小型化・インテリア化した「仏壇(ぶつだん)」がどんどん増えている昨今。「仏壇が工芸品?」と思う人も多いのではないでしょうか。実は私もそのひとりでした。そして仏壇は、現代の生活から姿を消しつつあるそうです。そこで改めて仏壇について考えてみたら、「どのようにつくられているの?」「仏壇はいつからあるの?」などの疑問が。それを解決すべく、京都にある若林佛具製作所(わかばやしぶつぐせいさくしょ)を訪ねてみました。
若林佛具製作所とは?
若林佛具製作所は、天保元(1830)年創業の仏壇・仏具専門店です。伝統工芸品である京仏壇・京仏具を製作する職人さんたちの技を後世に残すため、文化財の修復から現代アートとのコラボレーションなど、さまざまな取り組みをしています。
また、長年の経験と技術が認められた者だけに与えられる資格「伝統工芸士」を持つ職人さんが多く、歴史的建造物や文化財を守るための文化財修理事業にも取り組んでいます。
仏壇の歴史は?
仏壇の原点は「玉虫厨子」
仏壇の原点は厨子といわれ、起源は飛鳥時代まで遡ります。日本最古の仏壇とされるのが、法隆寺の「玉虫厨子(たまむしのずし)」。奈良時代の歴史書である日本書紀には、白鳳14(686)年3月27日に天武天皇が「諸国の家ごとに仏舎を作り、仏像や経巻を置き、礼拝供養せよ」(原文:諸国毎家、作仏舍。乃置仏像。及経。以礼拝供養。)という詔勅(しょうちょく)を出したことが書かれており、これが仏壇を祀るようになった起源であると考えられています。
庶民に広まったのは江戸時代
庶民に仏壇が広まったのは、江戸時代に入ってからです。徳川幕府が設けたキリシタン信仰を禁止するための制度「宗門改め」により、各家庭に仏壇が置かれるようになりました。家に仏壇があることが、仏教徒である証明になったのでしょう。
仏壇・仏具をつくっているたくさんの職人さん
仏壇や仏具の製作にはさまざまな工程があり、分業で行われています。木地製作から、彫刻、漆塗、蒔絵、彩色…。それぞれを専門とする職人さんたちの手により、各部品が整えられ、ひとつの仏壇・仏具になっていくのです。それを担う10種の職人さんを紹介します。
木地師(きじし)
ひのきや松などの木材を使って、仏壇それぞれの形式や大きさに合った土台をつくる職人さんです。木地製作には、決められた設計図などはありません。設計図の代わりになるのは、代々受け継いだ「型板」や、「杖(つえ)」と呼ばれる寸法を記入した木材。木地師さんたちは、これらの道具と経験と勘によって、木地のバランスを仕上げていきます。
彫師(ほりし)
木地師の人たちがつくった土台に合わせて、動物や花などの装飾を彫る職人さんが彫師です。ひとつの木の塊から図柄を彫り出す「丸彫り」と、各部分に分けて細かく彫り出す「付け彫り」の2種類があり、寺院用などの大きな彫刻を得意とする職人さんと、細かな彫刻を得意とする職人さんに分かれます。
塗師(ぬし)、蒔絵師(まきえし)
塗師は木地に漆を塗る職人さん。木地を部品ごとに分解し、下地から上塗りまで、漆塗箇所に関する一連の作業を担います。漆を乾かすためには、適度な温度と湿度が必要なため、「室(むろ)」と呼ばれる適温室の部屋に入れて漆の硬化を調整しています。
塗師が製作した漆表面に、漆や金などで蒔絵を施すのが蒔絵師。粗さの異なる金属粉や、貝を使った螺鈿、色漆などの原料を用い、筆や刷毛などさまざまな道具を使用します。
蝋色師(ろいろし)
あまり聞きなれない「蝋色師」は、塗りが完成した後にその表面を仕上げる職人さん。炭で表面を「研ぐ」作業からはじまり、手のひらを使って磨き粉と油で光沢を出す「磨き」を行い、漆の刷毛目であるデコボコを平らで光沢のある鏡面のように仕上げていきます。また、漆表面を整え金箔を押した時の輝きを均一にする「摺り上げ」も行います。
箔押師(はくおしし)
漆塗りの工程の後に、生漆を接着剤として接着用の漆で金箔を1枚ずつ押していく(貼っていく)のが箔押師。接着用漆を塗り、その漆を薄く拭き取った上で金箔を押す。これが一連の作業ですが、接着用漆の乾く時間や量などの判断がとても難しく、熟練の経験と勘が必要とされます。
錺師(かざりし)、彫金師(ちょうきんし)
錺とは、仏壇や仏具を美しく飾る装飾金具のこと。錺師は、材料となる銅や真鍮、金、銀などを採寸し、図面に沿って板金から金具の形を切り抜きます。そこに、鏨(たがね)と呼ばれる工具を使って模様を彫っていくのが彫金師。京都の錺金具は、それぞれの専門の職人さんの手によって、分業で製作されています。
彩色師(さいしきし)
仏壇や仏具に、岩絵具や泥絵具など日本古来の絵の具で絵を描いたり色を付けるのが彩色師。それぞれの用途や場所によって、何種類もの絵の具を使用して細かく色を付けていきます。
仕立て(したて)
細かい分業を経て、それぞれの職人さんから返ってきたそれぞれの部品を仕立て(組み立て)るのが、仕立ての職人さん。部品を結合させるための調整や金具打ち、組み立ての作業を行います。仕立ては力作業でもあるので、経験と緻密さに加え、体力も求められる仕事です。
仏壇・仏具の製作現場に突撃!
