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2021.03.19

美濃の若き職人がつくる進化系和傘って?斎藤道三や明智光秀を生み出した町は、伝統工芸の町でもあった【岐阜】【PR】

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NHK大河ドラマ『麒麟がくる』で、多くの戦国武将のゆかりの地として知られた美濃。舞台となった稲葉山城(後の岐阜城)での斎藤道三をはじめ、明智光秀や織田信長、森蘭丸など、個性あふれる武将たちが華々しく描かれました。

ドラマの前半は、美濃が多く描かれましたね。

しかし、ここ美濃は戦国の舞台だけではありません。歴史ある伝統工芸を育んできた地域でもあります。また、斎藤道三が下地を作り、織田信長が受け継いだ「楽市楽座」の施策もあって、商業の町としても発展しました。長良川の舟運を利用し、和紙や木材が流通。提灯や和傘の生産地として活気に溢れていた場所です。

ものづくりも盛んだったんですね!

中でも加納藩の藩主であった永井直陳が奨励した和傘作りは、この地域の産業として、その後、大きく花開きました。

全国でもトップシェアを誇る伝統技術

昭和20年代、この加納町に600軒以上もの和傘屋がありました。最盛時には年間約1200万本の生産量を誇っていたと言われています。

1200万本の和傘!すごい数です。

和紙に引いた油を乾燥させるため、天日干しされた和傘がまるで美しい花を咲かせたように町を彩っていました。自然の素材だけを使い、人間の手技を集結させた岐阜和傘は、今もその技術の高さで全国トップシェアを誇っています。しかし、時代の移り変わりと共に洋傘や大量生産されるビニール傘の台頭で、町に和傘の花が開くことは僅かとなってしまいました。

現代ではほとんど見ることもなくなってしまいました……。

和傘の魅力を再び! 町ぐるみで若手職人や後継者育成を支援

和傘作りに欠かせない伝統技術ですが、生産量が激減している今、傘の開閉部分となるエゴノキから作られる轆轤(ろくろ)や手漉きの美濃和紙など、職人の高齢化も相まって危機的状況に陥っています。

▼和傘の危機を書いた記事はコチラ
使い捨て大国ニッポンに伝統の危機!和傘の花は再び開くのか

岐阜県の中心を流れる長良川は、今も昔と変わらず美しい景観を誇っていて、地元の人々の愛すべき故郷の風景です。その長良川で育まれてきた伝統工芸を絶滅させてはいけないと、少しずつですが、若手の職人たちが育ちはじめています。

若手の職人! どんなものをつくっているんだろう?

クラウドファンディングで後継者育成の支援金を募集したところ、想像を超える金額が集まり、現在、轆轤と傘骨を作る後継者の育成もスタートしました。もう一度、町の誇りを取り戻したい、そんな人々の思いが聞こえてくるようです。

美しい和傘の進化系!美濃の伝統工芸を1本の傘に

 
こういった現状を多くの人に理解してもらおうと、日本で唯一の岐阜和傘専門店「和傘CASA」では、オリジナル和傘の制作に力を入れています。オーダーメイドの和傘を若手の和傘職人に発注して、新しい感覚の和傘を楽しんでもらおうとしているのです。

オーダーメイドの和傘、ですか!

また、長良川流域の職人たちとのコラボで、材料となる美濃和紙の藍染めを試み、世界に一つだけの和傘が誕生しました。時間をかけた手技から生まれる工芸品は、その仕上がりの美しさはもちろんのこと、根気のいる細やかな職人の仕事にも注目が集まっています。

岐阜県石徹白(いとしろ)で育った藍で染められた美濃手漉き和紙を和傘に仕立てたスペシャルコラボ和傘
これはかわいい〜〜!

「和傘は何百年も前から作り続けられていて、今もなお同じ材料、技法で作られていることにロマンを感じます。和紙と竹だけでできているのに、油を引くことで雨に濡れても破れないなど、昔ながらの知恵や技術が詰まっています。こういったことを知るにつれ、和傘の魅力にどんどん引き込まれていきます」と語ってくれた和傘CASA店長の河口郁美さん。和傘は使った後に干すなどの手入れも必要ですが、その手間暇も生活の一部として楽しめると言います。

洋傘よりも、愛着が湧きそうです。

「和傘は昔の物と思っている世代の人にも関心を持ってもらえるよう、若手の職人さんと洋服にも合い、日常のシーンに溶け込む藍染め和傘を作りました。職人の方々の仕事場へ伺う度に、厳しい自然環境の中で、植物や素材と向き合っている姿に感銘を受けます。和傘を発信することで、岐阜の素晴らしい自然環境も伝えていけたらと思っています」と河口さん。和傘を使っていると、木漏れ日の心地良さや雨音、光や風など、自然を身近に感じられると言います。

障子から漏れる光もうっとりしますよね。和傘も同じような魅力がありそうです!

