1853年に開国した日本。その13年後にあたる1868年に維新となり、改元され「明治」の時代へと突入。明治は1912年まで続きます。
江戸から明治へ、時代が変わった途端にみんなが洋服を着るようになったわけではありません。文化は元号を境にぷっつりと断絶された訳ではなく、ゆるやかに変化していきました。平成から令和へと時代が変わった今、なんとなくその感覚がわかるのではないでしょうか。
葛飾北斎ら世界に誇るアーティストを生み出した大衆文化「浮世絵」の世界も同じです。浮世絵といえば江戸時代の文化と思われがちですが、明治に入ってからも多くの作品が刷られました。
「え、浮世絵? 古い版画でしょ? 興味ないなぁ〜」
そんなあなたに、見てほしいのです!
幕末から明治にかけて刷られた浮世絵を。
まずはこの作品。
構図といい配色といい、まるで映画のワンシーン。
お次は、サーカスを描いた浮世絵。
現代のお菓子のパッケージにあってもおかしくないモチーフと色使い。
「浮世絵」と聞いて、ピンとこなかった人も、少し興味が湧いたでしょうか?
この記事では、浮世絵の世界の「入り口」として、1856年〜1890年の34年間に描かれた色鮮やかな浮世絵を、時代を遡りながら紹介します。ナビゲーターは、美大出身なのに浮世絵の知識ゼロ、わたくし鳩でございます。「これはZOOMの背景にしてもイケてる!」と思うかどうかを判断基準に、30点選んでみました。
なお、この記事で紹介する浮世絵は、シカゴ美術館とメトロポリタン美術館から探したパブリックドメインの作品です。バーチャル会議の背景やパソコン、スマホの壁紙にも活用できます。この記事を読んで浮世絵に興味が湧いたら、ふたつの美術館のサイトを探索して、あなたのお気に入りをみつけてみてください!
1.帝国議会のなんと華やかなこと!
第1回衆議院議員総選挙が行われた1890年。政治家たちの身だしなみは、七三分けのヘアスタイルに、立派な口髭、背広に手袋が定番だったようです。現代の政治家、国会のイメージよりも、ゴージャスな印象を受けます。
アップにすると、間違い探しみたい。
2.洋服を着た子どもたちが遊んでる!
1887年は、国産ビール会社の数がピークに達した時期。こちらの作品は、ご婦人たちのドレスと梅の花が優美な一枚。雪の中で遊ぶ子どもたちと犬の描写がリアルです。
3.まるで映画のワンシーン。火消しの背中に惚れる!
江戸時代の消防組織「町火消」は、明治に東京府へ移管され「消防組」となりました。さらに1873年、新設された東京警視庁に移され、これが明治の消防の組織活動の基礎となったのです。この作品で描かれているのは江戸時代の火消し。大火事の多かった江戸時代では火消しは花形の職種でした。
4.レトロなサーカス、こんなプリントの包装紙ほしい!
日本に初めてサーカスが訪れたのは1864年。こちらは1886年に日本に訪れたイタリアのサーカス一座を描いた一枚です。この一座の公演に強い衝撃を受けた五代目尾上菊五郎は『鳴響茶利音曲馬(なりひびくちゃりねのきょくば)』という猛獣使いなどが登場する歌舞伎を上演しています。
人物のアクロバティックな動きも、動物の描写も緻密!
5.こんなおしゃれなジャーナリストが戦地にいたのか
1877年、日本国内での最後の内戦、西郷隆盛が盟主となって起こした「西南戦争」。その戦地に赴いたジャーナリスト・福地源一郎(桜痴)を描いた1枚がこちら。探偵小説の表紙のような、おしゃれな立ち姿に驚かされます。
6.変わらない日本の美しさを描いた浮世絵も
農民による武装蜂起「秩父事件」の起きた1884年。江戸時代に歌川広重によって描かれた『名所江戸百景』にならって描かれた小林清親の作品。蚊帳越しに見える満月は、時代を超えて変わらない日本の美しい風景を伝えます。
7.アニメから飛び出てきた?ガイコツの体操
繊細な線に、アニメのような動き。私たちが真っ先に思い浮かべる「浮世絵」のイメージにはない、奇抜な発想です。
8.もしかして、高輪ゲートウェイ?
1872年、新橋駅(現・汐留)と横浜駅(現・桜木町)の間に、日本初の鉄道が開通しました。その影響で、このあたりの年代は蒸気機関車の浮世絵がいくつもあります。
9.あえてシルエットだけ!演出が超クール
作品名にある「グラント氏」とは、アメリカの政治家ユリシーズ・シンプソン・グラントのこと。この浮世絵は、1879年7月〜9月まで彼が国賓として日本に滞在したときの街の様子を描いたものです。大統領経験者が初めて日本に訪れたことで、当時は大きなニュースになったようです。
10.荒波の音が今にも聞こえてきそう
大久保利通暗殺事件の起こった1878年。現在の静岡周辺の海を航海する船と波の迫力ある描写は洋画のよう。
11.写真と見紛う街の風景
夜の空と雪の明暗がはっきりとした、写真のような一枚。鮮やかな色を使わずとも、描かれたリアルな風景から文明開化を感じられます。
12.ウォーシップの断面図!
大きな軍艦の断面を切り取ったユニークな浮世絵。それぞれの部屋で乗組員たちがせっせと働く様子がかわいい!
13.建物は洋風、働く人は和服
1871〜73年は岩倉使節団が海外へ派遣されていた頃。煉瓦造りの建物で働くのは和服の女性たち。機械の音と楽しそうな会話が聞こえてきそうです。
14.馬車vs人力車vs機関車!?
