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2021.05.26

映画『HOKUSAI』のダイナミックシーンを創る「キーグリップ」の仕事とは?撮影の裏側に迫る!

映画『HOKUSAI』は一人の画家の人生を描いた時代劇だが、アクション映画さながらのダイナミックなシーンがそこここに登場する。その場面づくりで重要な役割を果たしているのが、「キーグリップ」という耳慣れない名前の仕事を担当しているヒロカクハリさんである。19歳の頃渡米し、その後ハリウッドで仕事を始めたヒロカクハリさんが、「キーグリップ」の仕事について、和樂webのインタビューに応じてくれた。

このところ和樂webの美術関係記事で画面を賑わせているアートトークユニット「浮世離れマスターズ」のつあおとまいこの2人の他愛ないトークに始まる問いかけに、ヒロカクハリさんは真摯に答えてくださった。

アイキャッチ画像:©︎2020 HOKUSAI MOVIE

映画『HOKUSAI』公式サイトはこちら
葛飾北斎の情報を集めたポータルサイト「HOKUSAI PORTAL」はこちら

「役人がもう少し早く走っていたら追いつけなかった」

©︎2020 HOKUSAI MOVIE

©︎2020 HOKUSAI MOVIE

©︎2020 HOKUSAI MOVIE

つあお:この映画の最初のシーンは衝撃的でしたね!

まいこ:すごかった! お役人さんたちが押し入るように蔦屋の店先に入ってきて、驚くほど物々しい雰囲気でした。

つあお:画家の伝記映画というよりも、アクション映画のような始まりだったかも!

まいこ:結構乱暴に入ってきたお役人さんたちに、店の人たちはなすすべがなかった……。

つあお:浮世絵がたくさん踏みつけられていたのが、ショッキングでしたよ。

まいこ:恐ろしい感じを高めたのが、お役人さんたちがすごい勢いで走っているところだったと思うんです。

つあお:スピード感がすごかった!

まいこ:あれ、たぶん普通のカメラワークでは撮れないんじゃないかと思うんですよ!

その動きのある撮影を支えたのが、ヒロカクハリさんが担当する「キーグリップ」という仕事だという。まずは実際にどうやって撮影したのかを、ヒロカクハリさんに語ってもらった。

ヒロカクハリ「奉行所の役人が蔦屋耕書堂(浮世絵の版元)の店先に押し入るシーンは、ケーブルカム(ケーブルで支えたカメラ)を使って撮影しています。まず、松竹撮影所の屋外セットの両端に高所作業車を置いてそこに極細化学繊維のケーブルを張りました。そして、滑車にぶら下げられたカメラが、役人たちと同じスピードで移動します。通りの建物の屋根をなめながら江戸の町を駆け抜ける役人たちの物々しさを伝えようとしています。撮影前日にドライバーさんに用意していただいた作業車に滑車やケーブルを張り、ウエイト(重り)をカメラ代わりにしてテストしました。今回のリモートカメラを載せるために、ケーブル両端には300kgほどの張力をかけましたが、ケーブル自体は2000kg以上耐えられるので問題ありませんでした。あとは移動のスピードですが、今回はカメラからつないだ別のケーブルを手で引っ張っていたので、もし役人がもう少し早く走っていたら追いつけなかったでしょう」

そこまでの機材と仕込みがあったからこそ、あのシーンが撮れたのである。そんな仕事をつかさどる「キーグリップ」とは、そもそも何なのか? 日本では少々聞き慣れない言葉である。

ヒロカクハリ「キーグリップというのはグリップという部署の中の役職名です。欧米の撮影現場では撮影部や照明部と同じように、グリップもすべての作品に欠かせない部署として存在しています。アクションやSFでは、その活躍が特に目立つのではないかと思います。でも、作品の内容にかかわらず、いると便利なんですよ。今回、最初に撮影監督のニホンマツアキヒコさんから聞かされていたのは、今までにない躍動感のある時代劇を撮りたいということでした。そのためにいろいろなカメラワークがあることが予測されました。実際クランクインの初日から50mのケーブルカムやクレーン、移動車など盛りだくさんでした。私のこだわりは機材をすべて軽くして1台のトラックにいろいろな材料を詰め込み、後はその場であらゆるニーズに対応できるような体制をキープすることでした。クレーンも自作しました。全長8mでアルミパイプで組み立てられるので、軽くて持ち運びにも便利です。山や海、葦の草原、吉原のセットなどいろいろな場所で使いました」

まいこ:クレーンを自作するってすごい! キーグリップは、最近はハリウッドでとても重要な役目を果たして注目されていると聞いてます。

つあお:そうなんだ!

