紫式部といえば『源氏物語』を書いた小説家、というイメージを持っている方が多いでしょう。しかし、紫式部を現代に例えるなら「大手に勤めるバリキャリ女性」。『源氏物語』を書くだけでなく、勤務先であらゆる業務を行っていました。時には飲み会の席でセクハラを上手にあしらったり、同僚からイヤミなあだ名をつけられたりすることも!
一児の母でもあった紫式部は、現代の私たちにも共感できるところがたくさんあります。知られざる紫式部のお仕事ライフを覗いてみましょう!
波乱万丈!紫式部の生い立ち
お仕事ライフを覗く前に、まずは簡単に紫式部の波乱万丈な生い立ちを見ていきましょう!
リストラされて10年間無職の父
紫式部の父は、漢文を得意とする公務員。漢文は今の英語のように、実務で必須の技能でした。そのため紫式部の父は、花山天皇の時代にはかなり出世したのです!
しかし、花山天皇が退位すると同時に父はリストラにあいます。しかも、10年くらい再就職できなかったという不器用っぷり……。
ちなみに母親は紫式部の幼い頃に亡くなっており、なかなか辛い幼少~青春時代を過ごしたようです。
結婚後すぐシングルマザーに
父親の無職期間が長かったせいもあり、婚期を逃した紫式部は、平安時代としてはかなりの晩婚。20代後半で親子ほど年の離れた男と結婚しますが、わずか3年で先立たれてしまいます。2人の間には幼い娘が1人いました。
「この子と2人、これからどうやって生きていけばいいの……。」
夫を失った寂しさを埋めてくれたのが「物語」。紫式部の書いた物語は評判になり、時の権力者・藤原道長に「うちに働きに来ない?」と誘われます。
当時、貴族女性が外に働きに出ることは、はしたないことと考えられていました。それでも紫式部は、道長のもとで働くことを決めます。その理由のひとつに、シングルマザーで経済的に困っていたことがあるかもしれません。
紫式部の勤務先は、今をときめく「超一流企業」
紫式部は、一条天皇の后・彰子(藤原道長の娘)のサロンに、女房として勤めることとなりました。勤め先としては、超一流、最大手です!ちなみに女房とは、貴族のサロンを作り上げるプロ集団。天皇の后の女房ともなると、選りすぐりの才女やお嬢様、美人が選ばれました。
そこではちょっとした貴族じゃ体験できない、華やかな生活が待っています。現代に例えるなら、一流ブランドのセレブパーティーに出席したり、超高級店の料理やスイーツに舌鼓を打ったり。しかも移動は高級車!豪華な衣装に身を包み「あの絵画、ご覧になりまして?」なんて優雅な話に花を咲かせ……。いいなぁ、私もそんな生活してみたい!
そんな貴人の女房は男性人気が高く、多くの貴公子がキラキラ女房目当てに訪れます。まるで「合コン」です。
ともかく紫式部の勤務先は、働く女性憧れの場所だったのです!
紫式部のお仕事ライフ
さて、本題に入りましょう。紫式部は普段どんなお仕事をしていたのでしょうか?
漢文の先生
女ボス・彰子が漢文に興味をもったため、漢文が得意な紫式部が教えていました。漢文は女性が習うものではなかったため、道長には内緒で……。そのうちバレてしまうのですが、道長は娘・彰子の漢文の勉強を応援しました。優しいパパですね。
製本
ベストセラーとなった『源氏物語』製本のために、紙を選んだり清書を手配したり、細かい事務作業も行っていました。当時紙は超高級品だったので、本の制作は道長のバックアップあってのことです。つまり道長は紫式部のパトロンで、2人は男女の関係だったとの説もあります。
伝言係
紫式部は各方面からかなり信頼されており、機密情報を伝える係をしていたようです。まるで秘書のようですね。
出産の手伝い
女ボス・彰子の出産の手伝いにも携わっていました。出産当日は、分娩室の隣の部屋で待機。ボスの出産中は雑用が色々あるのですが、紫式部は記録係だったと思われます。そして産後もずっと彰子の傍にいたことが『紫式部日記』に書かれています。
アフター5も充実しているのがキラキラ女房だ!
なぜか勤務中も退勤後も充実している、現代のキラキラ女子たち。一体いつ休んでいるのだろう?それと同じくキラキラ女房は、アフター5(勤務時間外)も充実しています。
飲み会に出席
女房は、飲み会やパーティーにも出席します。彰子の息子誕生パーティーでは、酒癖の悪い貴族も大勢いました。そこで藤原公任という男に「若紫(源氏物語の女主人公の名前)はいるかな?」とセクハラめいたことを言われた時は、「光源氏のような素敵な男性がいないのに、若紫がいるわけないでしょう!」とピシャリと切り返しています。さすが!
オシャレなイベントに参加
当時流行していた仏教は、貴族の中でオシャレなイメージ。「これから法会(ほうえ)~」みたいな感じで、イケてる貴族は仏教のイベントにこぞって参加していました。人気のお坊さんの講義は、特に大盛況だったそうです。
職場いじめも……。ついたあだ名は「日本書紀おばさん」?
キラキラ女子が集まれば、当然妬み・僻みも巻き起こります。紫式部にも、同僚に仲良くしてもらえなくて、出社拒否していた時期がありました。
また、『源氏物語』を読んだ一条天皇が「この作者は『日本書紀』の教養があるね」と褒めたことがきっかけで妬みを買い、同僚から「日本紀の御つぼね」というあだ名をつけられました。訳すなら「日本書紀おばさん」みたいな感じでしょうか。
ちなみに、清少納言も同僚にいじめられて休職していた時期があります。キラキラ女子も大変ですね。私はキラキラしてなくて良かった~!
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