Craftsmanship

2024.09.04

日本が世界でもまれな「民藝大国」になった理由を探る旅へ【民藝の息づく街を訪ねて・鳥取編その1】

焼き物から漆器、鉄器、家具…。日本は、世界でもまれに見る民藝大国です。歴史や風土はもちろんですが、何より、日本人の根底に流れるきめ細やかな精神があったからこそ、民藝はここまで発展できたのではないでしょうか。 今回は、特に生活の中に民藝が根づいているふたつの街、鳥取と盛岡を訪れてみました。そこで感じたのは、豊かな自然と実直な職人、そしてそれを使う人々。すべてがそろってはじめて、民藝という文化は完成するのだということでした。

鳥取 Tottori

岩美町の(いわみちょう)の岩井温泉付近に見る田園風景。吉田璋也は鳥取の風景を愛した。「まだ世間では知られていないこの美しい景色を多くの人に紹介し、この美しい風景に接する喜びをわかちあいたいと思いました」(吉田璋也『阿弥陀堂を建てる』より)

医師であり「民藝のプロデューサー」と呼ばれた吉田璋也の故郷・鳥取

左/鳥取民藝を知るためにまず足を運びたい「鳥取民藝美術館」。昭和24(1949)年、吉田璋也が創設。李朝(りちょう)陶磁器、日本・中国・西洋や鳥取地方の古民藝、吉田璋也がプロデュースした新作民藝など、収蔵品は総数5000点以上。現在の建物は昭和32(1957)年に新築したもので国の登録有形文化財となっている。右/これが、鳥取民藝の師父である、吉田璋也(明治31〈1898〉~昭和47〈1972〉年)の写真。

なぜ鳥取は民藝の街になったのでしょう

柳宗悦(やなぎむねよし)と交流の深かった医師・吉田璋也(よしだしょうや)が牽引した鳥取の民藝運動は、昭和初期に地方各地に広がった民藝運動の中でも、最も古く、最も特色があり、最大の成果を収めました。それを象徴するかのような牛ノ戸焼(うしのとやき)の緑と白と黒の釉薬(ゆうやく)で掛分けた一枚の皿。吉田璋也ら民藝運動の旗手たちの情熱や、緑濃い自然豊かな鳥取の風景があいまったデザインは、今も愛され続けています。鳥取の街は民藝の〝生活的美術館〟。今なお民藝の文化とセンスが色濃く残っています。

吉田は明治31(1898)年、鳥取市に生まれました。父親は鳥取藩士吉田只三郎(ただざぶろう)の長男で、母親は和蘭(オランダ)医・岡田謙造の長女。岡田家は鳥取藩御殿医(ごてんい)を代々務める家柄でした。吉田璋也もまた、大正10(1921)年に新潟医学専門学校を卒業して医師に。また医学生時代から白樺派の文学芸術活動に憧れ、『白樺』の同人だった柳宗悦(やなぎむねよし)と親交を深めます。まだ柳が民藝運動を始める以前のことです。

やがて大正14(1925)年に、柳宗悦らは無名の工人(こうじん)がつくった工芸の美を「民藝」と名付け、本格的に民藝品の蒐集を始め、その思想を広めてゆきます。吉田璋也は、柳宗悦が見いだした民藝の美を現代の日常の生活に取り入れることを願って、昭和6(1931)年1月に故郷の鳥取で耳鼻咽喉科医院を開業するとともに、新たな事業を起こしたのです。

吉田は医療のかたわら心に秘めていた民藝運動を実行に移してゆきました。最初に吉田が目にとめたのは、瀬戸物屋さん、松村南明堂(なんめいどう)の店先で見かけた牛ノ戸焼(うしのとやき)の並釉五郎八茶碗(なみゆうごろはちちゃわん)です。さっそく牛ノ戸の窯を訪ねると、先々代らが残したという雑器の美しさに心奪われます。当時はどこの窯元も疲弊していたため、「現代の生活にふさわしい日常の食器のひと通りを、牛ノ戸焼でつくらせよう」と、新作民藝による再興をはかり、「鳥取民藝振興会」を設立したのです。

左/吉田璋也がデザインした牛ノ戸焼緑釉黒釉染分角香合(縦4. 5×横4.5×高4.3㎝) 鳥取民藝美術館蔵 右/美術館1階には吉田がデザインした新作民藝を多数展示。2階は吉田コレクションの企画展を開催。

吉田璋也が鳥取に民藝を根付かせていった

さらに、昭和24(1949)年には鳥取民藝美術館を開設。その目的は、一般の来館者に民藝の美を伝えるだけでなく、何が美しいものなのか、工人たちに民藝の美の基準を示すこと。職人の手本となるようなものをと、収集の方針を定めました。また、新作民藝には個人作家が職人の指導にあたることが必要と考え、次々と鳥取に指導者を招請しています。河井寛次郎(かわいかんじろう)や英国人陶芸家のバーナード・リーチもそのひとりでした。
リーチは吉田のリクエストに応えて講演だけでなく、鳥取の婦人たちに向けてカレーライスの講習会まで開いています。こうして少しずつ人々の生活の中にも民藝が根付いていったのです。

鳥取市内にある民藝館通りには、当時の面影がそのまま残ります。昭和27(1952)年に吉田自らが建築や家具の設計などを手がけた旧吉田医院。その正面に立つ、漆喰(しっくい)仕上げの土蔵造り風の鳥取民藝美術館。館内は2階建ての民藝調の造りで優しい光に包まれ、河井寛次郎やリーチの作品をはじめ、吉田のコレクションや新作民藝の数数が生活の一部のように展示されています。

まずはこの民藝美術館を訪れてみましょう。吉田の、科学者(医師)としての真偽を見抜く目を備え、そこに柳宗悦の美意識が加わり、鳥取民藝が大きく花開いてゆく様子が手に取るようにわかります。

新作が生活の一部のように展示されている「鳥取民藝美術館」

鳥取民藝美術館1階にある展示コーナー。辰巳木工(たつみもっこう)が制作した文机(ふづくえ)やビューロー、茶櫃(ちゃびつ)、そして燭台(しょくだい)から工夫して吉田がデザインしたという丸傘木製電気スタンドを配置。かつて吉田が過ごした民藝のある素敵な暮らしを垣間見るかのようだ。

【施設情報】鳥取民藝美術館

とっとりみんげいびじゅつかん
住所:鳥取県鳥取市栄町651
電話:0857-26-2367
開館時間:10時~17時
休み:水曜
入館料:500円
https://mingei.exblog.jp

アイキャッチ画像:左/轆轤を回しながら黙々と高台(こうだい)を削る、牛ノ戸焼窯元6代の小林孝男さん。右/鳥取の新作民藝の象徴的な色彩といえる緑釉(りょくゆう)と黒釉(こくゆう)の染分(そめわけ)コーヒーカップ。

撮影/伊藤 信 構成/新居典子
※本記事は雑誌『和樂(2021~2022年12・1月号)』の転載です。
※営業時間や休みなどが変更になっている場合があります。お出かけの前に最新情報を確認してください。

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和樂web編集部

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