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自分よりできるやつに任せられるときには、迷わず任せることだ(ロバート・ウッドラフ)
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自分よりできるやつに任せられるときには、迷わず任せることだ(ロバート・ウッドラフ)

読み物
Culture
2020.12.22

ただ坐る、それだけでいい。言葉では言い表せない世界「坐禅」【福井】

この記事を書いた人

それは、1本の電話から始まった。

永平寺から取材許可が下りたあとのこと。
なんと、予定の取材日の2日前に、連絡があったのだ。

「それは…道元禅師(どうげんぜんじ)様のお考えと…違いますね」

正直、困惑した。
そもそもの企画は、曹洞宗大本山の永平寺にて坐禅体験を行うもの。坐禅を行って、自分の精神がどのように変わるのかを記事にするという内容だった。

振り返れば、今年は本当に色々大変な一年だった。そう思う人が、きっと多いのではないだろうか。年明けからコロナウイルスに振り回され、健康面のみならず、経済面も大打撃。現在も、未だ終息の兆しすら見えていない。だからこその、坐禅である。そう安直に私は考えたのだ。

きっと、家で坐禅をすれば、心の平穏も保てるはずだ。それを体験レポートとして…。

「それは…坐禅の趣旨と…違いますね」

なんということだろうか。
そんなツレナイ永平寺に涙しながら。いや、このままでは終われないと、再度奮起。カオスになりつつも、私はとりあえず、永平寺へと向かうことにした。

さて、早速、ネタバレとなってしまうのだが。
のちに、これが私の大いなる誤解であることが判明する。まさしく「目から鱗」状態。

そして、坐禅の奥深さを知る…と言いたいところだが。いやいや、知るとは恐れ多い。そんなところまでには、当然至らず。坐禅とは「奥深い」に違いない…と、その計り知れない存在の大きさだけを、一瞬、感じたのである。

※冒頭の画像は、永平寺 親禅の宿 柏樹關(はくじゅかん)の「開也の間(かいやのま)」となります

2段階のズレを起こしていた企画

最初に私が向かった先は、永平寺親禅の宿「柏樹關(はくじゅかん)」。
今回、お世話になる宿である。まずはここから説明しよう。

もともと、永平寺門前の一院として存在していたのが「柏樹庵(はくじゅあん)」という施設。尼僧らの宿泊場所であったようだ。こちらが、令和元(2019)年7月23日に再建され、名も「栢樹庵(はくじゅあん)」に改められた。これに合わせて、その横に今回建てられたのがこの「柏樹關」である。

じつは「親禅の宿」という名称だが、永平寺自らが建てた宿である。もちろん、宿の運営自体は民間企業に委託されているが、オーナーは永平寺という関係だ。宿坊に泊まるのが少し厳しいという方に対して、旅館のような快適な設備やサービスが用意されている。ただ、一方で、宿坊のような坐禅や本格的な精進料理なども味わえるため、人気なのだという。

宿泊者は、希望で坐禅や朝課(ちょうか、朝のお勤めのこと)を体験することができる。坐禅については、一般的に永平寺で行われる坐禅体験に参加できるようだが、場合によっては、この柏樹關にて行われることも。そのため、柏樹關には、坐禅ができる「開也の間(かいやのま)」などの部屋も整えられている。

永平寺親禅の宿「柏樹關(はくじゅかん)」

永平寺親禅の宿「柏樹關(はくじゅかん)」に置かれている「ほう」 実際に永平寺で食事の時の合図として使われていたもの

ちなみに、私の場合は「永平寺での坐禅体験」に参加することができた。

さて、この永平寺。鎌倉新仏教の1つである「曹洞宗(そうとうしゅう)」の大本山である。道元禅師が開山し、越前(福井県)の土豪である波多野義重(はたのよししげ)の援助によって創建。現在でも曹洞宗僧侶の修行の場となっている。

じつは、永平寺のホームページには、このような言葉が掲載されている。

「坐禅は、眼は閉じずに姿勢を正して、丁寧に呼吸を行い、
心気を穏やかに持ち、深く自分自身を見つめます。
世の中に溢れる種々の情報に、惑わされることからの解放でもあります。
「仏のいのち」に目覚めることと、いっても良いでしょう。
感染症拡大の混沌の中だからこそ
今在る場所で、坐禅に親しむ時間を持ちましょう」
(永平寺のホームページより一部抜粋)