まいこ:ハリウッド映画ってアクションとかSFが巨大なスケールじゃないですか! ああいった動的な特殊撮影をするのに欠かせないみたいです。

つあお:さすがハリウッド!

まいこ:アメリカと日本では映画を作る時の担当部署の構成もいろいろ違うみたいで、日本で照明部とか大道具部とか分かれている部門を、アメリカではグリップが一手に引き受けてるのですって!

つあお:ダイナミック! その仕事が『HOKUSAI』で重要な役割を果たしているんですね!

ヒロカクハリさんは、アメリカ映画と日本映画におけるグリップの仕事内容の違いについて、次のように説明する。

ヒロカクハリ「全体的な違いで言うと、日本のクルーは末端のスタッフまで台本を持ち歩いていて、撮影前のカット割りなどを皆丁寧にメモしていますが、アメリカでは一部のスタッフしか持っていません。 ロケーションについて言うと、日本は道路や建物が狭いので持ち込める機材に限りがあります。特に京都の歴史的建造物などでは、養生を十分にして撮影に入ります。アメリカでは撮影許可を取れるシステムが出来上がっているので、建物や道路を貸し切って大掛かりに撮影できます。警察も交通整理などをしてくれます。カメラの扱いという点では、時代劇では人は床や畳に座るので、低い位置でのカメラワークが多くなりました。また、床や畳はきしみの音が出やすいので、レール移動が大変でした」

©︎2020 HOKUSAI MOVIE

普段アメリカで仕事をしているヒロカクハリさんは、こうした日本の事情にも臨機応変に対応し、ダイナミックな作品制作に貢献しているのだ。喜多川歌麿が暮らしている吉原の部屋のシーンもダイナミックだった。ある場面では、カメラが180度くるりと反転したのだ。

ヒロカクハリ「歌麿のいた孔雀の間には、天井にまで続く見事な装飾が施されていました。この部屋全体を見せるために監督はカメラを180度ひっくり返すという面白い表現方法を要求してきました。そこでカメラと重りを鉄パイプにボルトで留め、パイプの端にハンドルを付けて回すことにしました。極めて簡単な仕掛けですが、欲しかった画は撮れたと思います」
「ほかにも、あの部屋では天井の真ん中の板を外してもらい、カメラをスタジオの上部からワイヤーで吊るして、俯瞰からリモートで撮ったりもしました」
「照明技師とは常にコラボして撮影してました。狙いのライティングの邪魔にならずかつ効果的なフレームの位置にカメラをセットしたり、カメラの影が出てしまう時にライトをさえぎってもらったりといろいろです」

車の入れない山中に機材を運び入れて赤富士を撮る

©︎2020 HOKUSAI MOVIE

つあお:北斎と言えばやっぱり富士山ですよね!

まいこ:『冨嶽三十六景』!

つあお:北斎は90年も生きたから、富士山はたくさん見る機会があったんでしょうね。

まいこ:映画では、若い北斎が初めて富士山と対面するシーンが劇的に描かれてましたね!

つあお:印象的でした。実は有名な北斎の富士山で、70歳になった頃の作品なんですよね。この映画では若い時に富士山と向き合っているのが面白い。

まいこ:映画では、若い時はどちらかというと富士山の前景にある波に衝撃を受けて何かが吹っ切れ、独自の北斎スタイルが生まれたっていう感じでしたね。

つあお:そう、どちらかといえば、「波」との出合いだったのかもしれない。そして、「波」は北斎にとって魔物のようなものだったのかも!

まいこ:若い時の北斎と同じように70歳を越えた北斎が旅に出て、また同じように富士山に出合うシーンがシンクロしていて感動的でした!

つあお:いわゆる「赤富士」との出合いでしたね! 『凱風快晴』はこうして生まれたのか、と納得させられました。

葛飾北斎『冨嶽三十六景 凱風快晴』 1825〜38年、メトロポリタン美術館

そしてヒロカクハリさんに富士山との対面シーンについて尋ねると、相当な苦労をしたうえでの撮影であることがわかった。

ヒロカクハリ「富士山と間近に対面するシーンは、若年期と老年期で同じ場所を使ったんですが、車の入れない山の中だったので、朝まだ暗いうちから機材を運んでセットしました。山道を抜けると海が見えるシーンは、クレーンアップして壮大感を出そうとしています。パイプクレーンとレールのコンビネーションで移動距離を稼いでいます。その撮影後にみんなでクレーンを海まで運んで行きました。海ではクレーンを波打ち際にセットして少しでも海面上に出るようにしました。機材が軽かったのと、スタッフみんなが協力してくれたおかげで撮れたショットです。水中カメラマンも呼んで、海の中からも撮影しています」

©︎2020 HOKUSAI MOVIE

「撮影中は爆音で何も聞こえなくなりました」

葛飾北斎『北斎漫画』より 国立国会図書館デジタルコレクション

つあお:この映画ですごく印象に残ったのが、街なかで起きた突風のシーンでした。『北斎漫画』などにある突風の表現を思わせる。これぞ北斎、っていう描写なんですよね。

まいこ:映画では、街なかで人々が逃げ惑う中、北斎だけがすごくうれしそうな顔をして、写生帖を取り出して人々の様子を速描きしてましたね!

