Culture
2020.09.08

髭こそダンディズム?織田信長も明治天皇も蓄えていた「髭」のイメージ、その歴史に迫る!

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ヨーロッパでは人気の髭男子ですが、日本では賛否が分かれます。職業によっては、清潔感を出すため髭を綺麗に剃るように言われる場合もあるのではないでしょうか? ヨーロッパでびっくりされるのが、日本男児の中には髭脱毛をする人さえいることです。とはいえ、歴史を遡れば、教科書で見る偉人たちの人物画は髭を生やした男臭いものが多かったような……と感じる人もいるのでは?

それもそのはず! たとえば戦国時代の武将たちの間で、髭は勇ましさや権力の象徴として大ブームでした。それに終止符を打ったのが江戸時代に度々出された髭禁止令。家綱の大髭禁止令で髭男子はほぼ姿を消したようです。その後は欧米文化の流入や戦争で髭ブームが復活。これから日本における髭の紆余曲折を戦国時代から探っていきましょう!

戦国時代:男たるもの髭面であるべし

まず、髭男子の最盛期に遡ってみましょう。古代においては、寄生虫の温床になるといった衛生面や飲食の邪魔になるといった生活面の観点から髭は必ずしも好まれていたわけではありませんでした。剃刀が存在しなかった当時、髭を綺麗に剃ることは叶わないものの、石器時代では石器で刈り取る、平安時代頃からは毛抜きで抜くという方法で手入れされていました。

ちなみに、剃刀が仏教とともに伝来してからも、当初剃刀は僧侶が頭髪を剃るための神聖な仏具として扱われていました。室町時代に入ってからも、剃刀は高価なものだったので髭の手入れには毛抜きが使われるのが一般的だったようです。剃刀が徐々に普及するようになったのは、織田信長が武士独特のヘアースタイル・月代(さかやき)を作るのに剃刀を用いたのがきっかけと言われています。

さて、剃刀のことはさておき、髭に話を戻しましょう。髭が男らしさの象徴として賛美されるようになるのは、織田信長も活躍した戦国時代のことです。当時、髭のない者は「女面」と嘲笑されたため、付け髭を付けることも当たり前だったとか。付け髭で有名なのは豊臣秀吉で、『太閤記』巻第十六には、文禄3年に付け髭に作り眉といった風貌で吉野で花見を行ったことが記載されています。

『絵本太閤記. 1』 国立国会図書館デジタルコレクションより

江戸時代:髭は野蛮だ駆逐せよ!

では、髭のネガティブなイメージは一体どこからきたのでしょう。それは、長きにわたる天下をめぐる戦乱が終結し、日本に平和が訪れた江戸時代に始まります。江戸時代に入ると徐々に髭に対する見方が変わってくるのですが、かといって当初から徳川幕府が髭を禁止していたわけではありません。当初は以前からの風習を受け継いだ幕府も髭に対してかなり寛容で、髭は庶民の中でもファッションとして流行したのです。

しかし、徳川幕府が豊臣家を大坂の陣で滅ぼし、「元和偃武(げんなえんぶ)」つまり平和な世が到来した時、髭の衰退の道が始まります。徳川幕府が髭を禁止するきっかけとなったのは、かぶき者と呼ばれる集団の横行でした。

男伊達を気取り、奇抜なファッションに身を包んで、大きな髭を蓄えた姿は、のちに現代へと続く伝統芸能・歌舞伎の礎にもなりました。ですが、困ったことに、派手な風貌で練り歩くだけにとどまらず、賭博や辻斬りなど、彼らは様々な問題を起こします。

江戸時代初期のかぶき者は、その多くが身分の低く貧しい武家奉公人でした。武士に雇われた彼らは、戦乱の時代に足軽などとして生活を維持していたものの、平和な江戸時代が訪れるとその居場所を追いやられることとなりました。

人並み外れる風貌や行動は反体制的な精神を象徴していたといえます。それを見かねた幕府は、乱れた風紀を正すため、かぶき者の特徴でもある髭を徐々に禁止していく方針を固めたのです。

「仏の顔も三度まで」と言いますが、髭を規制する禁令も三度にわたって発令されています。最終的には、四代将軍・家綱の時代に大髭禁止令が発令されたことにより、藩医や隠居老人など一部の人以外は髭を蓄えることが完全に禁止され、厳しく取り締まられるようになりました。それからというもの、男らしさの象徴であったはずの髭が、野蛮人の象徴とみなされる風潮が強まりました。

明治時代:文明開化はまず髭から

さて、江戸時代が終焉を迎え、欧米諸国に追いつけ追い越せの時代がやってきました。するとどうでしょう、手本とする欧米諸国の人たちは立派な髭を蓄えているではありませんか。西洋文化の流入をきっかけに、野蛮人の象徴とされた髭の立場は一転。髭は文明、そして権威のシンボルとして返り咲きます。

明治天皇写真 国立国会図書館デジタルコレクションより

官員や学者などの権力者たちは、自分の社会的地位が軽く見られないよう、立派な髭で権威を誇示しました。明治天皇が断髪し、髭を蓄えた洋服姿にも当時のトレンドが窺えるのではないでしょうか。

そして現代へ・・・

ようやくこのまま、髭はその地位を維持していくのかと思いきや、またもや危機に陥ることになります。そのきっかけとなるのが安全カミソリの発明です。第一次世界大戦の時代には米軍を中心にアメリカで髭剃りの習慣が広まります。その習慣は日本にも広がり、大正から昭和初期に出現したモボ(モダンボーイ)やモガ(モダンガール)と呼ばれる、アメリカ映画の影響を強く受けた若者たちは、髭を敬遠していきました。

しかし、軍国主義が台頭すると髭は権威の象徴として再び脚光を浴びます。終戦後も、権威の象徴として、髭は一定の支持を集め続けました。一方で、高度経済成長期におけるサラリーマン社会では、一般的に髭を剃ることがエチケットとされていました。また、反体制の若者たちが髭を好んで蓄えていた事実は、江戸時代のかぶき者を思い起こさせます。

現在、綺麗に整えられた髭は男らしさやワイルドさを表現するファッションのひとつとして受け入れられています。一方で、接客業では会社から髭は不快感を与えるため剃るように言われることも多く、就職活動の際も綺麗に剃るのが常識とされています。「男らしさ」や「権威」、そして「野蛮人」。長い歴史の中で培われた髭の異なるイメージは、現代社会に混在しています。ここまで波瀾万丈だった髭の歩み、今後どうなるのか見ものです。

書いた人

生粋の神戸っ子。デンマークの「ヒュッゲ」に惚れ込み、オーフス大学で修士号取得。海外生活を通して、英語・デンマーク語を操るトリリンガルになるも、回り回って日本の魅力を再発見。多数の媒体で訪日観光ガイドとして奮闘する中、個人でも「Nippondering」を開設。若者ながら若者の「洋」への憧れ「和」離れを勝手に危惧。最近は、歳時記に沿った生活を密かに楽しむ。   Born and raised in Kobe. Fell in love with Danish “hygge (coziness)” and took a master’s degree at Aarhus University. Enjoyed the time abroad, juggling with Danish and English. But ended up rediscovering the fascination of Japan. While struggling as a tour guide for several agencies, personally opened “Nippondering” that offers personalized tours with a concept of “When in Rome, do as the Romans do”.