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2021.06.05

大切な人の遺骨を傍に。新しい供養のカタチ「納骨オブジェ」って何?手元供養を支える思いを聞く

この記事を書いた人

先日、ある映画を見た。
タイトルは、『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った』
原作は、宮川サトシ氏の自伝エッセイ漫画だとか。

今回、この取材をしていなかったら、きっと私はこう思うだろう。
『君の膵臓をたべたい』ばりのインパクト狙いのタイトルだと。少々出オチ感はあるものの、話題集めには格好のフレーズだからだ。

しかし、取材を通して。
身近な人の「死」について、真剣に考える今なら。
残された遺族が悲しみを乗り越えることに、真正面から向き合いたいと思う今なら。

映画のラストシーン。主人公の男が、亡くなった母親の遺骨をそっと口にする行為を、大げさだとか、気持ち悪いなどとは思わない。なんとなくだが、「頭」ではなく「心」で自然に受け止められる、そんな気がするのだ。

「今は亡き大切な人を、傍で毎日供養したい」
この映画の主人公のように、そんな思いを持つ人は少なからずいる。
この願いを叶えるため、新しい供養の選択肢として注目を集めているのが「手元供養(てもとくよう)」という考え方。故人の遺骨を供養の対象として、お墓などに納めず、手元に置いて供養する方法だ。

今回の記事は、この「手元供養」について。
ライターの立場を超えて、純粋に興味を持った。知りたいと思ったのだ。
訪ねたのは、京都にある有限会社「博國屋(ひろくにや)」。
そして、清水焼で有名な「瑞光窯(ずいこうがま)」。

どうして「手元供養」という言葉が生まれるに至ったのか。
手元供養には欠かせない遺骨の入れ物。納骨オブジェの「地蔵(じぞう)」を、1つ1つ手作りで焼き上げる清水焼職人の思いとは。

今回は、そんな「手元供養」にまつわる人たちの思いを伝えたい。

余命1年の状況を知らされて

「手元供養」という言葉を世に知らしめた会社が、京都にある。
京阪電鉄「丸太町」駅から歩いて5分ほど。寺町通り沿いのビルの4階に事務所を構える、その名も有限会社「博國屋(ひろくにや)」。
今回は、代表の山崎譲二(やまざきじょうじ)氏にお話をうかがった。

「2002(平成14)年。がんのステージ4だと、親父が余命宣告されちゃって」
山崎氏のこの言葉から、取材は始まった。

山崎譲二(やまざきじょうじ)氏。セゾングループのデベロッパー部門で21年間、まちづくりのプランナーとして活躍後、独立。現在は、有限会社「博國屋」と「カン綜合企画」の代表でもある
(※写真撮影時のみマスクを外して頂きました)

「僕は次男坊で、松山出身。(親父が)余命1年と状況を知らされて。どう供養をすればいいのかと考えたときに、全然分からない世界で。自分なりに悩んで調べて。こうして考えたのが『手元供養』」

これまでの人生を振り返って、「好き勝手やらしてもらった」と話す山崎氏。
彼は、どうしても父親に感謝するものが欲しいと考える。しかし、ここで迷いが生じてしまう。
「仏教に対するシンパシーはあるんだけれど、それはあくまでシンパシーのレベルであって、信者じゃない。具現化としてのお墓があったり、仏壇があったり。(それらに)どうもピンと来ないというか。亡くなった後に手を合わせるのに、ホントにそこに親父がいるのかどうか…。そんな思いもあって」

ちなみに、お父上からの希望は「散骨」。
「親父の遺言としては、自分の育った海にまいてくれと」

どうやら、最初はその真意が分からなかったという。
「(親父は)沖縄戦の最後の部隊だったもんで。米軍が沖縄に入る前に、病気で鹿児島に送られて。(沖縄に)残った部隊は全滅してる。そんなこともあって、親父は苦労して鹿児島から松山に帰るんですけど」

その後、半生をかけて、四国八十八ヵ所の巡礼へと2回半お参りされたとか。
出身が愛媛県ということもあり、四国の人は弘法大師(空海)が大好きだからだと。山崎氏は、当初、お父上のお遍路の理由を深く考えていなかったという。