薄く光を通す白い和紙にグラデーションの藍染めが見事なコントラストを生み出していて、まるでアート作品のようです。使い捨ての道具ではなく、長く使えて、生活に彩りを添え、愛着が持てるのも和傘の魅力の一つ

江戸時代から続く岐阜和傘の伝統を今に伝える若き職人たち

美濃和紙は1300年の歴史を誇り、国の重要無形文化財に指定されています。奈良の正倉院に残されている「最古の戸籍用紙」も美濃和紙です。

美濃和紙には長い伝統があるんですね。

徳川家康が関ヶ原の戦いで使用した采配が美濃和紙だったことから、江戸幕府の御用達にもなりました。このような伝統に裏打ちされた素材である和紙を使い、作りあげる岐阜和傘は、今や希少な国産和傘です。この伝統を次世代に伝えたいと頑張っている若手職人を紹介します。

和傘職人の田中美紀さん(左)美濃和紙職人の寺田幸代さん(中央)和傘CASA店長の河口郁美さん(右)

ひと手間ひと手間をかけて作り上げる和傘で、伝統工芸の良さを知ってもらいたい

大学では外国語を専攻し、全くの異世界から飛び込んだ田中美紀さん。何度も断られながらも諦めきれず、和傘屋へ弟子入りできたのだとか。彼女も美濃和紙と和傘の魅力に引き込まれた一人です。
「一口に和紙といっても、透かし模様や染め、胡粉(ごふん)※を引くなどの技法で、全く違う風合いになります。平面で見ている和紙と仕上がった和傘も、全く違った趣になるんです。その和紙を笠骨に張るのですが、張り直しができないため、一瞬で行う作業となります。ここまで出来たら終わりという到達点もないので、常に技術の向上も求められます。そこが難しくもあり、面白さでもあります」と和傘作りの魅力を語ってくれました。
※胡粉:貝殻からつくられる日本画の白色絵具のこと
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和傘の楽しさは、外側と内側では全く趣が異なること。光が差し込んで、色が変わるのも和傘の魅力です。また、笠骨の部分を止める糸かがりも繊細な美しさを放っています。
「糸の色や傘の縁に貼る軒紙(のきがみ)の色合わせでも雰囲気が異なります。毎回違うものを組み合わせられるのは、1点ものを作っているからこそのこだわりであり、昔の人たちの遊び心を感じられる部分です」。こういった技の集大成が1本の和傘であると思うと、和傘を開く度に、手仕事の美しさに触れられる気がします。

田中さんは、和傘を作らせてもらうまでに5年以上かかっているそうです。その間に、いろいろな職人さんの手仕事を見、たくさんの和傘に触れることができたことが、今の自分の技術に繋がっているとも語ってくれます。一朝一夕では身につかない職人の世界だからこそ、ひと手間ひと手間に、田中さんの強い思いと深い愛情が込められている気がします。

高橋和傘店 田中美紀さん

岐阜県出身。大学卒業後、坂井田永吉本店に弟子入りし10年勤務。 その後独立し、高橋和傘店をスタート。和紙のセレクトや糸かがりに強いこだわりを持つ。現在は一児の母であり、子育てと仕事を両立している。

自然に囲まれて、人も自然の一部だと感じながら、和紙を漉いています

今回、手漉きの美濃和紙を制作してくれた寺田幸代さん。彼女も和紙が好きで、この世界に飛び込んだ一人です。和紙作りは自然に近い仕事と語ってくれる寺田さんにとっても、藍で和紙を染めるのは初めての体験だったそうです。

「和紙は紙ですから、水につけて染めるには、水に耐えられる強い和紙を作らないといけないんです。それにはいろいろな方法があって、2~3年和紙を寝かせたり、こんにゃく引きといって和紙にこんにゃくを塗ったり。そういった先人の知恵は資料として残っているわけではなく、それぞれが自分なりの手法で見いだしていくんです。だから、最初、和紙を染める時は、どんな風に出来上がるか、全く想像ができませんでした」と寺田さん。楮や三椏(みつまた)が原料となり、木の皮をはぎ、水にさらし、原料を炊く煮熟(にじゅく)で柔らかくしたものを叩いてドロドロにします。和紙の原材料を作るまでもいくつもの工程を経て、ようやく冷たい水の中で漉いていく手漉き和紙。自然の厳しさを目の当たりにしながら、ゆったりした時間の中で出来上がっていく工芸品だと言えます。

「この業界に入って8年目ですが、未だにこうすれば良い結果が出るという世界ではないんです。毎日の天気によって仕上がりも変わる。どこまで行っても道半ばです。昔の人は、自然に近い暮らし方をしていたので、植物の使い方や自然環境の変化にも敏感だったんですよね。だから私もそういう感覚を大事にしながら、手間をかけることに時間を費やす。一番好きな作業が、和紙の原料を作る過程で行う塵取りなんです。繊維についた傷やむら、変色した部分を除去していくんですが、無心になれます。大量生産で便利な時代になりましたが、時代のスピードを少し緩め、自然と向き合っていく時間をこの仕事を通して増やしたいと思っています」

