土門拳とは?
戦前戦後を通じてジャーナリズムの第一線で活躍
戦前から報道写真家として活躍し、ドキュメント、人物写真、日本の美など、幅広いテーマで日本の写真史に大きな足跡を残した土門拳(1909~1990)。
土門は1909(明治42)年、現在の山形県酒田市生まれ。横浜で育ち、画家志望でしたが、挫折。さまざまな職業を転々としたあと、東京・上野の営業写真館の内弟子を経て、その後、日本の報道写真の道を切り拓いた名取洋之助主宰の「日本工房」に入社します。当時26歳。
日本工房は、海外に写真やグラフィックデザイン、宣伝などを提供する編集・制作プロダクション。土門は日本の暮らしや伝統文化などを海外に宣伝する写真を撮影し、めきめきと頭角をあらわしました。
こうして土門は被写体の一部を大胆に切りとる独自のスタイルを築き上げ、戦前から雑誌を中心に活躍。戦後も広島の被爆者や、閉山した筑豊炭坑地帯の困窮生活を取材するなど、社会的なテーマに取り組みます。カメラ雑誌や新聞に連載をもち、多くの文章を残し、発言を続けてアマチュア写真家にも大きな影響を与えました。

(C) Ken Domon Photography Institute ※無断複製禁止
戦中に全国の仏像を訪ね歩く
1939(昭和14)年、美術史家の水澤澄夫とともに、はじめて室生寺を訪れ、山あいにひっそりと建つ美しい堂塔や平安時代初期の仏像にすっかり魅了され、以後、交通機関や食糧も不自由な第二次世界大戦中、北は会津・勝常寺から南は臼杵の石仏まで、全国に仏像撮影の旅を重ねました。
当時はフィルムではなく、薄いガラス板に感光剤を塗布した「ガラス乾板」による撮影でした。『土門拳 古寺巡礼』にはガラス乾板による写真が22点収録されています。解像度が素晴らしく、あたかもその仏像に手を触れることができるような再現性と立体感があります。
敗戦後に土門がまず向かったのも室生寺でした。
土門拳と「古寺巡礼」
土門は、1959(昭和34)年、50歳のとき、脳出血で倒れました。後遺症が残り、身軽さを必要とする35㎜カメラの撮影は困難と判断。以後大型カメラによる「古寺巡礼」の撮影に邁進することになりました。

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超豪華本『古寺巡礼』を刊行
『古寺巡礼』(当初は全四集の予定)は土門の自主企画でした。土門は、大陸から渡ってきた仏教美術を日本で<充分に淳化発酵させて、いわば上澄みとしての日本文化が生まれるのである>とし、カラーフィルムによる古寺の撮影により、日本文化の真髄を探ろうとしたのです。
ここに紹介する平等院は、平安時代を中心とするその第三集に収録されています。<平安時代は、日本民族としては明るく花やかな贅沢なもの、すなわち豪華絢爛なものに一歩もたじろぐことのなかった日本文化史上稀有な時代でもあった>と土門は「まえがき」に記しています。
『古寺巡礼』(美術出版社)は、レイアウトも装幀も自ら手がけ、第一集が出たのは1963(昭和38)年。A3判、桐箱に焼き印入りの豪華特装版で、限定2000部、定価2万3000円。大卒の初任給が1万円台だった時代です。写真だけでなく、古今の学者の論を批判し、自説を展開しました。法隆寺論だけで原稿用紙40枚を超える長文を収録しています。
好きなものしか撮らない
土門は自ら<好きなものを好きなように写し、嫌いなものには鼻もひっかけないほど冷淡にして決して撮ろうとしないという、まことにわがままな撮影態度>と記し、その姿勢を貫き通しました。『古寺巡礼』にも法隆寺、薬師寺をはじめとする名刹から、礎石しか残らない寺跡なども収録しています。

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ここ!というところをクローズアップ
クローズアップは土門作品の真骨頂。<魅かれるモノに魅かれるままジーと眺める。モノを長く眺めれば眺めるほど、それがそのまま胸にジーンとしみてぼくなりの見解が沸く><ぼくはこれぞという所にカメラを向け、フレームの真ん中にそれを据え、ピントをギリギリまでよく合わせ、「エイッ」とばかりに気合を込めてシャッターを切る>
土門の助手・藤森武は、「先生が1点撮るのに2時間かかるとすると、1時間近くは一所懸命視ることに費やし、いざ撮影となると、報道写真家だっただけに素早い」と語っています。

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平等院の鐘は、神護寺、園城寺とともに、「天下三名鐘」のひとつ。土門は、その形が称えられる名鐘の飛天図だけをクローズアップし、<ひるがえる天衣は韻々たる鐘の声を形象化したよう>と記した。現在はミュージアム鳳翔館に展示されている。

