「瓢鮎図(ひょうねんず)」とは?
国宝「瓢鮎図(ひょうねんず)」は、室町時代に描かれた瓢簞(ひょうたん)と鯰(なまず)がテーマの不思議な水墨画。どこかミステリアスで、一度見たら忘れられなくなる作品です。室町幕府の4代将軍・足利義持の命によって、当時の一流の画僧が手がけた絵と、京都五山の英知が結集した賛。「瓢鮎図」には、室町時代の粋が凝縮しているのです。
「瓢鮎図」のテーマは?
室町幕府の4代将軍・足利義持はある時、「丸くすべすべした瓢箪で、ぬるぬるした鮎を抑え捕ることができるか」という公案(禅問答)を考え、そのテーマとなる絵を画僧(絵を描く禅僧)の如拙(じょせつ)に命じました。それを受けて如拙が、公案にふさわしい画題として描いたのがこの作品の下の部分の絵です。
如拙「瓢鮎図」大岳周崇ら31僧賛 応永22年(1415)以前 紙本墨画淡彩 1幅 111.5×75.8cm 退蔵院 京都
作者である如拙は、室町時代の応永年間(1394~1428年)に相国寺を中心に活躍した画僧です。かの有名な水墨画の名手・雪舟(せっしゅう)の師匠の画僧・周文(しゅうぶん)に絵を教えたのが、だれあろうこの如拙。如拙は日本の水墨画のパイオニアであり、後の狩野派や長谷川等伯から漢画の祖とも称えられた偉大なる画僧だったのです。
「瓢鮎図」の絵の見どころはこの7つ!
瓢鮎図の見どころ1 中央に公案のテーマを端的に表現
この絵の主題は、瓢箪を持った男とナマズ。しかも、滑りやすいことを強調するように、ナマズはもとより、竹や水流、岸辺などを曲線で描き、男との対比を際立たせています。もしも、男とナマズがいなければ単なる美しい山水画ですが、戯画的な男とナマズの違和感が、この絵に特別な緊張感を与えています。
瓢鮎図の見どころ2 将軍の命で禅僧31人が禅問答をした記録
禅の公案は高僧と弟子の間で行われる私的なものですが、室町幕府4代将軍足利義持は知恵者として知られた高僧名僧を集め、「瓢鮎図」をテーマにして禅問答を決行。この絵は当時の権力者の知的レベルの高さを示すものでもあります。当初は衝立(ついたて)に仕立てて座右(ざゆう)に置いていたとされるが、現在は掛幅(かけふく)に改装されています。
瓢鮎図の見どころ3 山水図に人物の戯画を描き入れた最初の絵
墨の濃淡を駆使して表された、霧や靄(もや)にかすんだ遠くの山々。如拙がだれに絵を学んだのか明らかになっていませんが、これだけの技法に通じていたのは驚くべきこと。さすがは漢画、水墨画の祖です。しかし、山水図は本来、人物が目立つように描かれることはありません。この絵は室町時代初期の山水画に変革を与え、発展させた記念碑的作品でした。
瓢鮎図の見どころ4 あっ、瓢箪が落ちる!
丹念に筆を運んだことがよくわかる背景に比して、男とナマズの描き方はかなりぞんざいに見えます。瓢箪を手に持っているはずなのに、これでは宙に浮いた瓢箪を上から抑えているようにしか見えません。それも公案の意図たったのでしょうか……。
瓢鮎図の見どころ5 この男はいったい何者?
身なりがよろしくないように見えますが、髪をまとめて布で結わえているのは当時の絵草紙(えぞうし)などに見られる庶民の姿そのもの。衣服に描かれたいくつもの線は破れているのではなくシワ。以上から、この人物は当時の一般的な男の代表だと思われます。
瓢鮎図の見どころ6 笹竹や水流まで詳細に描写
「丸くすべすべした瓢箪で、ぬるぬるした鮎を……」というテーマに合わせて、湿気が多くて滑りやすそうな水辺を場面に選び、表面がつるつるした笹竹を描いたところに、如拙の工夫が光ります。男とナマズを除くと、笹竹や水流の表現などの細部まで丹念に描かれているのは、将軍から直々に依頼された絵だったからでしょうか。
瓢鮎図の見どころ7 この絵が「ひょうたんなまず」の語源です
とらえどころのない、要領を得ない様子や、そのような人を表す「ひょうたんなまず」という言葉は、「瓢鮎図」の公案から生まれたものです。それは、この絵の存在がそれだけ広く知られていたことの証でもあります。ちなみに「鯰」ではなく「鮎」の字が使われているのは、当時ナマズを「鮎」と書いていたからです。
続いては、「瓢鮎図」で最も重要な、上部に書かれた漢詩の「賛」について解説します!
