「麒麟がくる」の主人公・明智光秀は生き延びて徳川家康の側近になっていた?同一人物説の謎

「麒麟がくる」の主人公・明智光秀は生き延びて徳川家康の側近になっていた?同一人物説の謎

歴史をめぐる話題では、現代でも論議が絶えないものが多く存在します。その中でも、多くの人の興味を引く話題の一つが「AとBは実は同一人物だった!」という説です。そして、2020年1月19日から放送されている大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公である明智光秀も、その1人であったことをご存じでしたでしょうか?「山崎の合戦」の後で死んだとされた彼は実は生きていて、徳川家康の側近の僧「南光坊天海」になっていたという説があります。本記事では、光秀=天海説についてご紹介いたします。

「山崎の合戦」で亡くなったとされる明智光秀

明智光秀が天正10年(1582年)6月2日に「本能寺の変」を引き起こし、織田信長を死に追いやったことはあまりに有名です。しかし光秀は結局、その後の天正10年6月13日の「山崎の戦い」で弔い合戦とばかりに襲ってきた豊臣秀吉に敗れ、何とか逃げおおせたものの最期は落ち武者狩りにあったとされています。このとき、討ち取った証拠として本能寺で光秀の首が晒されたことも記録に残っています。

しかし、当然DNAや歯型での確認などできない時代ですから、この首が100%本物だとは言い切れない部分もあります。もしかすると、影武者を用意していた可能性やよく似た別人と取り違えたことも考えられます。また光秀の死は旧暦の6月=現在の7月ですから、首を検めるまでに腐敗が進んでいた可能性もあるでしょう。実は光秀が生きていたとしても、ありえない話ではないわけです。

密かに生き延びて、徳川家康に取り入っていた!?

では、仮に光秀が生存していたとして、その後どこに行ったのでしょうか?色々な説が混在していますが、その中でも有力なのが「徳川家康の側近である南光坊天海になっていた」という説です。そこで、天海がどのような人物だったのかを知っておきましょう。

天海は天台宗の僧であり、徳川家康の側近として仕えていました。その発言力は非常に強く、徳川幕府における多くの政策に深く関与したほどです。しかし、その活躍ぶりとは裏腹に出自には不明な点が多い謎の人物だとされています。判明しているのは、天文5年(1536年)ごろの生まれで陸奥国(福島県、宮城県、岩手県、青森県)の蘆名氏(あしなし)という一族の出身らしいというところまでです。

そのような身元不明な人物が家康の側近となり、あまつさえ当時の僧の最高位である大僧正にまでなっているのですから、まさに当時の異名であった「怪僧」がこれほど似つかわしい人物も他にいないでしょう。

天海が明智光秀だとされる根拠

しかし、天海が有能な人物だというのはお伝えできたと思いますが、なぜ光秀と同一人物とされているのかいまいち判然としないでしょう。ここからはその根拠を挙げていきます。

松禅院の石灯籠

比叡山の「慈忍和尚廟(じにんかしょうびょう)」の隣にあるお堂「松禅院」には、「慶長二十年二月十七日 奉寄進願主光秀」と刻まれた石灯籠があり、「光秀」という人物の寄進であることが読み取れます。ここで気になるのはその日付であり、慶長20年は1615年ですので、光秀はすでに亡くなっているはずなのです。しかも同年5月には、大坂の陣で豊臣一族が滅亡しています。自身を滅ぼした豊臣家の敗北を願い、光秀=天海が寄進したのではないかといわれています。

天海の墓の場所

滋賀県大津市坂本の恵日寺には、天海の墓である慈眼堂(じげんどう)があります。坂本という土地は、光秀が坂本城を築いて根城としていた場所なのですので、何やらつながりを感じさせますね。

明智平

日光の高台には「明智平」という華厳の滝を望む風光明媚な場所がありますが、これは天海が名付けたという説があるのです。明智の名を地名として残そうとしたのかもしれません。

物語として魅力的な光秀=天海説

ここまで見てきたように、明智光秀が南光坊天海だということを匂わせる情報はいくつもあります。では実際のところ、光秀が天海である可能性は高いのでしょうか?

結論からいうと、残念ながらこの説は都市伝説の域を出ません。前述した「根拠」はいずれも決定的な証拠ではなく、推測にすぎないのが実情です。例えば、松禅院の石灯籠は、同名の別人が寄進したのかもしれません。天海のお墓にしても、比叡山がそもそも坂本のすぐそばなので、この地にあってもおかしくはないでしょう。

また、デマだと確定している「根拠」としては、「家康を祀っている日光東照宮のあちこちに、明智家の家紋である桔梗紋が見られる」というものがあります。よく似たデザインの家紋は確かにあるのですが、実際は織田家の家紋である木瓜紋で、明智家とは関係ありません。結局、よく調べれば間違いだとわかる情報ばかりなのです。

それにも関わらず、光秀=天海説が長きにわたって唱えられてきたのは、やはり歴史上のミステリーとしての面白さがあるからではないでしょうか。仮に光秀が天海なのであれば、家康の陣営に加わることで、自分を打ち負かした秀吉の一族を滅ぼせたわけです。さらに、信長も成し得なかった天下統一と国家運営に携わったとあれば、これほど痛快な話はありません。

創作の世界においても、光秀=天海説を採用している作品は多く、それだけ魅力な伝説であることがわかります。真偽はともかくとして、「もしかしたら」の可能性に思いを馳せることには、尽きることのない浪漫を感じさせてくれます。

「麒麟がくる」ではどのように語られるのか?

「麒麟がくる」の放送に伴い、明智光秀はこれまで以上に注目されています。新型コロナウイルスの影響により中断されていた撮影も、6月30日から無事再開されました。果たして、光秀はどのような人物として活躍するのか。皆さんもその目でぜひ確かめてください!

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