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「本歌取り」の名手だった!
和歌や連歌において、古い時代の優れた歌の語句や趣向などを取り入れて、新たな歌をつくることを「本歌取り」といいます。これを陶芸において得意としたのがだれあろう魯山人でした。
魯山人が乾山の絵を好み、自らの作品の意匠に取り入れていたことは他の記事でご紹介していますが、過去の秀作の本歌取りと考えられる作品は、ほかにもたくさん見受けられます。
その最たるものが、中国・明時代の『色絵魚介文鮑形鉢』を手本とした『呉須風貝形鉢』です。
写真で見るよりはるかに大きな鉢で、エビなどのモチーフが写実的かつ生き生きと描かれている点が共通します。
魯山人の本歌取りのすごいところは、ただ写すのではなく、本歌に対するリスペクトを示しながら、時代に即した意匠をあらためて創作しているところにあります。本歌のよさを知り、自分なりのアレンジを加えることができたのは、それだけ魯山人が器についてよく学んでいたことの証。魯山人は、日本や東洋で生まれたさまざまな陶芸の魅力を再認識させたことに大きな功績があったのです。
本歌取りの代表的な器がこれ
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現代におけるプロデューサー
轆轤を回して成形し、焼成するという一連の工程をすべて行うことが陶芸家の仕事だというのなら、轆轤を回さなかった魯山人を陶芸家と呼ぶことはできないのかもしれません。しかし、魯山人はすべてを人任せにしていたわけではありませんでした。
たとえば、轆轤師が仕事をしているときにはすぐそばに陣取り、出来上がったものの口縁を歪めたり、ヘラで所々を削ったりして、好みの形をつくっていたのです。
「長板鉢」にしても、備前や信楽の土を平らにのばして長方形に切っただけのようですが、魯山人は四隅をちょっと細工して、縁を立たせたり、切り落としたりして、取り扱いやすく、面白い形を創造しました。
たったそれだけで、器は魯山人好みに仕上がり、だれにも真似のできない高みにまで上っていたのです。
その点において、魯山人は人後に落ちない名プロデューサーであり、芸術家でありました。
それは「星岡茶寮」においても同様で、職人に成形させて仕上げた器を誂え、料理人を差配して格別な味わいを提供するなど、プロデューサー的な立場で優れた仕事を完遂する先駆けでもあったのです。
真似ることから始まった!
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料理研究家の先駆け!
恵まれなかった幼い時分、魯山人は養家の食事係をすることで糊口をしのぎながらも、それぞれの食材のもち味や、旬の食材の味わいを知り、食にこだわることで心が豊かになることを実感しました。その経験があったからこそ、魯山人は超一流の美食家になり得たのです。
魯山人は食の根本は大自然の恵みと位置づけ、感謝しながらいただくことを説き、贅沢か否かなど二の次。真心を何よりも大切にしていました。
魯山人は「星岡茶寮」で包丁を持つことはなく、二階の居室から調理場を監視し、最初と最後の椀の味見を欠かさない、厳しいプロデューサーとして君臨。そして、題字や表紙のイラストから自ら手がけ、機関誌として毎月発行していた『星岡』では、著名人の寄稿のほかに、その月に「星岡茶寮」で供される主な料理や食材のことはもとより、今でいうところのレシピまで魯山人が紹介していました。
料理人の世界では、先輩の仕事を目で見て覚えることがあたりまえとされていた時代に、料理の勘所を広く明らかにするというのは画期的なこと。魯山人は実は、非常に先進的な料理研究家でもあったのです。
貴重な魯山人のレシピ本!
(後編)へ続く
構成/山本毅、吉川純(本誌)※本記事は雑誌『和樂(2020年4・5月号)』の転載です。
シリーズ「魯山人の魅力」
「魯山人の魅力」シリーズ。下記リンクより他の記事もぜひお楽しみください!