「がんが、最後は脳にまで転移して。そのときに、どうもパンドラの箱が開いちゃったみたいで。親父ががんセンターのベッドで立ち上がって、『沖縄から友達がいっぱい来てくれた』って」

点と点が繋がるとでも言おうか。これで、今までのお父上の行動が理解できたのだとか。
「あとで考えると、お遍路も戦友に対する鎮魂だなと分かってきて。それで親父の遺言で、海にまいてくれっていう意味もやっと分かって。沖縄と繋がっているんだと」

こうして遺言通りに、一部の遺骨を散骨し、一部を本山に納骨。
「そのときに一部を兄弟で持とうと。遺骨を入れられるお地蔵さまを作って、手元で供養した。それがきっかけです」

博國屋の手元供養品の「納骨オブジェ」「黒地蔵(ミニ骨壺つき、焼付文字なし)」税込69,300円(2021年5月現在の価格となります)

山崎氏曰く、手元供養の考え方の根底には「魂魄(こんぱく、こんばく)思想」があるという。
「『魂魄思想』は、我々が生きているのは精神と肉体が一体となっているという捉え方をする。『死』は両者が分離する状況。『魂魄』の『魂』は魂のことで。亡くなると、精神は天上に昇り雲間に行く。一方で、肉体は地に戻る。だから『魄』は白骨を指します」

この考え方をベースにするならば。
地上にある「魄」を依り代(よりしろ)に、それに手を合わせることで、雲間にいた「魂」が依り代に来る。つまり、お墓参りの原理は、「魄」を介して、故人の「魂」と会うことができるというコト。

さらにこれを進めて、「魄」をより近くに置くことができれば…。
こうして、「手元供養」という考え方が生まれたようだ。

形式じゃない。供養とは、故人を思い出すこと

「grief(グリーフ)」とは、深い悲しみや悲嘆を意味する。
配偶者や子ども、親などの家族、そして親しい友人などとの死別は、まさにこの言葉通り。じつに、手元供養には、そんな悲しみから立ち直らせる「グリーフケアー」の役割があると、山崎氏は話す。

「大切な人を失った人でないと、感覚がリアルに分からないとは思うけど。心のある部分が空洞になる。(手元供養は)それを癒すという役割。それからお墓の代わり。お墓のセカンドハウスとも呼んでいる」

人が亡くなったのち、物理的に残るのは「骨」のみ。その遺骨を対象として、傍で手が合わせられるような形を目指したのだ。これが、結果的に、悲しみに寄り添うことになるのだろう。

もちろん、従来のお墓と併用される方もいる。
「特に『順縁』の場合はそうでもないですが、子どもが親より先に死ぬ『逆縁』の場合は、悲しみがキツイ。とても(遺骨を)お墓に入れられない人もいるんです。お骨を家に置いてね。けれども、親戚とかは、早くお墓に入れないとって責めちゃう。それが辛くて眠れないという人も中にはいる。そういう人は、お骨の一部を手元に残して、お墓に入れるんです」

なるほど。抱える事情は人それぞれ。
已むに已まれず、選択するしかない人もいれば。一方で、将来を見据えてという人も。
「じつは、散骨の人たちは、80%以上の人が手元供養とセットです。最初はそうでもないんだけど。お彼岸やお盆、命日とか。そういう区切りのときに、(お墓に遺骨がないので)どうしたらいいのかと。徐々にその思いが強くなって。そのときに、お骨の一部でも取っておけばよかったと考えるので」

それにしても、素朴な疑問が1つ。
実際に手元供養を選択した場合、一体、どのような日常となるのだろうか。
「僕も机の上に、親父とお袋を入れたのがあるんだけど。不思議とね、傍にいてくれる感覚がするんです。死んでどこかに行ったというよりは、傍で見守ってくれてるという感じ。毎日、タバコを1本置いて、おはよって言うんです」

山崎譲二(やまざきじょうじ)氏 (※写真撮影時のみマスクを外して頂きました)

確かに、写真では、こうもリアルな行動に出るのは難しいのかも。
やはり、「骨」という部分が、故人を実体化させるのだろうか。「心の中で永遠に生き続ける」とはいうが、山崎氏の話を聴けば、より現実的に故人の存在を感じられるように思う。

