「コロナよ、はやく終息してくれ~!」。これは日本人のみならず、全人類の切なる願いに違いない。日本では緊急事態宣言が解除になったものの、新型コロナウイルスに対する警戒は続き、ともすれば気が滅入りそうになる日々……。
そんななか、秋田からムチャクチャに明るい、気分の弾む歌声が届いた。その名も「五六七(コロナ)撃退音頭」。まずは、聴いてみよう。
秋田音頭「五六七撃退音頭」/梅若芸能企画
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歌は、秋田の三大民謡のひとつ「秋田音頭」の替え歌で、梅若鵬修(うめわか・ほうしゅう)さんが詞をつけた。三味線を鵬修さんが演奏し、民謡のビッグタイトルを多数受賞する浅野江里子さんがうたう。ふたりは兄妹であり、祖父に「民謡王国 秋田」を確立した日本民謡梅若流梅若会の初代宗家 浅野梅若、母に二代目 浅野梅若をもつ。秋田のみならず、ニッポン民謡界の次代を背負って立つ実力者だ。
――「五六七撃退音頭」をつくろうと思い立ったきっかけは?
鵬修さん(以下 鵬修):新型コロナウイルスの感染が広まって、舞台をはじめとする私たちの仕事もなくなってしまいました。新幹線やクルーズ船で秋田に到着する観光客のみなさんを「おもてなし民謡」でお出迎えもしていたのですが、それらもすべてキャンセルに。お弟子さんとの稽古もできなくなり、1日考える時間ばかりで過ぎていきました。歌でなにかできないか、民謡で力になることができないか、と思っていた時にYouTubeで星野源さんの「うちで踊ろう」が話題になりだして。
鵬修:そのころ、秋田大学から新型コロナウイルスの感染予防のポイントを県内周知のために秋田弁に翻訳するよう頼まれまして、「これだ!」と。夜、車で人里離れた場所に行って三味線の練習をしながら、秋田音頭をベースにした替え歌を一気に9番までつくりました。それを、妹に「うたって」とLINEで送ったんです。
江里子さん(以下、江里子):最初に歌詞を見たときは、うわっ、秋田なまりが強いなーという印象でした。
――江里子さんでも、なまりが強いと感じたんですか?
江里子:私は生まれも育ちも秋田市ですが、普段は強いなまりの秋田弁で話すことはありません。うたう時も県外の方に向けてのことが多いですから、だれもがわかる程度の秋田弁を使うことがほとんどです。「五六七撃退音頭」は、コトバの運びや間の置き方が心地よくて。思い切りなまって、うたううちに楽しくなって、私自身コロナでふさいでいた気分が明るくなりました。
鵬修:まずは県のみなさんに新型コロナ対策を理解してもらうことが第一でしたから、あえて、強くなまらせた秋田弁を前面に出そうと。私たちの母校であり、民謡を教えに行っている小学校の校長先生がYouTubeの動画を見てくださって、給食の時間に流してくれるようになりました。
江里子:ママ友から「子どもから『秋田音頭』を聞くことになるなんて、思いもよらなかった。それを江里子さんがうたっていたなんて!」とも言われ、うれしかったですね。
鵬修:秋田民謡は五穀豊穣のほかに、疫病退散とか魔除けの願いを込めた歌が多い。特に「キタカサッサー」というお囃子に、そうした意味合いが込められているといわれていますから、全国のみなさんにもお囃子を声に出して、新型コロナを吹き飛ばしていただきたいですね。
名物、下ネタ、なんでもあり。元来がフリースタイルの秋田音頭
――元歌となっている「秋田音頭」について教えてください。
鵬修:「秋田おばこ」「秋田甚句(じんく)」と並んで、秋田を代表する民謡に挙げられます。一般に知られる「八森鰰(ハタハタ)、男鹿ブリコ、能代春慶、桧山納豆、大舘曲げわっぱ……」と秋田名物を挙げていく「秋田音頭」は、プロの民謡歌手用に詞がつくられたもの。本来は即興でうたわれ、いまでも各地域にそれぞれの音頭が残っています。
――同じメロディーにさまざまな歌詞が付けられ、うたわれるのですか?
