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2017.11.21

国宝 中尊寺金色堂とは?慧可断臂図とは?

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日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。2017年は「国宝」という言葉が誕生してから120年。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

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各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は東北の黄金浄土、「中尊寺金色堂」と雪舟究極の名画、「慧可断臂図」です。

東北の黄金浄土 「中尊寺金色堂」

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2011年、岩手県南部に位置する平泉に残る建築・庭園、及び遺跡群が、世界遺産に登録されました。なかでも中尊寺金色堂は、唯一、建物などが現存する遺構です。

平安時代後期、陸奥(現在の福島・宮城・岩手・青森)の豪族・安倍氏が、朝廷より派遣された源頼義に倒され(前九年の役)、その結果、勢力を伸ばした出羽(現在の山形・秋田)の清原氏に内紛が起こります。清原氏の一族であった藤原清衡は合戦に勝利をおさめ(後三年の役)、出羽と陸奥の支配権を握りました。平泉に居を移した清衡は、堀河天皇の命を受けて、長治2年(1105)、天台宗の高僧・円仁が開創した中尊寺を整備し、堂塔40余、僧坊300余に及ぶ壮大な伽藍を造立します。

金色堂は天治元年(1124)に上棟された阿弥陀堂で、みちのくに仏の浄土のような理想郷を築こうとした清衡の祈願の象徴です。当時、みちのくは日本随一の金の産地で、清衡は巨大な富の力で彫刻・漆工芸・金属工芸の粋を集め、堂の内外に金箔を押した「皆金色」と称される光り輝く仏堂を建立しました。内陣中央の須弥壇に、本尊の阿弥陀如来像を中心に11体の諸仏を安置。夜光貝や象牙を用いた螺鈿細工や蒔絵が、至る所をきらびやかに装飾しています。

清衡は中尊寺伽藍落慶の翌々年に没し、遺体は金箔を施した木棺に納めて須弥壇の下に安置されました。のちに中央壇の左右に諸仏を安置する須弥壇が増築され、それぞれ2代基衡と3代秀衡の遺体が納められます。秀衡は兄・源頼朝に追われて平泉へ逃れてきた源義経をかくまいました。その嫡男・泰衡は頼朝を恐れて義経を自害に追いやりましたが、頼朝軍に攻撃され館に火を放ち敗死。藤原氏三代が築いた文化都市・平泉の栄華は、ここに終焉を迎えました。

金色堂の建立には、平安京から一流の仏師や金工・漆工などの技術者が呼び寄せられました。東北の地にあって、都に勝るとも劣らぬ当代一流の技が結集されたこと。建築だけでなく仏像・仏具・装飾工芸など、すべて1セットの仏教遺構として残されている点が、金色堂が唯一無二の国宝とされる理由です。

国宝プロフィール

中尊寺金色堂

天治元年(1124) 桁行3間 梁間3間 宝形造 木瓦形板葺 中尊寺 岩手

金色堂は、平安後期、奥州藤原氏の初代清衡が造営した中尊寺の阿弥陀堂。内陣には3つの須弥壇があり、そこには藤原三代の清衡・基衡・秀衡の遺骸が納められている。当時の工芸技術を結集した装飾が施されている。

中尊寺

雪舟ザ・ベスト 「慧可断臂図」

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洞窟のような場所に背中を向けて座っている髭づらの男、その背後にいる袈裟をまとった男は、どうやら切断したみずからの腕を捧げ持っているようです。なんともミステリアスなこの絵は、雪舟の描いた「慧可断臂図」。雪舟晩年の道釈画(道教や仏教に関する人物画)です。

雪舟は室町時代後期の画僧で、京都の名刹相国寺で禅と水墨画の修行を積みました。30代で都を離れ、大名大内氏の治める周防(山口)へ移ります。応仁元年(1467)、雪舟は大内氏の命を受け、遣明使に随行して中国に渡り、約2年間、かの地で禅と絵を学びました。

当時、中国へ渡った唯一の画僧であった雪舟は、目のあたりにした異国の風景を写生して日本に伝えました。帰国後は応仁の乱を避けて各地を漂泊。60歳を過ぎて周防へ戻り、画僧としての地歩を固めていきます。

「慧可断臂図」は、77歳の雪舟が描いた縦180㎝を超す大作です。禅の祖である達磨と弟子の慧可とのエピソードを描いたもので、墨画に淡彩で彩色が施されています。

達磨は、インドから中国に渡った禅宗の開祖。壁に向かって自己の内面を見つめる「壁観」という行を提唱しました。中国河南省の少林寺近くの岩窟で9年間坐禅を組んだ「面壁九年」のエピソードは有名です。この修行中、神光という僧がやってきて弟子入りを懇願しますが、達磨は相手にしません。そこで神光は左腕を切り落として決意を示し、ようやく入門を許されたのです。神光は「慧可」と名を変え、達磨の教えを継承して、禅宗の第二祖となりました。

老境に至った雪舟は、この宗教的逸話を絵画化することに精魂を傾けました。張りつめた緊張感の漂う画面の中に、ふっと心を和ませる柔らかな描線で、晩年の雪舟が捉えた祖師像が鮮やかに描かれています。

現存する雪舟の作品のうち、6点もが国宝に指定されていますが、「慧可断臂図」はそのなかで山水画ではない唯一の作品。生涯をかけて個性的な水墨画を描き続けた雪舟は、後世、日本絵画史でただひとり「画聖」と呼ばれる存在となります。本作はその人物画の最高傑作です。

国宝プロフィール

慧可断臂図

雪舟 明応5年(1496) 紙本墨画淡彩 一幅 183.0×113.5㎝ 斉年寺 愛知

室町後期の画僧・雪舟が描いた禅宗絵画。禅宗の初祖・達磨と二祖・慧可との出会いの逸話を、ほぼ等身大で描いている。中国絵画の伝統をふまえつつ、雪舟の個性が発揮された水墨人物画として、雪舟作品中、山水画以外の唯一の国宝に指定されている。

斉年寺
住所 愛知県常滑市大野町9丁目139