「いいこと、悪いこと色々あるけれど、こんなことあったんだよって心の中で伝えると、ここから声が返ってくる。良かったなとか。まあ、そんなこともあるよって、松山弁で。これも完全なグリーフケアーの部分かもしれませんね」

このコロナ禍である。
命日など節目の日に、多くの人たちが集まることが難しくなった時代。
じつは、思いもよらないところで。手元供養は、新しい形の法要を模索する手助けにもなっている。
「うちの場合、家族LINEで親父とお袋の命日は、今日の17時に松山の方を向いて黙禱して。夜は酒を飲んで、じいちゃんを偲ぶという連絡をする。『もう17回忌なんだ』って、そういうLINEも返って来る。それが命日の法要。集まってやらなくても、そういうのができる」

形式ではないのだ。
山崎氏曰く、供養とは、故人を思い出すこと。
大切な人を忘れてなどないのだと自認する。
「人間って弱いじゃないですか。いい時ばかりじゃないし。ホントに辛い時とか、迷うときとかね。ある意味、これがあればね」

思い出すことで、自分が受けた亡き人からの様々な支援を感謝する。
供養とは、そういう「心の行為」なのだと。

コンセプトだけで、迷わず作られたデザイン

さて、手元供養といっても、何をどうすればいいのか、分からないことだらけ。
特に、重要なのが、手元に置く遺骨をどこにしまうのかというコト。

「骨壺」だとあからさまに分かるでもなく。部屋全体のインテリアに自然と溶け込むような入れ物が望ましい。かといって、デザイン性のみを追求すればいいというワケでもないだろう。これまた少し物足りず。やはり、「供養」という観点から、心がふんわりと温かくなるような仕掛けも欲しいところ。

手元供養品の販売を手がける有限会社「博國屋」代表の山崎氏は、こう話す。
「『供養する』というのを、僕なりに解釈すれば、宗教的行事ではなくて、『偲ぶ』とか『感謝する』とか。個人的な心の問題だと捉えている。そのときに、自然と手を合わせたくなるようなものを作りたいなと」

お父上の思いがカタチとなり、山崎氏考案のコンセプトが完成。
「『地蔵』さんっていうのは。仏教ともちょっと違う、道祖神的なもの。あまり具象的なものにしないで。かといって抽象的なものでもなく、その中間でデザインしてくれないかと」

また、素材にもこだわりが。
「僕が考えたのは『焼き物』。焼き物にはぬくもりがあるし、最後のところで職人の手が入りますから。1つ1つが違うんですよね」

こうして、デザインを依頼したのは、東京藝術大学美術学部デザイン科教授の「清水泰博(きよみずやすひろ)」氏。京都清水焼「六兵衛窯(ろくべえがま)」の八代六兵衛の弟にあたる人物である。元々、前職の仕事で繋がりがあったというが。やはり、京都の「焼き物」といえば「清水焼」。山崎氏の強いこだわりが、ここにも見受けられる。

そして、出来上がったのがコチラ。納骨オブジェの「地蔵」。

納骨オブジェ「地蔵(ミニ骨壺つき、焼付文字なし)」税込69,300円(2021年5月現在の価格となります)

「全然迷わず、このデザインを作ってきましたね。やっぱり芸術家の血ってすごいなと思いましたね。ホントにブレない。コレ、手で持って話しかけられるような大きさと形にしてあるんですよ」

もちろん、気を遣ったのはそれだけではない。
外側の焼き物のみならず。内側の遺骨入れにも配慮した。
「真鍮に漆を塗ったものです。大切なお骨なので、袋も『ちりめん』で。焼き物の内側はシリコンにして、差し込むんです。温度によって収縮が起きないように。引っ張り出せるように、最高級シリコンにしました」

「地蔵」の中に収める遺骨入れ

さらに、山崎氏には「手元供養のその先」が見えていたようだ。
というのも、手元供養は、ある意味、特殊な供養方法の1つ。故人に対して、感謝や特別の思い入れがなければ、選択しないからだ。そこにあるのは「自発的な思い」。つまり、個人の心の在り方の問題となる。

裏を返せば、故人と面識が全くない人物には、なかなか理解できない供養法ともいえる。一般的なお墓のように、先祖代々守っていくという感覚ではない。あれほど傍に置きたいと思った遺骨も、何代かあとの子孫にとっては「知らない人の骨」となってしまう。