つあお:田中泯さんの演じる北斎の仕草が素晴らしかった!

まいこ:踊っているかのようでした。そしてあの表情。それがスローモーションになって、当時の北斎が目の前に現れたような臨場感がありました。

つあお:あんな感じで突風の風景を描いた絵は、世界を探してもなかなかないんじゃないですかね。やっぱり北斎はすごいなぁ。

まいこ:北斎になりきった田中泯さんが突風の中で嬉々として筆を走らせる様子をリアルに表現する映画の技術。脱帽ものですね!

さて、この映画の中でも劇的な印象を残したこのシーンに、キーグリップはどのようにかかわっていたのだろうか。

ヒロカクハリ「スローモーションで撮ったあの場面は、ユーモアあふれる橋本監督のアイデアによるものです。セスナ機のプロペラとエンジンの付いた巨大な送風機を使って風を起こしています。撮影中は爆音で何も聞こえなくなりました。日本では特機部(特殊機械を担当する部署)が風起こしや雨降らしを担当するんですが、アメリカではスペシャルエフェクト部がやっているので、私には経験のない分野でした。今回は、京都の撮影所の特機部の方にお願いしました」

カメラの移動と役者の息が合っていないと成立しないショット

©︎2020 HOKUSAI MOVIE

つあお:この映画はハリウッドばりのアクションを多く撮影していると思いきや、すごく静かで意味深なシーンもありました。戯作者(小説家)で武士だった柳亭種彦(永山瑛太さん)が、上司の永井五右衛門(津田寛治さん)と廊下を歩いている場面が、心に深く染みています。

まいこ:そうですよね! 特に柳亭種彦のその後の運命を考えると……。

つあお:あの場面は、実際に京都のお寺で撮影したらしいですね。

まいこ:そう聞きました。お寺なので建物を傷つけるようなことがあってはいけない。文化財であるお寺にすれば当然のことなのでしょうが、撮影陣にとってはものすごくハードな条件だったようです。

つあお:あの静謐(せいひつ)なシーンの中にそんな苦労があったとは!

まいこ:なんとこの静謐なシーンを撮影したのはケーブルカム。最初の役人が押し入るドタバタシーンと同じ機材を使っているのですね。驚きました。

つあお:そうなんだ!

実際にキーグリップはどんな工夫をしたのだろうか。

©︎2020 HOKUSAI MOVIE

ヒロカクハリ「渡り廊下のシーンは、2度出てきます。1つ目は清涼寺の長い渡り廊下。初めは無理だろうと言われましたが、建物に一切触らず植えてある庭木にも傷をつけないという条件で特別に許可をいただき、実現しました。渡り廊下を歩きながら会話する柳亭種彦とその上司の永井五右衛門。2人の会話を廊下の外を平行移動しながら最後はカメラが90度曲がった廊下の中に入り、2人の前で止まるというショットです。このシーンは切り返しのないワンカットで撮りました」
「もう一つは単なる円形レールを使ったショットです。こちらも柳亭種彦と上司の永井五右衛門との会話シーン。妙心寺での撮影でした。瑛太さんが演じる種彦を叱責して去って行く五右衛門に、種彦が180度振り返って反論します。この時カメラは種彦の真横まで来ていて、種彦が振り返ると同時に彼の正面に移動するのですが、振り返るまでに感情の間があり、カメラの移動と役者の息が合っていないと成立しないショットでした。しかし瑛太さんは絶妙なタイミングで演技していただき、とてもいいショットになったと思います」
「昨今の映画では、やたらに複雑なカメラワークだったり、アイデアの斬新さを誇示しようとする作品も多いのですが、ストーリーや役者の演技を食ってしまうカメラワークにはあまり感心しません。いいショットとは、見ている人に感動は与えても『いまのどうやって撮ったんだろう』などと考える暇を与えないものだと思います」

