道綱母(みちつなのはは)という呼び名で知られる、『蜻蛉(かげろう)日記』の作者。現代の私たちも、子どもの友達のお母さんを「ひろし君ママ」などと呼ぶが、それは年々人の名前を覚えるのが難しくなってきて「子どもの名前に加えて親の名前まで覚えられない」という生物的な事情もあるのだ。
平安時代はそれとちょっと事情が違うけれど、ともあれ「道綱くんママ」が聞いてほしいことがあると言うので、ランチ会に行ってきた。
道綱くんママはセレブ妻
道綱くんママ(以下略):久しぶり~! 遅れてごめん~。ほら私ってブスだし家広くて使用人も多いから化粧に時間かかった~!
――お疲れ~! 全然ブスじゃないよ、今日も美人! 相変わらずセレブオーラすごいね~。
そんなことないよ~。夫(藤原兼家)が高貴で仕事できるだけだから。それより聞いてほしいことがあるの……。
藤原兼家:平安中期の上流貴族。一族を繁栄に導き、孫・一条天皇の摂政として権力を握る。「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」の和歌で有名な藤原道長は、兼家の息子。
手紙をこっそり見て、夫の浮気発覚
私はさ、夫がどうしてもっていうから結婚したんだけど~。
――(この話100回くらい聞いたな)うんうん。うらやまし~!
それなのにね、妊娠中に別の女のところ通ってたの。
――え! うそヒドイ!! 何でわかったの?
こっそり夫の文箱(ふばこ、手紙を入れる箱)見たら、浮気手紙入ってたんだよね……。
――妊娠中に浮気するなんて最低! どんな女?
それがさw 天皇の孫らしいんだけど、別にたいした身分ではないんだよね~。「狭い道路沿いの女(原文では“町の小路の女”)」って呼んでるw
大事なイベント当日に来なかった夫の愚痴
それでこの間の「桃の節句」なんだけど、色々準備して待ってたのに、夫来なかったの……。私かわいそうだよね……?
――桃の節句一緒に過ごさないとかひど~い! もしかして道路沿いの女のとこ行ってたとか!?
絶対そう!! クリスマス当日かイブじゃなくて、12月26日にレストラン予約された2番手の女……って感じだよね。ほんとみじめ。あっちが後から出てきたくせに。それで、私より先に夫の妻になってた時姫に手紙送ったの。(注:平安時代は一夫多妻制)
――へ~、なんて? (あんたも後から出てきた女なんじゃん!)
お互い、夫が訪れなくて辛いですね……って。そしたら「あなたのところに行ってるかと思ってました」だって。まぁ、うちにもちょいちょい来るのは確かだけど、時姫はもう全然切れちゃってるみたいだし、かわいそうだよね~。
――(すごいナチュラルにマウントとるなぁ)へぇ~、でもあんまり妻同士で手紙とか送らない方がいいんじゃない?
は? 何で!?
――いや、別に! ゴメン!
時姫:兼家の正妻。藤原道長らの母で、一条天皇・三条天皇のおばあちゃん。
マジギレ寸前! 浮気相手からのマウンティング!
とにかく!! その狭い道路沿いの女がむかつくの!!
――え~、なんでなんで?(ワクワクw)
そいつ妊娠してさ~、出産するとき、わざわざうちの前大騒ぎしながら通ってったんだよね!!! 他に道はいくらでもあるのに!!!! わざわざ家の前を!!!!
――ヤバッ! 性格悪いね~。(怖いよ~)
それだけじゃないの!! 夫が私に、その女の着物縫えって、布よこしてきたの!!! もう本当に本当に本当にむかついて!!! そのまま送り返してやった!!!
――うわっ、旦那さん無神経すぎない?
ほんとそれ。最初はコソコソしてたのに、すっかり堂々とその女のところ通うようになったんだよね。でも今日の本題はこれから……。
道綱くんママ気分爽快! その恐ろしい理由とは……
ほんとあの女ムカつくから、「せめて長生きして、私と同じ辛い思いをすればいい!!」って思ってなんとか気持ちを抑えてたの。子ども産んだら、全然夫行かなくなったみたいだし(笑)。
――(なるほど、出産前後の一番大変なときに浮気する最悪な夫パターンか)へぇ~、ざまみろだね!
それでさぁ! その女の子ども死んだんだって!! もう超~~~~~スッキリした!! 今最高な気分!! それ今日言いたかったんだよね~! 聞いてくれてありがと★
――(子どもが死んだのに笑ってる! さすがにヒドイ!)まだ小さいのに亡くなっちゃったのはかわいそうだよ……。
そうかなw あ、じゃぁ今日はそろそろ帰るね~! バイバーイ!
――(自分の言いたいことだけ言って帰るんかい!)うん、またね~。和歌も頑張ってね~!
あとがき 道綱母ってどんな人?
古文の授業を受けていた方は、『蜻蛉日記』の作者を「道綱母」として覚えたでしょう。なぜ本名ではないかというと、平安時代、女性の本名は非常にプライベートなもので、家族しか知らないことがほとんどでした。見ず知らずの人に「名前教えてよ」と言われたら躊躇したり、本名でSNSに登録するのに心理的ハードルを感じたりするのと、似た感覚かもしれません。
道綱母の先祖はもともと位の高い家系でしたが、道綱母の世代には中流階級に落ちてしまっていました。一方、夫・兼家はいわゆる「セレブ」のような存在。平安時代に絶大な権力を握った藤原道長の父でもあることから、兼家の実力や権勢もうかがえるでしょう。
正妻ではなかったものの、そんなセレブと結婚した道綱母。『蜻蛉日記』の冒頭で、このように述べています。
かたちとても人にも似ず、心魂あるにもあらで(中略)、天下の人の品高きやと問はむためしにもせよかし
これを訳すと、このような感じです。
「見た目は人並でないし、思慮分別もないけれど、この上なくセレブな人に嫁いだ女の生活はどんなものかと聞かれたら、その例としてこの日記を読んでもいいですよ」
なんとなく「マウンティングされた~!」と感じるのは私だけでしょうか。同じ中流階級の女性が読んだら、多分相当ムッとしたはずです。最初からマウンティング気味にスタートする『蜻蛉日記』では、今回の妄想インタビューのように、一夫多妻制の時代を生きる女性としての苦しみ・ドロドロした憎しみをリアルに書き連ねています。
また、道綱母は和歌が得意で「歎きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る」という歌が百人一首に選ばれています。「嘆きながら一人で過ごす夜が、どれだけ長いかわかりますか」という意味ですが、道綱母の性格を知った上で読むと、なんだか恐ろしさすら感じます。
道綱母のマウンティングや悪口、日々の苦しみ、憎しみを綴った恐ろしい日記は、まだまだ続くので、近々またランチ会を開いてご紹介します。ぜひ続編もお楽しみに!
参考書籍:『日本古典文学全集 蜻蛉日記』小学館