手元供養をしていた人が亡くなったあと。
残された遺骨を、今度はどうすればいいのかと。確かに、対応に困るのも分からなくもない。

「だから、(別で)お守りとかペンダントとかを『木』で作っているんです。中にお骨が入れられて、こういうモノなら、一緒に火葬してくれる。祀る人、偲んできた人がいなくなったあとのことも大事なんで。柩に入れて、一緒に極楽に行けるような仕様にしている」

遺骨を入れられる「納骨お守り かぐや姫」税込44,000円(2021年5月現在の価格となります)

これで、手元供養を引き継ぐ必要もない。
安心して、共に旅立つことができるのだ。

ただ1人。手元供養を支える清水焼職人の技

さて、ここからは場所を変えての話。
いつもながら、興味は尽きることなく。一体、どのようにして、納骨オブジェ「地蔵」が作られているのか、是非ともこの目で見てみたい。
ということで、向かった先は、150年の歴史ある清水焼「瑞光窯(ずいこうがま)」。
京都の東山、今熊野にある東山工房店を訪ねた。

瑞光窯の五代土谷瑞光となる土谷徹(つちたにとおる)氏は、当時の状況をこう振り返る。
「(デザインされた)清水先生と話をしながら、『この辺の形だったら許せるライン』と、『この辺だったら作れるライン』とを近付けて作りました」

素晴らしいデザインが出来上がったのはいいのだが。それを現実的に作り出せるかは、また別の話。特に焼き物は、薄さによって色味が違ったり、歪みが入って割れることも。実際に、試行錯誤の末、試作品作りには相当な時間を要したとか。

現在でも、受注から現物を納めるまでの期間は約2ヵ月。
ちなみに、瑞光窯では、基本的に「ろくろひき」や「絵付け」などの担当制。ただ、手元供養に関しては違う。
「手元供養だけは、地蔵さんのお顔とか。表情が違ってもいけないので。1人で決めて、最初から最後まで責任を持って作ってもらう。型押しから仕上げまでです」

そんな「瑞光窯」で唯一無二の担当者となるのが、コチラの職人。
永野健二(ながのけんじ)氏。
2021(令和3)年4月で、18年目となるのだとか。「地蔵」を担当してからは13年ほど。

「瑞光窯」の清水焼職人 永野健二(なかのけんじ)氏

「普通の商品やと、2割くらいは取れないことが多いんで。お地蔵さんは、最低でも3割増しにはしてますねえ」
取れないとは、商品として認められない出来だというコト。納骨オブジェの地蔵は、失敗作となる率が高いようだ。永野氏曰く、卸価格、納品率、実際の作成時間の3つの観点からみて、利益を出せるようになるまでは約3年。大層な時間を費やしたという。

それほど苦労して制作する「地蔵」の制作過程とは。
基本的な流れを見せて頂いた。

まずは、形作りから。
もちろん、特殊な形ということもあり、ろくろは使用せず。予め作られている地蔵の型を使う。「地蔵」の種類は3種類。「地蔵」「赤地蔵」「黒地蔵」を制作するが、それぞれ何種類かの土を合わせて配合する。

「色を見比べて、これまでと同じように配合もしているんですけど、天然の原料なんで、微妙に違いが出たりするんです。赤地蔵と黒地蔵の土は似たような土ですけど、配合量が違います。赤地蔵は鉄分が多い土を3割、普通の赤い土を7割。黒地蔵は6割対4割で、黒泥(こくでい)を混ぜるんです」

原料となる土。同じ名前で売られていても、自然のものなので、微妙に色が違うことも。見極めるのが難しい

遺骨入れの目安となるもの。内部にこの大きさが入るように空間を作る。最初は小さすぎて失敗したという。テープを巻いて、次第に大きくした試行錯誤のあとが見える

地蔵の型に土を入れ、しわにならないように、中心から外へ押し広げていく。最初から少し多めに土を取る方がよい。足りずにあとから追加すると、土と土の間に空気が入り込んでしまう

