日本文化の
入り口マガジン
11月27日(木)
自己侮蔑という男子の病気には、賢い女に愛されるのがもっとも確実な療法である(ニーチェ)
日本文化の入り口マガジン 和樂web
日本文化の入り口マガジン 和樂web
11月26日(木)

自己侮蔑という男子の病気には、賢い女に愛されるのがもっとも確実な療法である(ニーチェ)

読み物
Culture
2020.11.04

モノマネ芸人コロッケも真っ青⁉︎江戸時代の職業「ひとり相撲」が面白い!

この記事を書いた人

現代のモノマネ芸人といえば、有名な人に「コロッケ」がいます。彼はひとりで500種ものモノマネネタを持っているそうで、彼のおかげでモノマネが一躍有名になったといっても過言ではないでしょう。

しかし、「モノマネが有名になったのは最近のこと」って思っていたら間違いです。

実は、江戸時代にも、モノマネでお金を得る職業がありました。

それが「ひとり相撲」です。「ひとり相撲」ってどんなモノマネだったのでしょう?さっそくご紹介します。

相撲が大流行した江戸時代

その起源は古く、古事記や日本書紀にも記述が見られます。また、平安時代に入ると、秋の収穫、五穀豊穣を祈る宮廷行事や神社の奉納として相撲が行われるようになり、日本の国技として発達していきます。

江戸時代になると、寺社の建立や移築のための資金集めをしたいという思惑で、相撲で興行収入を得るようになります。それは「勧進相撲」といわれ、次第に人々は相撲でより収入を得るためのしくみ化を考えるようになります。まずは、相撲の様式やルールが整備され、土俵入りの儀式や化粧回しなどの決まりなどができました。そして、定期的に取り組みが行われるようになります。これによって、力士は職業になりました。

このような素地ができたことで、娯楽要素も相まって、江戸町民に一気に広まり相撲ブームが到来しました。

そうなると、当然出現するのが推しです。町民の中にもひいきの力士が生まれ、それぞれが好きな力士を応援し、それがさらに相撲人気を加熱させました。

推し力士のモノマネが見たい!

そんな中で誕生した仕事が「ひとり相撲」。

大道芸の一種で、ひとりで勝手に相撲のモノマネをしてお金をもらう仕事です。ひとり相撲が始まる呼び声が聞こえたら、町人たちはわらわらとあちこちから集まってきて、口々にひいきの力士の名を呼びます。

人がたくさん集まった頃に、ひとり相撲をする芸人は名の挙がった力士そっくりなしぐさをして相撲を取り始めます。もちろん、すべてひとり進行で行司もひとりで行います。ですが、そのすべてのモノマネが本物がそっくりだったとか。

推し力士のモノマネを見て、心熱くなった町人は芸人に投げ銭を入れるというわけです。

ひとり相撲はまさに相撲ブームから派生した芸ですが、こちらも同時にブームになったようで、明治期まで続いたそうです。

「女人禁制」がひとり相撲を流行らせた?

ひとり相撲が流行った背景に、江戸時代の相撲観戦が女人禁制というところにも理由があったかもしれません。

江戸時代の相撲は、寺社の境内によしずで張った仮の小屋が立てられて行われていました。とはいえ、2階席、3階席まである立派なものでした。しかし、その中にいるのは男性ばかり。女性は見物することができませんでした。

理由は、相撲の試合があまりに加熱して、見物客の間で口論や乱闘騒ぎが絶えなかったからといわれています。

それほど熱狂的なファンが多かったのですね。

江戸時代の数少ない娯楽のひとつだった相撲。テレビ中継もない時代で、女性にとっては、ひとり相撲でしか、流行りの相撲を知ることができませんでした。なんとも寂しいことだったでしょうね。

江戸時代のイチオシ人気力士は雷電為右衛門

さて、江戸時代の相撲で一番人気の力士は誰だったのでしょう?

長い江戸時代、年代によっても力士が違うので一概には比較できませんが、ひとりだけ名を挙げるとすれば雷電為右衛門(らいでんためえもん)ではないかと思います。

というのも、雷電為右衛門は「負けなしの力士」といわれ、その強さは圧倒的。なんと、相撲人生21年(所説あり)の間に、負けた試合は10回程度だったともいわれています。あまりの強さに彼だけ使うことが禁じられている技があったとかなかったとか。

もともと幼少の頃から体格がよく、力士当時は6尺5寸、45貫(197cm、169kg)だったといわれています。(小島貞二『力士雷電 上巻』ベースボールマガジン社、1998年11月10日より)きっと、雷電為右衛門もたくさんのひとり相撲でモノマネされたことでしょうね。

「ひとり相撲」はことわざの由来?

ひとり相撲といえば、今では「相手もいないのに、また、周囲の事情や結果を考えずに、ひとりで意気込むこと。」(大辞林第三版より)という空回りを意味することわざで知られています。

もしかすると、江戸時代のひとり相撲という仕事がこのことわざになったのかも?と思った人、実は違います。このことわざの起源となったのは、愛媛県今治市の大山祇神社に伝わる神事「ひとり角力(ひとりずもう)」が起源だといわれています。

今治・大山祇神社のひとり角力は、毎年春の御田植祭(旧暦5月5日)と秋の抜穂祭(旧暦9月9日)に行われる神事で、神社に設けられた土俵で行われます。

こちらも、ひとりで相撲を取るモノマネをするのですが、実は相撲している相手は「稲の精霊」。神との力比べを表しています。

3本勝負が行われ、必ず「稲の精霊」が2勝1敗で勝つというシナリオです。「稲穂の霊」を勝たせることで、春の豊作が約束されることになるのだとか。ちなみに「稲穂の霊」と相撲を取る相手は、「一力山(いちりきざん)」という力士です。毎年市の職員が「一力山」を務めるそうですよ。

江戸時代はお金を稼ぐには様々な知恵を働かせることが重要でした。時代のブームを読んで仕事につなげるという姿勢は、今の時代も学ぶべきところがたくさんありそうですね。

▼相撲に関するクイズにも挑戦してみない?
クイズ!力士が懸賞金をもらうときにしている手振りって何?あなたもしているかも!?

書いた人

関西生まれ。関西にはたくさんの歴史の断片が転がっているので、そんな昔の偉人たちに想いを馳せながら旅をするのが大好きです。外国人の知り合いが多く、外国人から見た日本を紹介できればいいなと思っています。最近はまっているのは占いで、自宅の猫を相手に毎日占っています。