明治に突入した翌年。1869年に登場するまで、日本に馬車は走っていませんでした。これにより窮地に立たされたのが人力車。この絵には、馬車や人力車、機関車まで入り乱れる、カオスな東京の交通事情が描かれています。
よく見ると、三輪車に乗っている人も!
15.CGで描いたイラストレーションのよう
江戸時代の終わり、1867年は全国各地で「ええじゃないか」が発生し、坂本龍馬が暗殺された混乱の一年。翌年、日本は「明治」に突入することになります。
こちらは平安時代末期から鎌倉時代初期の武将、熊谷直実(くまがいなおざね)を演じる役者を描いた一枚です。色面で構成された顔に、幾何学パターン、グラデーション。まるでCGのような表現テクニックは圧巻です。
16.着物のパターンがイケてる
こちらも同じ作者による同じ役者を描いた一枚。着物や帯のパターンがカッコイイ!
17.当時からすると古風?で大胆なウサギ
こんなにでっぷりした兎の浮世絵は見たことがなかったので思わず選んでしまった1枚。
18.色使いも人物のプロポーションも何もかもが西洋っぽい感覚!
薩長同盟が結ばれた1866年。月岡芳年はダークな浮世絵を描いていたことで有名な浮世絵師ですが、こんなに明るい作品もあるんですね。ドレスのひだや、馬のプロポーションが、お人形のよう。
19.独特の遠近法と配色がず〜〜っと見てても飽きない
禁門の変や社会不安などの災異のために慶応に改元された1865年。日本に訪れた人々の暮らしが垣間見える作品です。
食卓を囲む家族、中国人、インド人が描かれているのがわかります。
20.刺青がカッコイイ!
徳川家光以来229年ぶりに徳川家、14代将軍家茂が上洛した1863年。薩英戦争が起こったのもこの年です。青の鮮やかさと10人の男が画面いっぱいに並ぶ迫力満点の構図に惚れ惚れする作品。
21.象をとりまく人々の行動がおもしろい
仏教の影響で日本でも12世紀頃から象の存在は知られており、想像の姿が描かれてきました。生きている象が日本に来た最古の記録は1408年。江戸時代の記録もいくつか残っているため、この作品は実物を見て描かれた可能性もあります。
22.表情もユーモラス、欧米人と相撲をとる図
1859年に開港、貿易を開始した横浜は、欧米の商人で溢れていました。この作品の欧米人は即興で相撲に参加したのでしょうか。後ろには放られた傘が描かれています。
23.写真を撮るフランス人
1860年、中国で写真館を経営していたアメリカ人によって日本初の写真館が開かれました。1861年には日本人による最初の写真館が開館。翌1862年には坂本龍馬の肖像写真が撮影されています。浮世絵では写真を撮影する欧米人が多く描かれており、この数年で日本に写真が普及したいったことがわかります。
24.想像だけで蒸気機関車描いてみた?
1853年にロシアのプチャーチンが蒸気で走る汽車の模型を披露。日本では、実物の蒸気機関車よりも早く模型の蒸気機関車が登場しました。日本の鉄道は明治に入った1872年に開業しているため、この頃に描かれた汽車は模型や海外の図版から想像で描かれたものとされています。
この作品の汽車は蒸気船のイメージをもとに想像で描いたよう。よく見ると汽車なのに二階建てで、屋根から煙突が生えています。
25.小さくて天井の低い建物ばかりを想像していたけれども……
大老井伊直弼の暗殺「桜田門外の変」の起こった1860年。この絵に描かれている巨大な建物は、横浜の港で最も豪華だった遊郭「岩亀楼(がんきろう)」です。遊女たちは日本人はもちろん欧米人ももてなしていました。
障子の奥には賑やかな宴会の様子が見えます。
26.虎か?豹(ひょう)か?いや、虎なのか…?
この時代の浮世絵には虎や豹がよく描かれていますが「豹」の文字は見当たりません。どうやら「虎のメス」と考えられていたようです。
27.現代の漫画でもこんなかっこいいシーンない!
江戸幕府による弾圧「安政の大獄」が起こった1859年。余白を生かした猿の描写と勇ましい姿に心掴まれる作品です。
28.こんなにのどかな風景が松戸にあったなんて!
安政の大獄が始まり、オランダ、フランス、ロシアと次々に修好通商条約調印が結ばれた1858年。そんな世の中とは裏腹に、この絵に描かれたのは、のどかな風景。題名にある「小金原」とは千葉県松戸市のあたりです。当時大流行したコレラにより、広重が死去したのは、この年でした。
29.田んぼを見下ろすまんまるとした猫
吉田松陰が松下村塾を叔父から引き継いだ1857年。この作品に描かれているのは浅草の風景です。遊女の控え屋から外を眺める猫の後ろ姿は、今見てもキュート。どんな女性が住んでいたのか想像をかきたてられます。
30.現代の街と変わらない、江戸の大通り
洋学教育機関が設置されたり、洋式調練・砲術などの武芸訓練期間が設置されたりと、欧米の技術を日本に取り入れようとする動きの見えた1856年。こちらも浅草を描いた作品。通りにはたくさんの人が歩いていて、犬も見えます。シチュエーションは夜ですが、現代の夕暮れの商店街のような賑わいを感じる一枚です。
34年の変化はゆるやかだけど大きなものだった
2020年現在から34年を遡ると、たどり着くのは1986年。携帯電話もテレビゲームも、誰もが使えるインターネットもありませんでした。今回紹介した浮世絵の最初と最後を見比べてみると、ゆるやかだけれども、結果として大きく世界が変化していたことに気づかされます。
浮世絵について、もっと詳しく知りたい!という方は、和樂webの音声コンテンツ『日本文化はロックだぜ!ベイベ』もおすすめです。