする。」という実験は、「『キレイのバケツリレー』は、クルーの結束を強める?」という仮説のもと、ユニークな売場美化活動が行われているようです。

背景には創業150周年を迎え、中期経営計画で「デザインの松屋」を掲げたことがあります。「デザインの松屋」とは、松屋が実現したいことを「デザインによる、豊かな生活。」と定め、「デザイン」の定義を「気遣い」と位置づける考え方です。「気遣い」とは先々のことを考えて判断し、実行に移していくことを指し、お客様への心地よいサービスと接客、売場づくりを考えること、効率のよい仕事の進め方を考えること。その一つひとつの「気遣い」すべてが、「デザイン」と松屋では考えています。

松屋ではこれをもとに、生活を豊かにするお手伝いをいろいろな「実験」を通して考えることとしました。これまでの習慣にとらわれない新たなチャレンジをすることは、伝統と革新を続けている銀座の街にふさわしい取組みだといえます。

昨年9月にスタートして以来、多くの実験を実施しています。松屋の広報担当のかたに、なかでも反響が大きかったという4つの実験について伺いました。

① 六本木店を出す。
2019年11月22日(金)から2020年1月13日(祝・月)までの間、松屋銀座7階のデザインコレクションが東京ミッドタウン21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3に期間限定店舗を出店しました。「DESIGN COLLECTION by MATSUYA GINZA」と名づけられたこの店舗は、松屋銀座の顔とも言えるデザインコレクションの第2号店として、「デザインの松屋」の考え方をより多くの人に届けるためのもの。

「銀座から六本木へ場所を変えると、来てくださるお客さまはどう変わるのか?」――新しい出会いに期待する、売場移動の実験として行われました。

「六本木・東京ミッドタウンの21_21 DESIGN SIGHTにいらっしゃるのは、銀座とは異なる20代~30代の若い方が中心でした。アートやデザインに関心の高いかたが多かったため、松屋銀座の『デザインコレクション』を知っていただくにはたいへんよい機会になりました。ご来店いただいたなかには『ふだんは銀座に行く機会がない』というかたも多かったのですが、『これを機に足を運んでみたい』という声もたくさんいただきました」(松屋広報)

スタイリッシュさに目を奪われる「DESIGN COLLECTION by MATSUYA GINZA」

「銀座に行かない」という若い人は増えている気がします。別の場所で接点をつくって銀座に人を呼び戻すという試み、時々行えば効果があるかも。

② 福袋だけの「売場」をつくる。
2020(令和2)年1月2日(木)の10時30分から、松屋銀座7階特別室で「招福部屋」を開催しました。「招福部屋」は、約200点もの商品が並ぶなかから3万円分を自由に組み合わせ、自分だけのオリジナル福袋を作れる売場です。ブランド牛や松屋オリジナルワインなどの食品、カシミヤのニット、コート、雑貨、有名ブランドシューズなどの婦人・紳士服、さらに有名ブランドの家庭用品やベビーカーなど、松屋銀座各階からバラエティ豊かにあつめました。

百貨を揃えるこの「招福部屋」は、「いつもの初売りをさらに盛り上げられるか」という実験でした。

バラエティに富んだ「招福部屋」の様子

「当日は整理券配布と同時に完売しました。いつもなら何が入っているかわからない『福袋』の中身をあえて見せるだけではなく、ほしいものだけを組み合わせて買うことができるという、いいことづくしの商品です。お客様も試着したり品定めしたりしながら買い物を楽しんでいらっしゃいました。EC(インターネット通販)が発達し、クリックひとつで買い物を済ませることができる時代に、リアル店舗ならではの楽しさを体感していただくことができたよい企画だったと思います」(松屋広報)

これはよい試み!福袋を見ると「買いたい!」と思うけれど「ほしくないものが入っていた」「サイズが合わなかった」など、過去の経験から最近は買わなくなってしまいました。でもこれなら安心して買えます。お正月の楽しみが増えそうですね。

③ 「一点モノ」だけを、売る。
創業150周年を迎えた2019(令和元)年11月2日~12日、1階婦人雑貨売場でアクセサリーと帽子の「一点モノ」だけを売る「150展」というイベントを開催。ふだんは多くの種類のものを売る店=百貨店が、商品を絞って展開してみると反対に際立つのではないかという仮説に基づく実験です。

デザイン性の高さを感じさせる「150展」の売場

「70名のデザイナーの皆さんが松屋の創業を記念してご協力くださり、計150点の『一点モノ』を美術館のようにケースに展示・販売しました。時にはデザイナーさんが自ら接客・販、結果的に7割以上の商品が売れ、成功に終わりました。お客さまからは『デザイナーと直接話すことができ、作り手の思いが聞けたのでうれしかった』と言っていただきました」(松屋広報)

いいですね!やはり「一点モノ」はうれしいですし、デザイナーさんと話せた!という体験も付加価値になりそうです。

④ なつかしい「おもてなし」を復活させる。
百貨店のかつての名物といえばエレベーターに乗っていて行先を告げるとその階まで案内してくれる「エレベーターガール」です。昭和初期、松屋には「エレベーターボーイ」もいました。それらの復活は、百貨店を盛り上げる?という仮説のもとでこちらの実験は行われました。

このおもてなしが復活したのは、11月2日~4日に実施した「創業150周年記念 GINZA ANNIVERSARY 松屋の文化祭」。「松屋の文化祭」はこれ自体が「百貨店は、心踊る場所である」という原点に立ち返り、「お客さまの心をより躍らすことができるか?」という実験でした。ここでは計7つの実験が行われましたが、なかでもエレベーターガールの復活は訪れる人たちの目を引いたようです。

エレベーターガールとエレベーターボーイが勢ぞろい。制服がかわいい

「1964(昭和39)年、1979(昭和54)年、1986(昭和61)年という3つの時代のエレベーターガールの制服を忠実に再現し、お客さまをご案内しました。テレビや新聞でも取り上げられ多くのお客さまにご来店いただきました。お客さまにはなつかしさを感じていただけたり、エレベーターガールにお声がけくださったりできました。また、松屋のエレベーターガールOGの方がおとずれてくださることもありました。思わぬコミュニケーションが生まれました」(松屋広報)

わたしはエレベーターガールが案内してくれる時代を子どものころに体験しており、いまだに自動運転のエレベーターで「あれ?なにか足りない…」と思うことがあります。むかしはあこがれの職業だったエレベーターガール。時々復活してくれるとうれしいだろうな、などと思いました。

松屋の実験では、2020年という今の時代に即したものから懐かしさを感じさせるものまで、さまざまなことが行われています。また、150年の歴史を経てなお変わらない「銀座」と「デザイン」にかける思いが伝わってきました。
こうして百貨店ののれんを守ってきたのでしょう。「多少のやんちゃはご勘弁を。どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです」との言葉とともに実施されている松屋の「百貨店、実験中。」。まだしばらく百貨店は元気でいてくれるような頼もしい気分にさせてくれます。

取材協力:株式会社松屋 広報課

●百貨店、実験中。
http://www.matsuya.com/150th/

書いた人

岡山市出身、歴史学の博士号をもつ大の歴史好き。レトロという言葉だけでは語れない、戦前の日本文化を伝えたいと思っている。趣味は読書と街歩きと宝塚観劇と漫才で笑うこと。紺野ともという名で詩人もしている。