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2025.06.24

悪口上等!アンチも沸かせた、北斎の“バズるパフォーマンス”とは?│浮世絵師・葛飾北斎を知るAtoZ【P】

約70年にわたって活躍した浮世絵師・葛飾北斎。ただひたすら絵を描くことに執着し続けた北斎の人生は、波乱万丈にして奇想天外! 破天荒な絵師・北斎の人生をAからZの26の単語でご紹介します。今回はP=【パフォーマンス】!

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北斎AtoZ
P=【パフォーマンス】思い切ったアピール力で人気急上昇!


初めて師事した浮世絵師・勝川春章の没後、勝川派を破門された北斎は、琳派の流れを汲む俵屋宗理(たわらやそうり)を襲名します。
しかし間もなく、その画号をあっさり門人に譲ってしまった北斎は、40歳を過ぎたころから即興の「席画」や「曲画」などの、今でいうパフォーマンス・アートをたびたび試みています。

たとえば、寛政11(1799)年には三囲稲荷(みめぐりいなり)の開帳に合わせて曲画を披露し、文化元 (1804)年の音羽護国寺(おとわごこくじ)の観世音(かんぜおん)開帳時には、本堂の前に120畳の紙を用意し、その場で大ダルマを描いて評判をとりました。

北斎のパフォーマンスに特化した展覧会も!

2017年「大ダルマ制作200年記念 パフォーマー☆北斎 ~江戸と名古屋を駆ける~」(すみだ北斎美術館)のチラシ。北斎が生まれた本所割下水に建てられた「すみだ北斎美術館」では、パフォーマンスに特化した展覧会が開催された。

大だるまパフォーマンスの評判は11代将軍徳川家斉(いえなり)まで伝わり、将軍の御前で、文人画家・谷文晁(たにぶんちょう)とともに「席画」を行ったとか。北斎は優れた画力のみならず、インパクトある自己PRによって名を上げていったのです。

これが北斎の大ダルマ・パフォーマンス!

北斎が用意したチラシにひかれて集まった観衆の前で、 大筆を操る北斎とサポートする弟子たち。北斎は絵師としてのみならず、策士としても優秀だったようだ。『尾張名所図会(おわりめいしょずえ)』 附録 巻1 国立国会図書館

その後、『北斎漫画』が評判をとり、人気絵師となった北斎は、文化14(1817)年に名古屋を訪れた際に、自らが手がけた絵手本の悪口を耳にします。
それに憤慨したのか、北斎は江戸で行っていたパフォーマンスを西本願寺掛所(にしほんがんじかけしょ)で決行。
大勢の見物人の前に用意された120畳もの大きな紙に大ダルマを描くと、やんやの喝采を浴び、 北斎人気はさらに上昇。名古屋や関西からの門人も激増しました。

このように北斎は、優れた画力にプラスして、大衆の心をつかむ術を知っていて、自己プロデュース能力にも長けていたことがわかります。

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和樂web編集部


アイキャッチ画像/『北斎漫画』葛飾北斎 江戸時代・19世紀 メトロポリタン美術館 The Metropolitan Museum of Art, Rogers Fund, 1932 構成/山本 毅 ※本記事は雑誌『和樂(2017年10・11月号)』の転載・再編集です。 アルファベットに用いた葛飾北斎の絵は、『戯作者考補遺』(部分) 木村黙老著 国本出版社 1935 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1874790 (参照 2025-06-04)
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