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2025.04.05

いまだ解明されない、蔦重の人生における“最大の謎”。大河ドラマ「べらぼう」を100倍楽しむAtoZ【N】

吉原に生まれ、自力で江戸の〝メディア王〟となった男・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)の仕事からプライベートまでを、AからZで始まる26の項目で解説するシリーズ【大河ドラマ「べらぼう」を100倍楽しむAtoZ】。第7回は「N=謎が謎を呼ぶ、東洲斎写楽」をご紹介します! Zまで毎日更新中! 明日もお楽しみに。

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蔦重AtoZ
N=謎が謎を呼ぶ人気絵師・東洲斎写楽


日本美術の歴史においても、蔦重の人生においても、最大の謎とされるのが東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)。その正体がいまだに解明されていないのです。

写楽は寛政6(1794)年に役者大首絵28 枚を発表。この記事でこれからご紹介する2枚は歌舞伎『恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)』の登場人物で、とくに〝江戸兵衛(えどべえ)〟は写楽の代表作として有名な作品です。

▼東洲斎写楽を詳しく知る!
賛否両論! 謎の天才絵師・東洲斎写楽の「大首絵」を詳しく解説

おのれ江戸兵衛!許さぬぞ!!

『初代市川男女蔵の奴一平(しょだいいちかわおめぞうのやっこいっぺい)』 東洲斎写楽 大判錦絵 寛政6(1794)年 メトロポリタン美術館 The Metropolitan Museum of Art, Rogers Fund, 1914, JP196

28枚はいずれも背景に高価な黒雲母(くろきら)が用いられており、新人絵師のデビュー作にはありえない豪華なもの。実はこれ、寛政の改革によって罰金刑に処された蔦重が、巻き返しを図った戦略の一環でもありました。

お前ごときの若僧なぞ相手にならぬわ!

『三代目大谷鬼次の江戸兵衛(さんだいめおおたにおにじのえどべえ)』 東洲斎写楽 大判錦絵 寛政6(1794)年 シカゴ美術館 The Art Institute of Chicago, Clarence Buckingham Collection, 1934.207

写楽はインパクト抜群の第1期の役者大首絵から第4期の作品群までの約10か月間に145作を発表。その後、忽然(こつぜん)と姿を消したため、江戸の当時から謎の絵師とされてきました。

写楽が何者かという説は数多くあり、そのうち有力とされているのが、『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』などを手がけた斎藤月岑(さいとうげっしん)の著述にある、「写楽は阿波(あわ)徳島藩主である蜂須賀(はちすか)家お抱えの能役者・斎藤十郎兵衛(さいとうじゅうろべえ)」という説。
文献が残っていることが強みなのですが、いまだ断定にはいたっていません。

写楽の謎については現在もさまざまな説が飛び交っている状態です。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ではいったいだれが写楽を演じるのか・・・、興味は尽きません。

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和樂web編集部


構成/山本 毅 ※本記事は雑誌『和樂(2025年2・3月号)』の転載です。 参考文献/『歴史人 別冊』2023年12月号増刊(ABCアーク)、『蔦屋重三郎と江戸文化を創った13人 歌麿にも写楽にも仕掛人がいた!』車浮代著(PHP研究所)、『これ1冊でわかる! 蔦屋重三郎と江戸文化』伊藤賀一著(Gakken)
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