江里子:メロディーというより「語り」ですね。「地口」ともいわれます。歌詞が異なれば、リズムの取り方、うたい方も人によって違います。
鵬修:例えば、秋田市の土崎港では夏に「土崎神明社祭の曳山行事」という曳山まつりが開かれますが、そこでは毎年、新作の「秋田音頭」の歌詞が掲示され、曳山の行程途中で唄と踊りが披露されます。三味線、横笛、太鼓、摺鉦(すりがね)、小鼓の伴奏で景気良くうたわれます。
一方、県南部の羽後町で催される「西馬音内(にしもない)盆踊り」は、網笠をかぶったり、頭巾で顔を覆って踊るので別名、亡者踊りとしても有名ですが、ここでの音頭は下ネタが多い。深夜になるにつれ、どぎつく、きわどい歌詞もうたわれヒートアップしていきます。
底抜けに明るい秋田民謡。その理由は米どころという地の利にあった
――東北の民謡は「厳しい冬を耐え抜く」思いが凝縮されているようなイメージをもっていましたが、秋田の民謡には明るさ、おおらかさを感じます。それは県民性ですか?
鵬修:秋田県民はどちらかというと、根が暗い方が多い気がします(笑)。積極的にコミュニケーションを取るほうではありません。
江里子:秋田人は「えふりこぎ」、つまり、ええかっこしいとも言われていて、自分をよく見せたいから、あまり自らをさらけ出すこともないですね。あと、「しょしがり」、恥ずかしがり屋です。
鵬修:ひとつには、日本の伝統的な民謡のリズムが七・七・七・五調であるのに対して、秋田民謡のなかでも音頭は七・七・九調が定型としてあり、この「九」という音数が笑いの生まれる間になっているといえます。
また、青森や岩手に比べて、農作物を育てるのが大変ではなかった。県中央部、田沢湖周辺の生保内(おぼない)地方に伝わる豊作を喜ぶ、酒盛り唄で「生保内節」があります。そのなかで、奥羽山脈から吹き降ろす生保内東風(おぼねだし)は宝風とうたわれているように、作物の栽培に適した暑さと乾燥した環境をつくります。だから、秋田では米がたくさん収穫できた。めでたい、めでたい、とみなで浮かれて、陽気にうたう唄が生まれました。
鵬修:対して、津軽民謡(青森)や南部民謡(岩手)は特に厳しい環境の中で育まれ、力強いところがあると同時にしなやかさが共存している。「これくらいのことに負けないど!」という気持ちから形作られてきたのではないかと思います。
三味線の演奏にしても、津軽民謡では全身全霊でうたい手と競い合うところがありますが、秋田民謡の場合は曲の入りに独奏はあるにしても、基本的にはうたい手をエスコートする役目を担います。津軽の民謡はリズムが力強くはっきりとしている曲が多いのですが、秋田の場合は淡々としていて、時に、リズムをあえてくずす違いもあります。
三味線の技法は元をたどれば同じだったはずです。東北地方に根差した旅芸人である「座頭」が三味線を付けていくなかで、津軽は津軽、秋田は秋田の特徴が生まれていったのでしょう。
秋田三味線独奏「稲穂」/梅若鵬修(2019年浅草木馬亭)
まるでフィギュアスケートのよう!? 超絶極める秋田民謡の節回し
――秋田民謡の魅力、聴きどころを歌い手の視点から教えてください。
江里子:秋田特有の節回しですね。秋田民謡ではおだやかなテンポのなかで、複雑かつ微妙な節を表現しなくてはならず、特に難しいところです。
鵬修:曲にもよりますが、秋田民謡の節回しはフィギュアスケートのようなもの、といえるかも。秋田の歌唱法では先人が無駄を省き、研ぎ澄ませていくことで決められた型が厳密にはあり、技の正確性が求められます。こぶしとよく言いますが、日本的歌唱では振幅の大きいビブラートを指す場合が少なくありません。一方、秋田民謡では喉を使って音階を変えていくことが求められます。インド歌謡のうたい方に似ていますね。個人的には東北地方の民謡の歌唱法はそちらから伝わって来たのではないか、とも思っています。(笑)
「大黒舞」/二代目浅野梅若(2014年浅草木馬亭)
江里子:兄がうまく説明してくれました(笑)。秋田の民謡は思いっきり声を張り上げてうたう曲が多い。小さいときは母の教えで腹から声を出すように言われ、力まかせに声を出していました。年を重ねるにつれ、歌詞の内容、情景が深く理解できるようになり、思いを込めることを身に着けてからは自然と大きな声が出せるようになりました。「五六七撃退音頭」でも「コロナ、なくなれー!」と強い思いを込めて。
長い間、みなさんの前で歌を披露できない状況にありましたが、「五六七撃退音頭」が新たな気持ちで歌に向き合うきっかけにもなりました。コロナを経て、いろいろなことが復活したとき、思う存分にうたいたいですね。
動画協力=オフノート