日本人にとって地震はとても身近な自然現象だ。昔からなぜ地震が起こるのか?と多くの人が疑問に思ってきたことだろう。地震は地下深くの岩石が断層を境として揺れ動くのが現在の科学的見解である。しかし、地球の内部で何が起きているのかを突き止めることは容易ではない。江戸時代には「大ナマズが暴れるから地震が起こる」と信じられていた。なぜ、ナマズ?と思われる方もいるだろう。第一、大地を揺らすほどの体を持ったナマズがいるとは想像しがたい。まずナマズと地震がどう結びついたのかについて、触れておきたい。
ナマズが暴れると地震が起こる?
江戸時代は人口が急激に増えた時期で、地震が起こると被害も大きくなった。そのため、地震に対する関心も高かったと考えられ、地震に関する記録が多数残っている。『安政見聞誌』などによれば、地震に先行してナマズが暴れたことが記述されている。ナマズが地震を誘発するのか、あるいは地震前に何かを察知しているのか。その科学的な根拠は現代でもよくわかっていない。ただ、その様子を見た江戸時代の人々は、釣りをしている時などに「ナマズが暴れているから地震が起こったんだ」と解釈したのかもしれない。
鹿島信仰における大ナマズ
ナマズと地震を関連づけるのは、信仰上の経緯もある。茨城県の鹿島神宮に伝わる神話によれば、雷神タケミカヅチと海神フツヌシが「要石(かなめいし)」を大地にうちたてることにより、大ナマズを鎮めたとされる。これは、大ナマズ(動くもの)と要石(不動のもの)を統合することで、秩序をもたらしたことを意味する。これを実世界に置き換えてみれば、混沌とする世の中が統一されたという見方もできる。
実際に鹿島神宮に行くと、「要石」の実物が見られるという。きっと大きい石に違いないと想像する方も多いだろうが、実際には地上にちょこんと顔を出す石にすぎない。しかし、地下深くまでその石は続いていると言われており、その底を見た者はいないという。
江戸時代にナマズ絵が大流行
鹿島信仰における大ナマズの話が広まったのは江戸時代。1855年の安政の大地震では、大都市・江戸を中心に甚大な被害が広がった。その際に、ナマズ絵という風刺画が大流行。大きな被害が広がったのにも関わらず実態が捉えられない地震を、ナマズに例えて想像力豊かに描いている。中には、吉原の遊女たちがナマズを懲らしめている絵や、ナマズが地震の復興作業で潤った大工・左官たちに小判を与える絵などユーモラスなものばかりだ。
地震は人々の生活に打撃を与え苦しめる一方で、建築物の建て替えや都市の復興などによって経済的な潤いをもたらした。地震が起きて間もない時期に、地震の肯定的な側面まで描いてしまうナマズ絵の風刺力には驚かされる。これができたのも、ナマズ絵は無許可の出版物で規制が及ばないところで出回っていたという背景があるからだ。私たちはナマズ絵から、人々が地震に対してどう向き合っていたのかをストレートに読み取ることができる。
現代人にとっての地震
さて、現代は地震が起きた際に、携帯電話で緊急地震速報が鳴るご時世。地震発生のメカニズムに関する研究が進み、誰もが地震の発生を事前に知ることができるようになった。しかし、2011年の東日本大震災地震では、地震のみならず津波や原発の倒壊なども発生し、自然の脅威が人々の予想を超えてきたというのも事実である。科学で解明できる世界ばかりではない現代において、見えないものに対する想像力を掻き立てる瞬間は少なからず存在する。そのような時に人々は脅威を感じ、精神的な支柱を求め、無限に広がっていくイメージの中に祈りや絵画の題材を見出すのかもしれない。
参考文献『野生めぐり』,石倉敏明・ 田附勝, 淡交社, 2015年11月