瓢鮎図、上半分に書かれた「賛」を読むと面白さ倍増!!
室町時代、「禅」は最先端の学問でありアートでもありました。その禅に精通していた将軍・足利義持(あしかがよしもち)のもとに集められた31人の僧は、アメリカのアイヴィー・リーグのような存在だった京都五山を代表する超エリート。それぞれの答えは漢詩で書かれています。
高僧名僧がひねり出した答えは、才智がキレッキレ!
漢詩というのは当時の知識人たちにとって特別なものではなく、少ない文字数に多くの情報を盛り込むことが、教養を表すことにつながっていました。「瓢鮎図」の賛は、将軍の前での競い合いという側面があって、故事や文学作品はもとより、仏典などの文言も用いながら、それぞれが非常に凝った答えを漢詩で表しています。さらに、前者の答えを受けて展開するものでもあって、凝りに凝った内容になっています。
そんな瓢鮎図、賛(漢詩)を現代語訳してみました!
いわゆる行間の部分を( )内に記していますが、それぞれを黙読してみると、禅の公案(禅問答)とは少々異なっているようにも感じられるかもしれません。ですが、将軍を中心にしてたくさんの秀才が集まったサロンのような場所で、ひとつづつ答えを発表していることを想像しながら読んでいくと、それぞれの答えにうなずいたり、笑ったり、頭を悩ませたりして、皆が楽しんでいたことが伝わってきます。
さて、将軍・義持の「丸くすべすべした瓢箪で、ぬるぬるした鮎を抑え捕ることができるか」という問いに、高僧たちは何と答えたのか……。一段ずつ順にご紹介しましょう。
「瓢鮎図」の賛の現代語訳(上段)
※賛に書かれた名は「周崇」のように、仏門に入った時にもらう法名のみが書かれていますが、ここでは「大岳」のように、道号(元服したときにつける名前)のわかるものを付け加えています。【 】内は読み方です。
1 大岳周崇【だいがくしゅうすう】
空を飛ぶものは仕掛けでからめとり、水中で泳ぐものは網でとらえる。これが漁や猟の常法である。中がうつろで丸くコロコロした瓢箪で、鱗(うろこ)がなくネバネバしたナマズを深い泥水の中で抑えつけることなど、いったいできるのだろうか。将軍様は僧如拙に命じてこの新しいテーマを描かせて、禅林の和尚たちに、それを評する言葉を付けて、そのこころを述べさせられた。ここに深い趣があるのだろう。わたくし周崇は非才をかえりみず、軽々しくも、冒頭に四言四句を題する。活き活きとした手段によって、瓢箪でナマズを抑えとめようとする。さらに絶妙の手を使うとすれば、そこにヌルヌルの油を塗といい。(コロコロ、ネバネバ、ヌルヌルで、抑えられるはずはない)
2 玉畹梵芳【ぎょくえんぼんぽう】
瓢箪でナマズを抑えつけたら、(ナマズの)吸い物をつくればいい。だが、飯がなければしようがない。沙(すな)を炊いて飯でもつくるか。(そんなことは、永遠に無理だ)
3 雲林妙冲【うんりんみょうちゅう】
どうしてまた瓢箪でナマズを抑えようとするのか。魚は意識することなく、どっぷりと、広々とした水中につかっている。そのように、人もまた、無限の道(どう)の中にひたっているのだ。
4 鄂隠慧奯【がくいんえかつ】
(瓢箪は)コロコロ、(ナマズは)短い首で太い腹。ナマズをつかまえようとするならば、(ナマズが)竹に跳び上がるのを待て。
5 愚隠昌智【ぐいんしょうち】
瓢箪はコロコロ転がり、ナマズは泳ぎまわり、このふたつはまた跳ねまわる。(それを見たら)草木国土、も山河大地も、思わず笑い出す。