これを見れば、やはり、坐禅によって心の平穏が訪れるような気がしないでもないのだが。だからといって、もちろん、坐禅の趣旨と異なると言われればそれまでのこと。一体、何がどう異なるのか。戸惑いつつも、指定の時間となったので、宿泊の方たちと共に、永平寺へ参禅することとなった。

時計やアクセサリーなどの装飾品を外し、裸足で部屋の中央へと進む。全体に対して一通りの坐禅の作法の説明がなされたあと、心の準備もないまま、いきなり坐禅が始まった。

今、振り返れば、逆に取材を意識せずに坐禅を行うことが、かえって良かったのかもしれない。というのも、心の動きを考えながらでは、気負って坐禅どころではなかっただろう。そういう意味では、意図なく坐禅に集中することができたといえる。

一般の方に交じって、ただひたすらの坐禅。気付けば終了の合図が。こうして私の生まれて初めての坐禅体験は無事に終了。ちょうど帰り支度をしているところで、とある僧侶の方から声をかけて頂いた。

「坐禅は、個人の心の平安を求めるものではないんです。全く違う、その逆なんです」

曹洞宗の教えに対してほぼ知識がないため、大変申し訳なかったのだが。
ゆっくりと、その意味を教えて頂いた。

そもそも、心の平安を求めて坐禅をすること自体が、既に「坐禅」ではないという。坐禅の結果、もちろん、スッキリとしたり、心が落ち着いたりという効果はあるかもしれない。だが、それは、あくまで副産物に過ぎないのだとか。

つまり、坐禅は何かしらの効果を期待して行うものではない。坐禅する目的は1つ。「坐禅する」コト自体が、坐禅の目的なのだ。ただ坐る。その一言に尽きる。

こう考えれば、確かに、私の企画の前提自体が間違っていることが分かる。坐禅の効果の検証など、坐禅に対する考え方のベクトルが、明らかに逆方向を向いていたようだ。

永平寺

さらに加えて、このようなお話も。
「海に行けば海水があります。海水をコップで一杯すくって『海だ』と言っても、誰も海とは思わないですよね。坐禅を見て、私が坐って『これが坐禅だ』といっても同じ。逆に、コップ一杯の水を海に戻せば、完全に『海』ですね。坐禅も同様です。だから坐るしかないんです」

「坐禅」自体の意味を言葉で語る。それ自体がナンセンスということか。誰かが「坐禅」を語っても、それは「その人の坐禅」であり、「坐禅」全てを指すものではない。こういう意味なのだと理解した。

「坐禅は、坐禅以外では語ることができない。何か表すとすれば、坐る以外ないんです」

なるほど。
そう考えると、私の企画は、残念ながら二重にズレていると言わざるを得ない。心の動きがどうなったのか、それは、どこまでいっても、本人が悟るもので、加えて個人的なものでしかない。言葉にした瞬間、私個人の坐禅となってしまう。だから、言葉で追っても仕方ないのだ。坐禅をして、勉強をして。そして、初めてその感覚が分かるのだろう。言葉にすること自体、このロジックが抱える矛盾なのかもしれない。

それにしても、頭の中ではおおよそ理解しているつもりなのだが。やはり、こうして言葉で説明すること自体に無理があると感じる。久しぶりの難解な課題に対峙し、頭を抱えた。

記事にする際には、この私の混乱が少しでも伝われば。
そんなことを思いながら、永平寺をあとにした。

禅コンシェルジュとの出会い

少し消化不良気味になりながら、部屋に戻ったのだが。先ほどの言葉を理解するべく、必死で頭の中を整理する。

そういえば、この柏樹關には、珍しい肩書を持つ人がいたはずだ。そんなことを思い出した。

その名も「大本山永平寺認定 禅コンシェルジュ」。
こちらが、そのご本人。久保田真美(まみ)氏である。

禅コンシェルジュ 久保田真美氏

久保田氏が「禅コンシェルジュ」となるまでなど、色々なお話を聞かせて頂いた。

じつは、久保田氏と永平寺には、不思議な縁がある。
もともと、宗教とは無縁の世界で生きてきたという久保田氏。この「禅コンシェルジュ」となるまでは、ずっと百貨店に勤務していたのだとか。