接着面には「溝」となるよう、あえて縦線の傷をつける。接着剤となる「泥」が溝に入り込むことで、しっかりと接着する。乾燥しやすいように木の棒で空気の穴を作る

ズレないように真ん中を押さえ、左右を指でならして断面を消していく。それぞれの厚みを確認し、薄いところがあれば他の部分から寄せて均一にする

「締める」作業。接着部分は上から体重をかけて押すことができる。ただ、地蔵の頭部は土の塊のため、全体に圧力をかけることができない。そのため木の棒で押しながら締める

サイドに盛り上がった土を軽く削り取り、へらなどで微調整を行う

ここで仕上げ切るというワケではない。
次の日に硬さを調整して余分な土をカット。指でなでて微調整しながら、またしばらく乾燥させる。顔の部分に関しては、彫りやすい硬さになってから彫っていくのだとか。

ここまでで大体3、4日かかるという。

仕上げには「博國屋」のハンコを押す

焼く作業までに、十分に乾燥させることが重要だと、永野氏が教えてくれた。
慎重を期して、1週間ほど乾燥の期間を取るのだとか。
その日の気温やエアコンの有無、置き場所などを考えて、乾燥させるという。

作業場には、所狭しと素地の器が置かれている。置く場所で乾燥の度合いが異なる

その後、表面が白くなってきたところで、今度は天日に干す。
頭部をしっかりと乾燥させるためだ。
「天日に干すと、土に水分が含まれていたら水蒸気が出て、そのときに熱を奪っていくから土が冷たくなる。反対に、乾き切っていたら熱が奪われないので、熱いんです。だから、天日に干して触ってみて、熱いかどうかで判断します」

こうして最終チェックが完了となれば、あとは焼く作業のみ。

窯には2度入れる。
まずは800度で素焼きをし、その後、日を改めて1200度以上で再度焼く。
驚くことに、その焼き方も「地蔵」の種類で異なるのだとか。

焼く作業場。置くには大きな窯がみえる

「(原料の土は)『還元』で焼くと黒くなるけど、『酸化』で焼くと赤くなる土なんです。『酸化』は普通に燃やすだけ。『還元』は不完全燃焼を起こして二酸化炭素を発生させ、器が持っている酸素を奪うようにして焼いていくんです」

原料によっても、焼き方によっても、色の発色が変わってくるのだとか。
ちなみに、地蔵は1210度で、赤地蔵は1150度で共に「酸化」で焼く。
一方、黒地蔵は1230度で「還元」で焼くという。

「還元」で焼く窯。中央の窓から火の出方が見える。これで二酸化炭素の濃さを見極めて調整する。慣れていないと調整ができない

焼き上がってくれば、熱を冷ます。
これで、ようやくの完成となる。

優しい気持ちになるように願いを込めて

こんな具合にあっさり書くと、なんだか単純作業のように思われがちだが。作業の工程を見学させて頂いたが、ホントに気を遣うことばかり。見ている私の方が、気疲れしそうなほど。

それにしても、驚いたのは「土」の扱い。
「土」は生き物なのだと、改めて実感した。コントロールするには、並大抵の技量ではできない。

「時間との勝負。形作りは、早ければ早いほどいい。どんどん土の硬さが変わってきて、力加減も変わって来る。どれくらいのスピードで変わるのか、どれくらいの力をかければ土がどれほど変化するのか。この感覚が掴めるかどうかが大きいんです」

土との対話。真剣な目で作業具合を確認する

それに加えて、作業の中で行われる微調整も半端ない。
「工房では(担当は)僕だけ。(『地蔵』は)顔もつくりも非常にシンプル。だからこそ難しい。ある程度、情報量が多いとごまかしが効くんですけど…」

それゆえ、永野氏が細心の注意を払うのが「顔」。
単純な三本の線のみで構成されているため、意識せずとも目がいく部分だ。じつは、目と口の辺りには、型から外した時点で、線が薄く入っているのだが。永野氏曰く、この通りに彫ると、位置が若干高くなるのだとか。

「まず、軽く彫って、左右のバランスがあっているか見ます。鼻のへこみだす位置から左右が一緒か、始点から終点までの高さが同じくらいかとか。ちょっと垂れ目に作るんで。キレイな曲線になっているかなども見ます」

