Culture
2020.07.02

柳沢吉保とは?下級役人から大名へ、収入も300倍になった「江戸リアンドリーム」!

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5代将軍・徳川綱吉の側近として有名な柳沢吉保。ドラマや時代劇では悪役として描かれることの多い人物ですが、実力で大出世を遂げた「江戸リアンドリーム」を叶えた男でもあります。収入もなんと約300倍に!?その出世街道をご紹介します!

下級役人から綱吉の小姓へ

1658年、上野国(こうずけのくに・現在の群馬県)舘林藩士の長男として生まれた柳沢吉保。1675年に18才で家督を継いだ時の禄高は530石。当時舘林藩主だった綱吉に、小姓として仕えるようになりました。

また、当時は保明(やすあきら)という名前でした。

綱吉の将軍就任に伴い出世街道を駆け上る!

1680年、綱吉が将軍に就任すると、吉保は将軍の傍近く仕える小納戸役になりました。1688年には、将軍と老中の取り次ぎをする側用人に抜擢。側用人は綱吉が最初に設置した役職で、老中と同じか、それ以上の待遇を受ける場合もありました。

徳川綱吉像(徳川美術館蔵)wikimedia commonsより

このころ、吉保の石高は1万2000石に大幅アップ!見事大名の仲間入りを果たしたのです。

川越から山梨へ!石高も約300倍に

1694年、吉保は川越藩主となり、石高は7万2000石に。待遇も老中格から老中上格(大老格)にまでなった上に、1701年には綱吉の名から一字を与えられ、このころから「吉保」と名乗るようになりました。

まだまだ吉保は出世街道を駆け上ります。これまで将軍一門しか治めることのなかった、甲斐(山梨)へ領知替えとなり、石高は15万石にもなりました。

収入300倍ってどのくらいスゴイ?

1709年に綱吉が死去すると、吉保は長男に家督を譲って隠居しました。亡くなったのは1714年。享年57でした。

最初の石高が530石、隠居前の石高は15万石なので、単純に石高だけで計算すると、生涯で収入は約300倍に。現代の平均初任給は年間約250万円なので、その300倍は7億5000万円!!石高と現代の紙幣価値を単純に比べることはできませんが、柳沢吉保の江戸リアンドリームがどれほどすごかったか、だいたい想像していただけたのではないでしょうか。

アイキャッチ画像:肖像 国立国会図書館デジタルコレクションより

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書いた人

大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。