「百貨店勤務で最後に配属されたのが、『仏壇屋さん』。仏具とかを販売しなきゃいけないというので、宗派の勉強をしてくださいと言われました。全くこれまで知識もなかったので、これは勉強しないと難しいなとなりまして」

日本では13宗派あるそうだが、このうち、身近なものから勉強しようと考えたそうだ。地元が福井県ということもあり、久保田氏は、曹洞宗の本山「永平寺」が近くにあると気付く。

「最初は勉強する意味で、行ってみようと。ただ、一般参拝だけでは知識が深くは入ってこないので、せっかくだから参籠(さんろう)してみようと、宿坊に泊まりました」

宿坊に泊まるのは初めてではなかったのだとか。
高校生の時に、一度、学校行事の一環として宿坊に泊まったという。
「朝課に初めて参加して感動したんですね。今修行されているのは130人くらいになってしまいましたが、その当時は250人や300人近くの僧侶がいらっしゃったので。300人近くの僧侶の方が読経される姿はすごい迫力があって、衝撃的でした。その時のことを思い出して、あの朝課をもう一度体験したいと。こうして2度目に宿坊に泊まったのが5、6年前。そこから毎年夏に参籠しています」

永平寺

当時は、朝一に禅堂で坐禅をしたのだとか。
「20分間坐禅を組んで、それがすごく気持ちがよくて。いいなと思いました」

久保田氏は、この坐禅がしたくて、宿坊に泊まっていたのだという。それだけではない。

「精進料理がおいしくて、食べたいと。すごく質素なんですけど、お腹にちょうどいいというか。今まで食べ過ぎていたんだなと、気付かされます。色んな気付きが、永平寺では発見できる。すごく不思議なところだなと思います」

普段、日常生活では感じられないことを感じられる。永平寺はそんな場所なのだと、久保田氏が話してくれた。ただ、残念なことに、朝一の坐禅がしたいとの理由で毎年通っていた永平寺であったのだが。ある時、その坐禅ができないことを聞かされる。

「『柏樹關』ができますと。そちらには坐禅ができる場所も作るので、朝一に坐って頂けますとお聞きした。それが今から3、4年前ですね」

そんな久保田氏が、どうして禅コンシェルジュとなったのか。
「身内が観光業界で働いていまして。ある日、身内の勤務先が柏樹關を運営すると聞いて、受けてみればと言われました」

柏樹關

当時の彼女は、全く百貨店を退職する気がなかったという。店長にという話もあったというから、実際、転職は想定外の出来事なのだろう。

「それが不思議なんですけど。まあ、受けるだけ受けてみようと思って面接だけ受けたんです」

業務内容はというと、珍しい「禅コンシェルジュ」の肩書。
「実際に『禅コンシェルジュ』の資格を取ってもらいますと。坐禅の泊まり込みの研修をしてもらいます。終わればテストを受けてもらいます。100問中100問正解して合格ですと。さすがに無理かとも思いましたが、やってみようと。諸堂案内もしてもらいますと言われました」

この諸堂案内だが、既に久保田氏は半分ほど覚えていたという。というのも、5年もの間、毎年、宿坊に泊まっていたことが幸いしたようだ。

「これまで多種多様な説明を聞いていたので、半分覚えていたんですね。そこはラクでした。でも、繋がっているんだなと。毎年、何気なく来ていたことが、仕事になると思わなかったんですけど。ホントに不思議だなと思います」

「坐禅」は毎日坐ることがおススメ

「長時間坐ることには慣れていましたし。作法とかは、修行僧ではない僧侶の方から教えて頂きました。永平寺に泊まり込み、3泊4日で坐禅の研修を受けました。朝から晩までずっと坐禅ですね」

朝から晩までの坐禅とは、どういうことか。
じつは、この4日間の坐禅の研修では、修行僧の方と全く同じ生活をすることになるのだとか。食事と風呂と睡眠以外は全て坐禅の時間なのだという。トータルでいうと10時間近くになる坐禅。それが4日間続く。

「私は足の痛みがなかったですね。最初から。すごくラクだった。こんな贅沢な時間でいいのかなと。仕事していると何かしら動いたりするものですが。『何もしない』というのがすごく贅沢な時間で。今振り返っても、本当にそう感じます」