時間をかけて目を彫っていく。そこに一切の妥協はない

加えて、口元にも注意を怠らない。
「口は微笑むくらいで。ニコッと笑い過ぎてもダメなんで。片方だけ上がらないようにと」

特に、ベージュ色の「地蔵」は、原料となる土に小石が混ざっているため、難しい。
「今日の取材では白いお地蔵さんはやめとこうかと」そう言って笑う永野氏。
ただ、一番難易度の高い、難しい「地蔵」が、じつは一番人気なのだとか。

こうして、微調整を繰り返し、万全の仕上がりを目指す。
そんな永野氏に、制作するうえでの心構えを訊くと。
「良くないと思えば、作る日をずらすことも。目的が、手元供養としてずっと置く物なので、見てもらったときに優しい気持ちになるように。それが一番気を遣っているところですかね。表情で、博國屋さんからはねられることもあるけど、そりゃそうやわって。買わはるお客さんには、1体だけのものだから。すごく気を遣います」

「地蔵」への思いを語るときのこの表情。全てを物語っている

先方の厳しいチェックで、当然はじき返される「地蔵」も。
しかし、これには、土谷徹氏もかなりの理解がある。
「返って来たものはどうしようもない。目の描き方のラインがちょっと違うとか。僕が想像するのは、博國屋さんは使われる人に近いから。その辺の思いがあるのだろうと。我々も一応、心込めて使われるものだからと言ってますしね」

「博國屋」、そして「瑞光窯」。
そこには、作り手としての信頼が相互にある。
手元供養の「地蔵」には、そんな見えない部分での「信念」が込められている。
作り手の思いを強烈に感じた取材であった。

最後に。
今回の取材で、山崎氏から、これまでの「地蔵」の購入者数を教えて頂いた。
その数、1876体。

現在は、さらに他社でも手元供養が展開されているという。
全体で考えれば、今では年間10万人以上の人が手元供養を選択されているとの推計も。

思えば、「手元供養」という言葉がない時代。
彼らは、桐箱にこそっと入れてタンスにしまう、手製のネックレスで肌身離さず持ち歩くなど、様々な工夫を考え、故人の傍にいた。

仮に、遺骨を手元に置かなくとも。
その存在を感じたいという気持ちは、誰にでもある。
私も大好きな祖母が亡くなって以来。話がしたくなったときは、いつも祖母の家の電話番号を押す。虚しく「現在使われておりません…」という自動音声を聞きながら、受話器の向こうで祖母がいると夢想するのだ。それだけで、少し元気が出るようにも感じる。

冒頭で『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った』という映画のラストシーンをご紹介した。じつは、主人公の男が遺骨を口にするのは、ちょうど手紙を書いている途中でのこと。彼は、自分が死ぬときのことを考え、まだ見ぬ我が子へ「死」に対する思いを手紙に綴るのである。
その一節を抜粋しよう。

「死にはエネルギーがあるように思えてくる
 親の死は子どもの人生を動かす大きな力がある
 僕の死は君を前に進ませるんだ」

今回の取材を通して、分かったことがある。
それは、手元供養は、決して後ろ向きなことではないというコト。

離れがたいから、傍に置く。じつは、そんな先入観を持っていた。未練がある、故人を手離せないからだと。しかし、本当はその逆だ。決して、逃げるワケではない。現実的に死を受け入れるからこそ、手元に置く。大切な人の死を、自分なりに一生懸命受け入れた結果が、この形なのかもしれない。

そうして。
大切な人の「死」から、エネルギーを受け取って。

少しずつ。
なんなら、足踏みでも構わない。
歩こうと、前を向こうと、ただ思う。
そんな気持ちが、きっと、人生を先に進ませるのではないだろうか。

基本情報

名称:有限会社 博國屋(ひろくにや)
住所:京都市中京区寺町通夷川上ル久遠院前町669-1サンアートビル4F
公式webサイト: https://www.hirokuniya.jp/

名称:瑞光窯(ずいこうがま) 東山工房店
住所:京都市東山区今熊野南日吉町148
公式webサイト: https://www.taiken-kiyomizu.com/

書いた人

日本各地を移住するフリーライター。教育業界から一転、ライターの道へ。生まれ育った京都を飛び出し、馬車馬の如く執筆する日々。戦国史、社寺参詣、職人インタビューが得意。

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