6 惟忠通恕【いちゅうつうじょ】
瓢箪の下をしっかり見届けよ。抑え込めない(とわかった)ならば、(そのときはすでに)ナマズは竹に飛び上がっているであろう。
7 太白真玄【たいはくしんげん】
竹はツルツルすべりやすく(ナマズが登れるわけがない)、どうして(瓢箪で)抑えられようか。抑えそこねたら、瓢箪はコロコロ。(見る者はカラカラ笑い)
8 昌慶【しょうけい】
瓢箪に油を塗って、急流を泳ぐナマズを抑える。あっちから抑え、こっちへと抑える。(結局)抑えられぬ(とわかった)ところで(ナマズを求める心は)やむ。
「瓢鮎図」の賛の現代語訳(中段)
9 西胤俊承【さいいんしゅんしょう】
ナマズを抑えるのに、何のつもりで瓢箪を使うのだろうか。抑えられるか、抑えられないか。いずれにしてもお笑いぐさ。
10 仲安梵師【ちゅうあんぼんし】
瓢箪がナマズを抑えようとしているが、(実際には)ナマズが瓢箪を抑えようとしているのだ。人生とはこのようなこと。(どっちにしても、男も瓢箪もナマズも)結局は同じ世界にあるではないか。
11 盛元梵鼎【せいげんぼんてい】
瓢箪を手にして、泥水の中のナマズを追いまわす。心技ともにそなわっていたとしても、どうして抑えることなどできようか。
12 妙成【みょうせい】
聖天子(しょうてんし)によって、天道(おてんとうさま)のめぐみは、泳いでいるナマズにまで及んでいる。かの孟賁(もうふん「三国志」で秦の武王に仕えた怪力の男)のような力を用いなくとも、瓢箪でナマズを抑えることはできるだろう。
13 大愚性智【たいぐしょうち】
ナマズの尻尾ほどヌルヌルなものはない。いくら大瓢箪でもこれを抑えることなどできない。瓢箪を放置してただナマズを怒るだけ。
14 廷用宗器【ていゆうそうき】
瓢箪は丸くて(コロコロ)、ナマズはピチピチ。抑えようとしてもケリのつくことはない。男のこの仕草のおかしいこと。将軍様の御前で粗相(そそう)をしてはならぬぞ。
15 古篆周印【こてんしゅういん】
顔回(がんかい 孔子の弟子)と許由(きょゆう 中国古代の伝説上の人物)のように瓢箪を持っているが、(それを使う)目的が違う。狙いは淵にひそむナマズ。さて、抑えられるかどうか。力を尽くして、あちこち抑えまわる(ことになるだろう)。
16 足庵霊知【そくあんれいち】
ピチピチとしたはたらきのある(優秀な)禅僧は、鯉が龍に変わって天に登るようである。いったん瓢箪に抑えられても、(そこから脱して)きっと龍門の滝を登ることを期待(してながめるとするか)。
17 純中周嘏【じゅんちゅうしゅうか】
ナマズの頭を抑え、尻尾を抑え、(瓢箪は)左へコロコロ、右にコロコロ。男は倒れて、全身泥まみれ。そばで見る者、クスクス笑い。
18 明叔玄睛【みょうしゅくげんせい】
男は瓢箪を手にして、歯ぎしりしてナマズを抑えようとしている。瓢箪もナマズもすべりやすく、抑えつけられぬ。これを見る者は大笑い(するだけだ)。
「瓢鮎図」の賛の現代語訳(下段)
19 作者不明
石人が水中に瓢箪で(ナマズを)抑える。ひと抑え、さてつかまえたかどうか。つかまえられずにまた抑える。(ナマズに)触れると、かえって自家の宝(仏性 ぶっしょう)を見失うことになろう。
20 大幢周千【だいとうしゅうせん】
抑えられなければ、ナマズは竹に登ってしまい(残された)瓢箪は水の中でコロコロ。しかし、ナマズが(滝を登る鯉のように)尻尾を振って登るの(を瓢箪は)許すまい。将軍様にこれをいつまでも楽しんでご覧いただきたいものである。