段々疲れが逆に取れていく。そんな風にも感じたのだという。
「坐らないと、段々、組めなくなってくるんです。1日5分でも、2、3分でもいい。足を組んで坐るということをしないと、人間は体が固くなっていくんで。ストレッチと同じだなと思います。組んでいないと怖い。できなくなるんじゃないかと」

そんな久保田氏のおススメは、毎日坐るコト。
坐る時間は短くてもいいのだとか。30分間座ってそのあとの2日間は何もしないよりは、1日5分組んで、毎日坐る方がよい。それが大事なのだと教えてくれた。

坐禅の魅力を語る禅コンシェルジュの久保田真美氏

ここで、久保田氏に質問をぶつけてみた。
永平寺で坐禅を体験した際に、一切、精神的なことを言われなかったのだが。例えば、無心になれとか、呼吸に集中しろだとかの注意事項である。実際に、坐禅をする際に心構えなどはあるのだろうか。

「最初のお作法は説明しますが、それ以外の事は言わないですね。最初に『これをしてはいけません』と概念を与えたくないんです。実際に、体験して頂く。坐って頂く。そこで何を感じるのかは個人個人のことですし。最初にこうしないでというと、その概念に囚われてしまう。自由に坐って頂く。ただし、お作法はきちんと守ってくださいということなんです」

なるほど。
やはり、先ほどの、永平寺で聞いたお話と同じである。
「坐る」ことに目的はない。「坐る」こと、ただそれだけなのだ。

「ただ、坐禅が終わってから、皆さまに感想をお聞きするんですが、そのときに、ホントに色々な意見が出てくる。実際に泣かれる方もいらっしゃって。(坐禅を)されている最中から涙が出てきて、『今も涙が止まりません、これは何なんですか』という意見とか。多分、浄化されているのかと。余計なものがでるというか」

「あとは、途中で体が熱くなってきましたという方とか。皆さんが坐られている間、私は姿勢を直したりと、周りをぐるぐる回るんですが。途中から温度が上がってくる感じがします」

明らかに最初と室温が違うと久保田氏は続ける。
「1、2度上がっているなと感じます。不思議なんですけど。体がポカポカしてきましたという意見は多い。そういう方もいらっしゃる。まあ、感じ方はホントに人それぞれなんですが」

柏樹關(はくじゅかん)の「開也の間(かいやのま)」

「坐禅はただ坐るということ。それ以上でもそれ以下でもない。道元禅師様は、只管打坐(しかんたざ)といって、ただひたすら坐るというのが修行だと。そこで何を思ったからダメとか、思わなかったからダメとかは一切ない。壁に向かってただひたすら坐る。コレが坐禅です」

もう1つ、質問をぶつけてみた。
坐禅を毎日続けていて、ある日何かが変わるのかと。
これも初心者が知りたい内容である。

「5年通っていましたが、毎年違う。毎年同じ場所で、同じ組み方で何一つ変わったことはしていない。坐る場所が違う。ただそれだけなのに、毎回、初めてやるような感覚になりましたね。すごく1回1回が新鮮で。すごく不思議。慣れない。今でもそうです。毎回違う。ホントに不思議です」

つい、奥が深いですねと。感想を漏らすと。
「奥が深いというか、私たちも分からないです」との答えが返ってきた。

「そこを逆に分かる人っているのかなと。分からないからこそ、僧侶の方も毎日坐るのではないかなと、そんな感じはありますね。そこに意味や理由を求めないのが坐禅なので。仏教自体がそうなんですけど、物事に囚われない、執着しないというのが大事だと思います」

おうちでできる坐禅の作法とは?

