5代将軍・徳川綱吉の側近として有名な柳沢吉保。ドラマや時代劇では悪役として描かれることの多い人物ですが、実力で大出世を遂げた「江戸リアンドリーム」を叶えた男でもあります。収入もなんと約300倍に!?その出世街道をご紹介します!
下級役人から綱吉の小姓へ
1658年、上野国(こうずけのくに・現在の群馬県)舘林藩士の長男として生まれた柳沢吉保。1675年に18才で家督を継いだ時の禄高は530石。当時舘林藩主だった綱吉に、小姓として仕えるようになりました。
また、当時は保明(やすあきら)という名前でした。
綱吉の将軍就任に伴い出世街道を駆け上る!
1680年、綱吉が将軍に就任すると、吉保は将軍の傍近く仕える小納戸役になりました。1688年には、将軍と老中の取り次ぎをする側用人に抜擢。側用人は綱吉が最初に設置した役職で、老中と同じか、それ以上の待遇を受ける場合もありました。
このころ、吉保の石高は1万2000石に大幅アップ!見事大名の仲間入りを果たしたのです。
川越から山梨へ!石高も約300倍に
1694年、吉保は川越藩主となり、石高は7万2000石に。待遇も老中格から老中上格(大老格)にまでなった上に、1701年には綱吉の名から一字を与えられ、このころから「吉保」と名乗るようになりました。
まだまだ吉保は出世街道を駆け上ります。これまで将軍一門しか治めることのなかった、甲斐(山梨)へ領知替えとなり、石高は15万石にもなりました。
収入300倍ってどのくらいスゴイ?
1709年に綱吉が死去すると、吉保は長男に家督を譲って隠居しました。亡くなったのは1714年。享年57でした。
最初の石高が530石、隠居前の石高は15万石なので、単純に石高だけで計算すると、生涯で収入は約300倍に。現代の平均初任給は年間約250万円なので、その300倍は7億5000万円!!石高と現代の紙幣価値を単純に比べることはできませんが、柳沢吉保の江戸リアンドリームがどれほどすごかったか、だいたい想像していただけたのではないでしょうか。
アイキャッチ画像:肖像 国立国会図書館デジタルコレクションより
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