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蔦重AtoZ
N=謎が謎を呼ぶ人気絵師・東洲斎写楽
日本美術の歴史においても、蔦重の人生においても、最大の謎とされるのが東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)。その正体がいまだに解明されていないのです。
写楽は寛政6(1794)年に役者大首絵28 枚を発表。この記事でこれからご紹介する2枚は歌舞伎『恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)』の登場人物で、とくに〝江戸兵衛(えどべえ)〟は写楽の代表作として有名な作品です。
▼東洲斎写楽を詳しく知る!
賛否両論! 謎の天才絵師・東洲斎写楽の「大首絵」を詳しく解説
おのれ江戸兵衛!許さぬぞ!!
28枚はいずれも背景に高価な黒雲母(くろきら)が用いられており、新人絵師のデビュー作にはありえない豪華なもの。実はこれ、寛政の改革によって罰金刑に処された蔦重が、巻き返しを図った戦略の一環でもありました。
お前ごときの若僧なぞ相手にならぬわ!
写楽はインパクト抜群の第1期の役者大首絵から第4期の作品群までの約10か月間に145作を発表。その後、忽然(こつぜん)と姿を消したため、江戸の当時から謎の絵師とされてきました。
写楽が何者かという説は数多くあり、そのうち有力とされているのが、『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』などを手がけた斎藤月岑(さいとうげっしん)の著述にある、「写楽は阿波(あわ)徳島藩主である蜂須賀(はちすか)家お抱えの能役者・斎藤十郎兵衛(さいとうじゅうろべえ)」という説。
文献が残っていることが強みなのですが、いまだ断定にはいたっていません。
写楽の謎については現在もさまざまな説が飛び交っている状態です。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ではいったいだれが写楽を演じるのか・・・、興味は尽きません。