さて、そんな久保田氏に、おうちでできる坐禅の作法を教えて頂いた。

まず、準備として。
坐禅用の座布団である「坐布(ざふ)」を用意したい。ただ、普通は持っていない方が大半だろう。その場合は、クッションや座布団で代用する。逆に、足が組みにくくなければ、別に何もなくてもいいそうだ。

「畳に両ひざをつかないといけないので、クッションとか座布団とかを引いて頂いた方が坐りやすいと思います。お好きな場所で坐って頂く」

なお、お香やアロマなど、好きな香りと一緒でもよいのだとか。こちらも個人の自由だとか。

次に、坐り方である。
「まずは坐って頂いて。裸足がよろしいです。右足をまず左足の太ももの上に乗せる。次に左足を上に乗せます」

これが「結跏趺坐(けっかふざ)」である。

結跏趺坐

「できない場合は、半分だけ乗せるのでもよいです。このとき、両膝は必ず畳の上にくっつくようにすることが必要です」

これが「半跏趺坐(はんかふざ)」である。

半跏趺坐

「手は、仏様の印を組みます。右を下にして左手を半分だけ乗せて頂く。真ん中で円を作る。親指を少し離します。これをみぞおちのところまで持って行って、下に下ろす。ちょうどおへその丹田があるところに置きます」

手は体にしっかりとくっつけるのだという。
「姿勢をまっすぐに伸ばして。曹洞宗の坐禅は目を閉じない。しっかりと目を開けて頂いて、目線を斜め45度くらい下に落とします。頭はしっかりと正面を向いて、目線だけを落とします」

坐禅の基本的なスタイル

ポイントは、体の力を抜くコト。坐禅は、体に力が入っていると、体の軸がズレていくのだとか。そのため、背中が痛くなったり、お尻が痛くなったり。足も痛くなる場合も。余分な力を抜くことが大事だと教えて頂いた。

呼吸はというと。
先に、坐禅に入る前に呼吸を整えるのだという。これを「調息(ちょうそく)」と呼ぶ。

「鼻から大きく息を吸って口から吐く。段々とこれを小さくしていきます。坐禅では、3つを調えます。上半身を調える(調身)、呼吸を整える(調息)、心を調える(調心)。そのときに、体の余計な力を抜きます」

坐禅を終了する際は、両手を広げて、太ももの上に乗せて、上半身をほぐす。
「左右に大きく揺れて、振り幅を段々小さくしていきます。長く坐る場合は、足をほぐす。マッサージをして、しびれを取ってもらいます」

終了後

全体的な注意事項としては。
「あまりこれやらないといけないとか、そういう概念は捨てて頂いて。今日、ちょっと坐ってみようかなという感じで、実際に坐禅して頂ければと思います」

ちなみに、私もそうだが。初心者の場合、「結跏趺坐」をなかなか組めないのだが。

「修行僧の方も、永平寺に上がって来られてすぐだとなかなか組めないと。それが自然と組めるようになってくるみたいです。長時間坐るとなると、ラクじゃないと坐れないので。段々と自分の軸が分かる時がくるんです。何回も組んでいると、あっこれだなと。分かる瞬間がある。これを体が覚えてしまうと、この軸を見つけると、何時間でも組めるようになります」

最後に。
禅コンシェルジュの久保田氏からのメッセージである。
「ホントに深く考えずに坐って頂きたいなと思いますね。考えること自体が囚われていることなので。とらわれずにただひたすら坐ると。一度坐ってみてください。そして、そのときに『これは合うな』と。もっと長時間坐ってみたいと思えば、何回も組んで頂きたいと思います」

なお、さらに、もう1つ。
永平寺での坐禅体験のあとでお話し頂いた僧侶の方からも。
「世界が、今日も明日も安定して平安で暮らしていける。皆さんが、生活の中心に坐禅を持ってきて頂ければ、争いごとがなくなるかもしれません」

今回の記事だが。
私にしては珍しく、坐禅体験の感想を一切書かなかった。

言葉を使う仕事を生業にしながら、その言葉を紡ぐことができない。久しぶりにこのジレンマに苦しんだ。自分で企画しながら、なかなか難しいテーマだったと思う。

少しでも、読者の方に「坐禅」が伝われば。

そして。
今日も私は、ただひたすら坐る。

(写真撮影:大村健太)

基本情報

名称:永平寺親禅の宿 柏樹關
住所:福井県吉田郡永平寺町志比6-1
公式webサイト:https://www.hakujukan-eiheiji.jp/

書いた人

日本各地を移住するフリーライター。教育業界から一転、ライターの道へ。生まれ育った京都を飛び出し、北海道(札幌から車で4時間、冬は-20度)で優游涵泳の境地を楽しむ。その後は富山県、愛知県へと流れつき、馬車馬の如く執筆する日々。戦国史、社寺参詣、職人インタビューが得意。

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