当たり前に見えるシーンを当たり前に見せるための苦労があったことがしのばれる。キーグリップの役割は重要である。

プルシアンブルーを使う喜びを2台のカメラで同時撮影

葛飾北斎『冨嶽三十六景 甲州石班澤』 1825〜38年、シカゴ美術館

つあお:北斎といえば、「プルシアンブルー」ですよね! 西洋から輸入した鮮やかな絵の具は、浮世絵の表現に革新をもたらした、という認識です。

まいこ:映画によると、北斎はずいぶんおじいさんになってからプルシアンブルーに出合ったのですね。

つあお:プルシアンブルーを多用した『冨嶽三十六景』は70歳くらいの作品ですからね。その後信州の小布施で描いた肉筆画『波濤図』でも使っている。西洋から輸入するわけだから、普通のおじいさんだったら、「わしゃそんなもん使えん」とか言って嫌がりそう(笑)。

まいこ:でもそこは、さすがの北斎! 映画では、絵の具を前にした北斎はむしろ感極まって喜んでた。そしてその表現がまたすごかったですね。雨の中、ブルーを頭からかぶり、青まみれになって色と一体化するほど感動して踊ってたのは、本当に印象的でした。

つあお:あの感動の仕方には、確かに見ているほうも感動しちゃいました。

まいこ:なんだか田中泯さんのためにあったようなシーンでもあり、でも実際北斎もこんな狂喜乱舞だったんじゃないかと思わせるシーンでした。

そして、この場面でもキーグリップは、大きな仕事をしていた。

ヒロカクハリ「2台のカメラで同時に撮影しました。何度もできるシーンではないので、演出部の人を使ってリハーサルしました。1台はクレーンで俯瞰からもう1台は横移動のレールに乗せて顔の寄りを撮りました。あのシーンでは前もって正確な立ち位置を決めてなかったので、カメラマンの腕の見せ所でした」

キーグリップが見た北斎

©︎2020 HOKUSAI MOVIE

最後にヒロカクハリさんに、改めて北斎の魅力を語ってもらった。

ヒロカクハリ「名前と絵は知っていてもその人の人生にまでは興味がなかった北斎。この映画を通じて、この時代にはこんな信念を持って生きていた人もいたんだと感動しました。世の中の著名人に共通して言えること、それはみんな自分が本当にやりたいことを貫き通す覚悟のある人たちだということではないでしょうか。北斎がそうであったように、今やりたいことのある人は幸せだと思います。決してあきらめずに続けていってほしいと思います。今は映画によっていろいろな人生を疑似体験できる時代です。江戸時代にはない自由もあります。この映画は、とある浮世絵師の生き様を通して、私はどう生きたいのかを考えさせられる作品だと思います」

プロフィール

ヒロカクハリ
1969 生
1988 渡米
1996 グリップを始める
1999 キーグリップを始める
2015 Furious 7 から世界初のlead mount tech(特殊マウントグリップ)として映画に参加
現在までおよそ120本のハリウッド映画、テレビに参加。 最新作2021 Tokyo vice (TV)

5月28日(金)劇場公開! 映画『HOKUSAI』

『HOKUSAI』5月28日(金)全国ロードショー(C)2020 HOKUSAI MOVIE

工芸、彫刻、音楽、建築、ファッション、デザインなどあらゆるジャンルで世界に影響を与え続ける葛飾北斎。しかし、若き日の北斎に関する資料はほとんど残されておらず、その人生は謎が多くあります。

映画『HOKUSAI』は、歴史的資料を徹底的に調べ、残された事実を繋ぎ合わせて生まれたオリジナル・ストーリー。北斎の若き日を柳楽優弥、老年期を田中泯がダブル主演で体現、超豪華キャストが集結しました。今までほとんど語られる事のなかった青年時代を含む、北斎の怒涛の人生を描き切ります。

画狂人生の挫折と栄光。幼き日から90歳で命燃え尽きるまで、絵を描き続けた彼を突き動かしていたものとは? 信念を貫き通したある絵師の人生が、170年の時を経て、いま初めて描かれます。

公開日: 2021年5月28日(金)
出 演: 柳楽優弥 田中泯 玉木宏 瀧本美織 津田寛治 青木崇高 辻本祐樹 浦上晟周 芋生悠 河原れん 城桧吏 永山瑛太 / 阿部寛
監 督 :橋本一 企画・脚本 : 河原れん
配 給 :S・D・P ©2020 HOKUSAI MOVIE

公式サイト: https://www.hokusai2020.com

書いた人

つあお(小川敦生)は新聞・雑誌の美術記者出身の多摩美大教員。ラクガキストを名乗り脱力系に邁進中。まいこ(菊池麻衣子)はアーティストを応援するパトロンプロジェクト主宰者兼ライター。イギリス留学で修行。和顔ながら中身はラテン。酒ラブ。二人のゆるふわトークで浮世離れの世界に読者をいざなおうと目論む。