21 聖徒明麟【せいとみょうりん】
(水辺で)瓢箪を抑えてもコロコロするばかり。ナマズを抑えようにも手のつけようがない。(ナマズは)かえって竹に登って、風雷を轟(とどろ)かせて龍と化すだろう。
22 大周周奝【だいしゅうしゅうちょう】
ナマズは鱗がなく体中がヌルヌル。抑えようにも瓢箪は水上でクルクル。また(ナマズは)言うことをきかない童僕(どうぼく)のようで、こっちを抑えればあっちへ逃げる。
23 謙巌原冲【けんがんげんちゅう】
一匹のナマズが波間に躍り出る。瓢箪でこれを抑えるのはさぞや大難問。(ナマズは)体中がヌメヌメしていてとらえられない。いかに力量がある人でもどうしようもない。
24 独鼎中挙【どくていちゅうこ】
(登れるはずがない)ナマズが百尺もある棒のてっぺんでトンボをきる。(ナマズが竹竿を登る速さは)ハヤブサも追いつけない。(ところが)笑いながら瓢箪でそれを抑え込む者がいる。この男こそ生まれながらの妙手を持った者だ。
25 子瑜元瑾【しゆげんきん】
瓢箪でいきなりナマズを抑えようとは、はなはだ荒っぽい手口だが、きめ細やかな気配りもそこにはある。だが(ナマズは)不意にネバネバを流す。結局とらえられず、(ナマズが)いつまでもネバネバとは笑うしかない。
26 惟肖得巌【いしょうとくがん】
ナマズはいたってネバネバ。瓢箪の腹はコロコロ。瓢箪でナマズを抑えようとしても永遠に無理。(ナマズが)竹に登る前に先手を制して抑えつけようと毎日毎日抑え続けるのみ。
27 雪洲如積【せっしゅうじょせき】
ピチピチのナマズは(この小さな流れから)大海に躍り出て、舟を呑まんばかりの大魚となるだろう。そして、たまたま瓢箪に抑えつけられて、(そんな可能性は)たちまち終わる。
28 古幢周勝【こどうしゅうしょう】
この男、巨魚をつかまえる力量もないのに、瓢箪を振りあげても無駄なこと。やっぱり、ナマズを抑えられず、しなくてもいい余計なことをするだけ。
29 叔英宗播【しゅくえいそうばん】
この男に、(孔子が悩まされたという九尺余りの)大ナマズを抑えつけて、まだ余力があったとしても、このナマズは通常の網で捕ることはできないシロモノ。抑えつけた瓢箪の下から、ナマズはスルリと抜け出して(竹竿に登り)、龍門の滝を登り損ね、落ちて傷を負った落第した魚どもを笑うであろう。
30 笑巌法誾【しょうがんほうぎん】
(このナマズは)百尺もある棒のてっぺんでトンボをきるために、まるまるした瓢箪におさえられたところから抜け出そうとする。(男が)左から抑えれば、ナマズは右へ逃れる。この男は一日中、苦労するが、かわいそうに(それは)無駄なことだ。
31 厳中周噩【ごんちゅうしゅうがく】
大ばか者が、ありもせぬ虚を求めて、瓢箪を手にやたらとナマズを追いまわす。ナマズはヌルヌル、瓢箪はコロコロ。やたらめったら抑えまわっても、どうにもならない。それよりこうしなさい。竹を抑え、ナマズが尾を振って登ってくるのを待ちなさい。
さてさて、室町時代の超エリートたちの答えはいかがでしたか? ふざけたような答えが無きにしもあらずですが、その奥には実は人生が表されているのだとか。笑いながら人生を語る――。禅の奥深さは、カッコよさに溢れています!
如拙「瓢鮎図」大岳周崇ら31僧賛 応永22年(1415)以前 紙本墨画淡彩 1幅 111.5×75.8cm 退蔵院 京都
●参考文献/芳澤勝弘・著『「瓢鮎図」の謎 ―国宝再読 ひょうたんなまずをめぐって』(ウェッジ)