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2023.06.28

江戸が熱狂した美人画の帝王、喜多川歌麿【カリスマ絵師10人に学ぶ日本美術超入門】vol.8

シリーズ「カリスマ絵師10人に学ぶ日本美術超入門」。今回は喜多川歌麿(きたがわうたまろ)を、代表作とともにご紹介します。

そのほか9人の絵師はこちらからご覧ください。

そうだったのか日本美術22
美人大首絵で一世を風靡

浮世絵の祖とされる菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の代表作が『見返り美人図』であるように、浮世絵には美人画というジャンルが最初から確立されていました。
初期の美人画はいずれも全身が描かれていたのですが、歌麿は役者絵などに用いられていた大首絵(おおくびえ)の手法を取り入れ、上半身アップで顔に目が行く美人大首絵を考案。このアイディアが浮世絵の支持層であった江戸町民に大受けして、歌麿は瞬く間に人気絵師のトップに躍り出ます。

歌麿は単に構図を変えただけでなく、髪の毛の一本一本を丁寧に描き、地色の背景に雲母摺(きらずり)を用いたほかにも、空摺(からずり エンボス加工)や無地の地潰しなどの技法を駆使して、作品としての美しさを追求。まさに一世を風靡(ふうび)するほどの人気を獲得しました。

『歌撰恋之部 物思恋(かせんこいのぶ ものおもうこ)』 喜多川歌麿 大判錦絵 寛政5~6(1793~1794)年ごろ シカゴ美術館 ©Art Institute Chicago, Clarence Buckingham Collection  美人大首絵の魅力を最もよく表したバストアップの構図。繊細に描かれた髪の流れやきものの小紋のほか、物憂(ものう)げな様子を表しているのも見どころ。

そうだったのか日本美術23
実はブロマイドだった!

浮世絵が江戸時代に大人気を博した理由は、悪所(あくしょ)と呼ばれた遊里や芝居町が主に描かれていたことがあげられます。悪所は庶民にとって簡単に足を踏み入れることができない世界で、そこで活躍する遊女や役者の絵は、まさに庶民にとって憧れの的。現代のアイドルのブロマイドやポスターとまったく同じ感覚だったのです。

美人画のモデルは遊女のほかに、寺社の境内や道ばたに店を構えていた水茶屋(みずぢゃや)の看板娘にまで広がり、プロモーション的な意味合いももつようになります。そこに登場した歌麿の美人大首絵は、なかなかお目にかかることができない評判の美人が、艶っぽい様子で描かれていたことから男たちは熱狂し、モデルにも好評だったといいます。

『難波屋(なにわや)おきた』 喜多川歌麿 大判錦絵 寛政5(1793)年 シカゴ美術館 ©Art Institute Chicago, Clarence Buckingham Collection 浅草観音の境内にあった水茶屋「難波屋」の看板娘おきたは、歌麿の美人画に最も多くモデルとして描かれた娘。

『青楼仁和嘉女芸者之部 浅妻船 扇売 歌枕(せいろうにわかおんなげいしゃのぶ あさづまぶね おうぎうり うたまくら)』 喜多川歌麿 大判錦絵 寛政5(1793)年 シカゴ美術館 ©Art Institute Chicago, Clarence Buckingham Collection 青楼とは吉原のこと。吉原では様々な行事の際に芸者が好きな扮装をして郭の中を練り歩いていた。本作は吉原俄(にわか)における当時の売れっ子芸者3人が、若衆の扮装をしているところがポイント。背景の雲母摺が華やかさと艶っぽさを盛り上げている。

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浮世絵は流行の発信地

浮世絵制作に携わっていた者たちにとって、錦絵の販売数は最も気になるところ。少しでも多く売れることを狙って、それぞれが常に工夫を凝らし、それによって浮世絵の技法は長足の進歩を遂げました。

歌麿も浮世絵の技法を極めたひとりで、髪の毛の流れを繊細に描いた「毛割(けわり)」や雲母摺を取り入れ、独自の美を追求したのです。さらに、流行という、今も昔も変わらない女性の興味を満たすため、髪型からきものの柄、組み合わせ方などを研究するだけでなく、ポッピンという最新のインポート・グッズをいち早く絵に導入。女性向けのファッション・メディアという役割も果たしていました。そんな背景を知ると、浮世絵がもっと身近に感じられるのでは?

『婦女人相十品(ふじょにんそうじっぴん) ポッピンを吹く娘』 喜多川歌麿 大判錦絵 江戸時代・18世紀 東京国立博物館 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp) 町娘が当時流行っていた舶来のガラス玩具・ポッピンを吹いているだけの錦絵でありながら、女性らしさが横溢。歌麿の美人画は、仕草や構図を工夫し、様々なテクニックを駆使することで、ただ美しいだけではない魅力を発揮。

カリスマ絵師08 喜多川歌麿プロフィール

きたがわ うたまろ
宝暦3(1753)年ごろ~文化3(1806)年。狩野派の門人や俳諧師に師事した町絵師から絵を習い、狂歌絵本で浮世絵師として名を成す。版元・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)と出会い、美人大首絵を確立したことで第一人者となる。しかし活躍した期間は短く、晩年は寂しいものだった。

※本記事は雑誌『和樂(2018年4・5月号)』の転載です。

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和樂web編集部

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