職人さんについて教えていただいた後、なんと若林佛具製作所の職人さんたちの工房を特別に見学させてもらうことができました!
木地師・橋本利夫さん
橋本さんは、宮殿専門の木地師です。橋本さんが製作した木地は、その後各職人さんたちのところに回され、漆を塗ったり錺金具をつけたりされます。そのため、すべての部品を分解できるようにつくらなくてはいけないのだといいます。
「これらは売っているものじゃなくて、全部私がつくったものなんです」。と、橋本さんが見せてくださったのは、鉛筆や赤ペンでメモリが書かれた「杖」と呼ばれる木の長い棒。
「お客さんにはCADでつくった図面を見せますが、私がそれを実際につくる時に図面は必要ないです。屋根の種類や場所によって大きさが決まっているので、この自作の杖があればサイズが測れる。これが私の図面になるわけなんです。間口なんかは、正面左右対称ですから、この杖1本と型があれば木地をつくることが可能です」
橋本さん自作の型がずらり
橋本さんは、漆ののりしろなども計算しながら木地をつくっているそう。「漆を塗ることで厚みが出てしまうこともあるので、ぴったりサイズでつくればいいというわけではない。そこが、私たち木地師の仕事の難しいところです」
島田彫金工房 雅
鏨という工具と金づちを使い、金属に柄や模様を彫り出す「島田彫金工房 雅」の島田雅喜さん。静かな住宅街のなかにある、自宅兼工房には、カンカンカンカンと甲高い音が鳴り響いています。
鏨職人さんは名古屋にひとりしかいないそうで、島田さんがご自身でつくった鏨を使用することが多いそうです。
この、今にも動き出しそうなカタツムリも、島田さんの作品。金属でできた1枚の板を、金づちで叩いて叩いて丸めてつくったのだそう。「なかに真鍮をはめて蝋付けし、カタツムリのかたちに形成しています」つくり方を簡単に説明してくださいましたが、1枚の板がこのカタツムリになるなんて、やっぱり想像ができません…!
山本合金製作所
山本合金製作所は、日本全国の神社に納めるご神鏡など、和鏡を製作する工房です。「うちの技術がすごいところは、男前はより男前に、ぶさいくはそれなりに映ることです(笑)」と笑うのは、5代目の山本富士夫さん。6代目を継ぐ、息子・晃久さんとともに、和鏡ができるまでの工程を案内してくださいました。
鏡は、原料を型に流し込む「鋳造(ちゅうぞう)」、凸凹をフラットにするための「削り」、表面を滑らかにする「研ぎ」、3段階の工程でつくられていきます。センという道具を使って削っていく作業は3〜7日かかるとか。センにも粗目、中目、細目と種類があり、粗いものから順に使っていくそうです。
削りの作業が終わったら、次は砥石を使って研いでいく作業にうつります。目が細かい朴炭(ほおずみ)と、さらに細かい駿河炭(するがずみ)を使って表面を滑らかに。これらの作業も約半日ずつかかるそう…。気の遠くなるような作業です。
「この仕事は、ひとつの鏡が出来上がるまでの全行程に関われる。1プロセスだけをやるんじゃなくて、すべてのプロセスを自分の責任でできるというところが、やりがいだと思っています」。鏡師の仕事について、晃久さんがお話してくださいました。
職人さんの工房を訪ねてみて
家に仏壇がある生活を知らない私は、仏壇に対して宗教的なイメージを持っていましたが、作業現場を実際に見ることでその考えがガラリと変わりました。仏壇は、仏さまをお祀りする、亡くなった方のお位牌をお納めする大切なものです。しかしそれ以前に、部品ひとつひとつを職人さんたちが地道な手作業によって大切につくっている、“総合工芸”でもあったのです。
“工芸”としての仏壇を堪能できる! 「京仏壇ミュージアム」
きらびやかな金仏壇はもちろん、たくさんの錺金具や彫刻が施された大きな仏壇は今の住居に取り入れることは難しいですよね。それゆえに、家に仏壇がある人でも、仏壇をつくる技術にまでなかなか意識が向かないものです。若林佛具製作所 京都本社には、仏壇の工芸としての魅力を学べるピッタリの場所「京仏壇ミュージアム」がありました。
ここでは、明治期の貴重な仏壇のほか、美術展に出展されているような最高の技術を駆使してつくられた仏具などを鑑賞することができます。“工芸”としての仏壇をたっぷりと堪能することができるので、ぜひ一度足を運んでみてください!
※「京仏壇ミュージアム」見学の際には事前の予約が必要です
若林佛具製作所公式HP
取材協力/若林佛具製作所、出典/谷口幸璽著「仏壇のはなし」