Culture
2020.04.29

ゆきひら鍋とは?語源は平安時代の貴族の名前!「雪平鍋」と「行平鍋」の違いも解説

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コロナウィルス感染拡大の影響で、自宅で過ごす時間が増えている人は多いことでしょう。私自身も、ほぼお籠もりの状態です。今まで経験したことのない状態に戸惑ったりしましたが、のほほんと過ごすしか無い! と開き直ることにしました!すると、普段は見過ごしていた些細な事が気になり始めたのです。この道具って、無意識に使っていたけど人の名前なんじゃないの? なんで、人の名前? 疑問がムクムクと膨らんできたので、調査してみることにしました! 

行平って誰なの?

まず目についたのが、この鍋。家庭に1個はあるというメジャーな鍋です。私は野菜や卵をゆでたり、味噌汁やスープを作ったりと、ほぼ毎日のように使っています。軽くて片手で持てる小ぶりな大きさで、使い勝手がいい優れもの。この鍋の「行平鍋」という名前が引っ掛かりました。「行平」というからには男性だろうと想像できますが、一体何者なんでしょう?

行平とは百人一首にも登場する歌人だった!

何か手掛かりはないかと、家の中を捜索したところ、百人一首の札の中に「中納言行平(ちゅうなごんゆきひら)」の名前が! ん? 行平? 行平って歌人だったんですね。平安時代の貴族で、国の最高決定機関のメンバーだったよう。百人一首の歌は、『立別れ いなばの山の 嶺(みね)におふる まつとし聞かば 今帰り来む』。行平は因幡の国(鳥取県)の国司に任命されますが、出立する時に別れ別れになる恋人に送った和歌だそうです。

ちなみに同じく百人一首に和歌が選ばれた在原業平朝臣(ありはらのなりひらあそん)は、弟なんだそうです。この業平は美男子でプレイボーイだったと伝えられ、平安初期の歌物語『伊勢物語』のモデルと言われています。『ちはやぶる 神代(かみよ)も聞かず 龍田川 から紅に 水くくるとは』この和歌は有名なので、聞いたことがある人は多いと思います。奈良の龍田川に舞い落ちた紅葉が流れる様子は、神々が住み不思議なことが起こっていた時代でさえ、これほど美しい光景はなかっただろうという意味です。ロマンチストだったのがうかがえますね。

鍋の名前の由来は美人姉妹との色恋沙汰!

さてさて、何者かは解明できましたが、なぜ鍋にその名前がつけられたのでしょうか? それは行平のある不運な出来事がきっかけだったようです。順調に出世階段を登っていた行平でしたが、第55代・文徳(もんとく)天皇の機嫌を損ねて、須磨(現在の神戸市須磨区)へ配流されてしまったのです。都から離れて傷心の行平を慰めたのは、多井畑(たいはた)という村長(むらおさ)の娘、「もしほ」と「こふじ」の美しい姉妹でした。

中納言行平朝臣左遷須磨浦逢村雨松風ニ蜑戯図第』より国立国会図書館デジタルコレクション

ある時2人が、塩を作るために海岸へ汐汲みに通っていたところ、行平が2人を見初めて松風(まつかぜ)、村雨(むらさめ)という名前を与えて身近に召します。楽しい日々を過ごしますが、やがて行平に因幡国への赴任の知らせが届きます。行平は松の木に狩衣と烏帽子をかけて、立ち去っていくのでした。この時に愛する姉妹に送ったのが、先に紹介した百人一首の「あなた方がいつまでも私を愛し待ち続けてくれるなら、今すぐにでもあなた方の元へ帰ってきます」という和歌だったのです。

中納言行平朝臣左遷須磨浦逢村雨松風ニ蜑戯図第』より国立国会図書館デジタルコレクション

結局、行平は二度と須磨の地を踏むことはありませんでした。しかし健気な姉妹は、行平が去った後も彼を慕い続けました。行平の居宅のそばに粗末な庵を結び、観世音菩薩を祀り、行平の無事を祈りました。この庵の跡は、松風村雨堂として現在も残っています。姉妹の悲しい恋物語は、能の名曲「松風」に使われていて、人気の高い演目です。行平は弟の業平同様、中々のプレイボーイぶりです。時代が時代だけに、姉妹の間に愛憎とかはなかったのでしょうか? 気になるところです。

行平が姉妹に塩を作らせるのに使った鍋に、行平の名前がつけられ、現在に繋がっています。元はこの鍋に海水を入れ、塩を焼いたと伝えられ、雪のような塩ができたことから「雪平鍋」とも呼ばれます。

「須磨」「配流」というと、源氏物語の須磨の巻が連想されると思いますが、この姉妹との恋愛が元になっているのではと考えられています。弟の業平が光源氏のモデル説もあり、作者の紫式部は、見目麗しい兄弟を眺めながら物語を紡いでいたのかもしれません。

他にもあったよ! 人名のグッズが!

他にも人名の物ってないかなーと部屋の中を物色すると、ほこりをかぶったまま放置されていた孫の手を発見。気になって調べてみたら、本来は「麻姑(まご)の手」なんだとか! 何、何、怪しい! 「麻姑」って誰なの?

麻姑の手とは、仙女の手!

麻姑とは、中国の西晋・東晋時代の書『神仙伝』に出てくる仙女の名前のようです。若く美しい容姿で、鳥のように長い爪をしていたと伝えられています。漢の孝恒帝の時代に、仙人の王遠がかつて修行を授けた祭経(さいけい)の家に下っていたのですが、しばらくして妹の麻姑を呼び寄せます。すると、祭経は「麻姑の爪で背中を掻いてもらえたら気持ちいいだろうな」と思ったそうです。王遠は、「麻姑は仙女なのに、何を考えておる!」と邪念を持った祭経を叱りました。このような故事から、届かないところを掻く道具を「麻姑の手」と呼ぶようになったようです。

日本に伝わると、なぜか爪の部分が短くなった形状で「孫の手」と呼ばれるように。家の中で人名グッズ探しは、意外といい暇つぶしになりますよ。皆さんもいかがですか?

書いた人

幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。十五代目片岡仁左衛門ラブ。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。