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土門の腰にロープを巻き付けて、専門の瓦師が引っ張り、助手が尻を押して梯子をよじ登って大屋根に上がり、瓦一枚ずつを這って登ったという。まさに青空に飛び立たんとするかのような鳳凰をクローズアップで捉えた。現在はミュージアム鳳翔館に展示されている。
土門独自の仏像撮影法
仏像の撮影には、まず構図を決めて弟子に仏像の眼にピントを合わさせます。次に長い竹竿の先に直径18㎝くらいの笠を付け、それに閃光電球(フラッシュバルブ)を装着。土門自ら竹竿を手に「オゥー」と叫ぶと同時に助手がシャッターを開け、もう一人の助手が閃光電球を発火させて、すぐさまシャッターを閉じる。ライト係の助手が電球を取り替え、仏像の上部、横側、前面とすべてにわたって上から下まで順々に一発ずつ発火させ、そのたびにシャッターを開け閉めする。ライティングは土門がひとりで走り回って行う。つまり一点一点光を仏像に彫り込むように撮影するのです。等身大の仏像には8発から10発の電球を用いた。助手を務めた藤森武は、この「点光線の集積」で一枚の写真ができあがるといいます。
土門は、木目やノミの跡にまで注目し、隅から隅までピントを合わせるために絞りをできるだけ絞り込み、それをライティングで表現しようとしました。単に形だけを狙わず、仏師がどのような思いを込めて彫ったのか、仏像の内面的なものを捉えようとした土門の写真は、それゆえ見る者の心をつかんで、忘れがたい印象を残します。
動かないものにも絶対的な瞬間がある

(C) Ken Domon Photography Institute ※無断複製禁止
土門が平等院の撮影を終え、帰ろうとしたときにふと振り返ると<茜雲を背にたそがれている鳳凰堂は、静止しているどころか、めくるめく速さで走っているのに気がついた。しばし呆然となったわたしは、思わず「カメラ!」と怒鳴った>といいます。片付けたカメラを弟子に組み立てさせている間にも<鳳凰堂は逃げるように、どんどん、どんどん走っている>。無我夢中でシャッターを切ったが、撮影できたのはたった一枚。この撮影以来、動かない建築や仏像にも絶対的な瞬間があると土門が開眼した記念すべき作品です。
車椅子による撮影
『古寺巡礼』第四集の撮影の終盤、土門は再び病に倒れ、2年間の療養生活を送ることになります。そして車椅子により第五集のために撮影を再開。立った状態の眼の位置からは50㎝ほど低い視線になりましたが、<ぼくは自身の視点を信じ、被写体の視線をさぐって車椅子を前に押させる。更に視点が低くなり、左足が体を支えきれなくなったとしてもぼくの眼が相手の視線を捉えられる限り、ぼくは写真を撮るのである>と写欲は衰えず、1975年に第五集を完結させました。土門は『古寺巡礼』全五集を<ぼくの分身>といっています。文字どおり土門のライフワークでした。
『DOMON: A Pilgrimage to Ancient Temples 土門拳 古寺巡礼』
4月17日発売 定価8,800円(税込) 小学館
*1940(昭和15)年頃~1978(昭和53)年までに撮影された土門拳の代表作155点を収録した永久保存版。
*2021年発売の『小学館SUMO本 土門拳』B2判、定価35,200円(税込)をもとに、この超豪華本の高画質クオリティのまま、B5判、定価8,800円(税込)(大きさ約1/8、価格1/40)と、普及版に再編集した一冊。
*名文家としても知られる土門の言葉を織りこんだ作品解説を付し、写真家の撮影意図を伝える。
*全文英訳付き。
www.shogakukan.co.jp/books/09682518
「土門拳の古寺巡礼展」開催中
丹波市立植野記念美術館で4月11日(土)~5月24日(日)まで開催。
戦前からの代表作約100点を展示、土門のクローズアップ写真を美しいプリントで楽しめます。

兵庫県丹波市氷上町西中615-4
TEL 0795-82-5945
https://www.city.tamba.lg.jp/soshiki/shakaikyoikubunkazaika/gyomuannai/5/1/museumevent/12513.html
土門拳写真美術館
土門が故郷・山形県酒田市の名誉市民第1号に選ばれたのをきっかけに、作品を寄贈。1983年、日本初の写真専門美術館として開館。作品約13万5千点の中から年に4回の企画展で土門作品を展示します。
企画展「THE LOVE-土門拳が撮った愛-」4月17日(金)~7月12日(日)まで開催。

山形県酒田市飯森山2-13
TEL 0234-31-0028
http://www.domonken-kinenkan.jp
文・構成/小西治美