テラダ和紙工房 寺田幸代さん

神奈川県横浜市出身。高校卒業後、建築関係などのアルバイトを経て、美濃市の最高齢である和紙職人に弟子入り。山を眺め、美味しい空気を吸って元気をいただいているとか。

植物から生まれる染料の世界は、自然の恩恵を一身に受けられる仕事です

和傘CASAの河口さんが目指した和傘は、長良川流域で生まれる自然素材の素晴らしさを伝えるためのものでもあります。「藍染めの和紙で和傘を作りたい」と思い、向かったのは岐阜の最果て、福井県との県境にある石徹白(いとしろ)地区。かつては白山信仰の地として賑わいを見せた集落だそうです。白山の麓で植物を育てるところから始め、染め、糸、布づくりなどを自然にあるものからも作っている石徹白洋品店。そこで藍染職人として働く高岡奈美帆さんが、藍染め和傘の和紙を染めてくれました。もともとアパレルに勤め、いつか自分でデニムを作りたいと染色を習い始めたことがきっかけとなり、今では藍染めの奥深さに惹かれ、日々精進しているそうです。

「藍は、春に種をまき、夏に収穫し、葉を発酵させて、藍玉を作り、ようやく染料になるという、大変手間暇のかかる素材です。生き物なので、毎日攪拌して状態を管理するなどの世話が大切。でも植物がこうやって変化して藍色を発していくのが魅力でもあります」と語ってくれます。染色を習い始めて1年、藍染を仕事として3年になる高岡さん。和紙の染めは、通常の布に染めるのと違い、染めて、乾かしての作業を10回以上繰り返して、ようやく納得のいく色とデザインができあがったとか。「藍の染料は他の菌が入ると、一瞬でダメになってしまう繊細な生き物なんです。人間の目と手触りだけで藍の状態を管理する藍染めは、経験と勘が頼りの仕事。自然の厳しさと向き合いながら、長い間受け継がれてきた伝統工芸を守り続けていけたらと思っています」

石徹白洋品店 高岡奈美帆さん

愛知県出身。アパレル関係に勤務する中で、染色に興味を持ち、有松絞りを習い始める。その後、藍染めを本格的に学ぼうと石徹白洋品店に就職。福井県で染色工房を営む72歳の師匠に藍染めの手ほどきを受け、その奥深さに藍染職人になることを決意。厳冬を乗り越え、春を待つ生活を楽しんでいる。

未来に和傘の花を咲かせよう! 行政と民間が協力して地元を盛り上げるイベントを開催

岐阜和傘を作り続けるということは、今ある自然環境を残していくことでもあります。近年、持続可能な社会を目指そうと様々なスローガンが掲げられますが、昔から人々が守ってきたことを粛々と生活として営むこと、それが大切なことのような気がします。和傘作りに関わる職人たちとの出会いの中で、そんなことを感じました。

風前の灯ともなっていた和傘業界ですが、「この伝統の灯りを消したくない」「次世代へとつなげていきたい」との思いが、市民の間にも高まってきています。和傘職人や和傘問屋を支える地域の人々が、町の誇りである岐阜和傘を再び活気あるものにしようと動き出したのです。2021年1月30日~2月7日に岐阜城下で「ぎふ灯り物語~アート&ヒストリー」を開催。宵闇に浮かぶ幻想的な和傘がSNSを中心に話題となりました。少しずつですが岐阜和傘の灯りが人々の中に広がり始めています。

和傘CASA

風情ある町なみが残る岐阜市川原町にて築100年の町家をリノベーション。日本の和傘の7割近くを作る岐阜の地で、蛇の目傘、番傘、日傘を常時60本近く取り揃えている唯一の岐阜和傘専門店。岐阜和傘を核に”長良川流域ブランド”を発信している。

住所: 岐阜県岐阜市湊町29 長良川てしごと町家CASA1F
営業時間:11:00~18:00
定休日: 火・水曜定休
藍染和傘等の販売は下記から 
Webサイト:和傘CASAオンラインショップ

NPO法人ORGAN

長良川流域の持続可能な地域づくりを支援を目的として2005年にスタート。
岐阜市の伝統工芸の復活再生プロジェクトや、町家保存の取り組み、地域で催されるイベントの事務局など多様なプロジェクトを実施。2011年より、法人となり、長良川デパートや和傘専門店「和傘CASA」などの運営も行っている。
Webサイト:NPO法人ORGAN

書いた人

旅行業から編集プロダクションへ転職。その後フリーランスとなり、旅、カルチャー、食などをフィールドに。最近では家庭菜園と城巡りにはまっている。寅さんのように旅をしながら生きられたら最高だと思う、根っからの自由人。

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我の名は、ミステリアス鳩仮面である。1988年4月生まれ、埼玉出身。叔父は鳩界で一世を風靡したピジョン・ザ・グレート。憧れの存在はイトーヨーカドーの鳩。