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2020.12.28

人魚の肉を食べて800歳まで生きた「八百比丘尼」不老長寿に飽きた女のエキセントリックな一生

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人間の寿命が飛躍的に伸びた今でも絶対に避けることのできない、死。

世界各地の伝承や物語に、途方もない長寿の人や不老不死の人が登場することからも、不老・不死というテーマには文化や時代を超えて人びとを魅了するなにかがあるようだ。

もし、老いることなく、限り無くどこまでも生きることができたとしたら。それはおそらく人間が抱く永遠の夢であり、ロマンだ。そんな夢みたいな話を叶えた人物が日本にいる。

後に八百比丘尼(はっぴゃくびくに)として親しまれるこの娘は、なぜ生きつづけることになったのか。そして彼女はどのような最期を迎えたのだろう?

人魚の肉を食べて800歳まで生きた娘

昔、若狭国小浜(わかさのくにおばま)に高橋権太夫という長者が住んでいた。ある日、舟を出して遊んでいると嵐が起こり、見知らぬ島に流されてしまった。そこで男は思わぬもてなしを受けることになる。

目の前には見たこともない山海の珍味がずらりとならんでいる。しかし、一つだけ奇妙な形をした肉があった。男はその肉をひと切れ手にすると、そっと着物の袖に隠し、家路へ着いた。「あの夢のようなひと時はいったい何だったのだろうか」としばらくは考えていたが、やがて肉のことはすっかり忘れてしまった。

ところで権太夫には娘がいた。
月日が経ち、権太夫の娘が脱いであった着物をしまおうと袖に手をやると、妙なものがでてきた。なんだろう、と奇妙に思いながらも一口食べてみるとこれがとても美味しい。とうとう、みんな食べてしまった。それが何の肉かも知らずに。

老いていく夫。訪れない死。娘は諸国を巡ることにした

やがて娘は年ごろになり結婚したのだが、どういうわけかいっこうに老いる気配がない。亭主のほうは次第に老い、ついに亡くなってしまった。娘はその後も何人かの男と結婚し、それぞれの死を見送ったが、依然として老いはやってこない。

「どうして私だけ若いまま、姿が変わらないのだろう」
気がつけば800年ちかくの時間が流れていた。人がこれほど長く生きるというのはどう考えてもおかしい。自分の身が恐ろしくなったのか、世の無常を感じたのか。娘は髪を切って尼になった。そうして古い寺の修築や道路や橋の改築などに手を貸しながら、諸国を巡ったという。

京都清水の定水庵に居を定めたときには、長寿の娘を一度見たいと連日のように人が押し寄せた。人びとは800歳まで生きた彼女を、八百比丘尼と呼ぶようになった。

不老長寿の娘が迎えたさいごとは?


貧しい人たちに声をかけ、人助けもした。日本中いろんな土地へも行ってみた。さて、これからどうするか。さすがに諸国巡歴にも飽きてきた。

もしかすると、そんな胸中だったのかもしれない。
八百比丘尼は故郷へ戻ると空印寺(くういんじ)のほとりに小さな庵を結んで暮らすことにした。しかしまだまだ死ぬ気配はない。

生きることに疲れた八百比丘尼は、自ら命を絶つことを決め、境内の洞穴に籠ると食を絶った。その際、椿が好きだった八百比丘尼はその枝を洞穴にさし「この木の枯れぬうちは死なぬ」と言い残したと伝えられる。

こうして不老長寿の最後を遂げた八百比丘尼。
ところで、彼女が口にした「奇妙な形をした肉」とは、人魚の肉だったという。

日本各地に残る八百比丘尼ゆかりの地


そもそも八百比丘尼とは、長寿の老尼僧のこと。八百比丘尼伝承は、全国各地に残されていて、その数は数えきれないほどだ。

島根県には、尼僧が手植えしたとされる老杉がある。尼僧ゆかりの杉は能登半島にもあるが、こちらは彼女が箸をさしたものが芽を出して成長したものらしい。よく似た話が埼玉県や長野県、岡山県などにも残されている。

あるいは暇をもてあました八百比丘尼が、諸国を巡りながら木でも植えていたのだろうか。

謎につつまれた八百比丘尼の生涯

こんな感じにゆかりの地が多すぎるせいか、八百比丘尼の死所、そのときの年齢についてもいろんな説がある。晩年は庵で余生を送ったとか、橋で転んで死んだとか、遊歴の途中で病に侵され亡くなったとか、さまざまだ。

どうやら人魚の肉を食べても、不老不死になるというわけではないようだ。となると不老長寿の効能はだいたい800年くらいなんだろうか、なんて素朴な疑問もわいてくる。

どんな形であれ、伝承が語り継がれる背景には人の存在がある。せっかく800年も生きた尼僧なのだから、伝説にするならロマンがあったほうがいい。

彼女は肌が白かったことから、白(はく)比丘尼と呼ばれることがある。

民俗学者の武田静澄(たけだせいちょう)によると、『若狭国志(わかさこくし)』に記された白比丘尼は漁師の娘で、福井県の小浜市に住んでいたらしい。これが紀行『笈埃随筆(きゅうあいずいひつ)』になると島根県になり、『拾椎雑話(しゅうすいざつわ)』では、生誕の地には栃木県が挙がっているようだ。

生誕の地とされる場所は、まだまだある。岐阜県の『益田郡誌(ましたぐんし)』では、生まれは岐阜県で父は酒屋治郎兵衛としている。佐渡にも白比丘尼の生まれにまつわる伝説があるらしい。これはおもしろくなってきた。八百比丘尼の生まれを探るだけでも、じゅうぶん楽しそうだ。

人魚の肉、桃、貝…不老長寿を叶える食べもの


八百比丘尼は自分が食べた肉が「人魚の肉」だと知っていたのだろうか。もし知っていたら、やっぱり食べなかっただろうか。彼女は肌が雪のように白かったと伝えられている。もし美しい娘だったなら、どうなるか知っていても、口にしたかもしれない。

日本の昔話のなかには、人魚の肉のほかにも食べると「病が完治」したり「若返る」効果があるとされる食材が出てくる。

昔話『養老の滝』では、山の中で野宿していた息子が馨しい香りを放つ「滝」を見つける。これを病気の父親に飲ませたところ、たちまち病が治ったという。
「桃」を食べて若返った話や、酒のなかへ桃の花を浮かせて飲むことで助かったなんて昔話もある。
九州には、ご神体のほら貝にお神酒をいれて飲むと不老長寿の仙薬になるとの言い伝えもあるようだ。

さいごに

「八百比丘尼伝承」がほかの物語とちがうのは、なんといっても人魚の肉が登場することだろう。桃やほら貝や滝つぼの水くらいなら、どうにか手に入りそうだけど、人魚の肉というのはちょっとふしぎだ。

『観音霊験記 西国巡礼三拾二番近江観音寺 人魚』広重,豊国 国立国会図書館デジタルコレクションより

じつは不老不死の仙薬を求める話は中国にもある。
中国の史書には、秦の始皇帝の命をうけて仙薬を取りに船出した話が出てくる。漢の武帝も不老不死の仙薬を求め、秦山(たいざん)の西王母(せいおうぼ)の捧げる桃を食べて神仙になれたとか。

日本には多くの伝説や神話が中国からはいってきている。
となると人魚の肉を不老不死の仙薬とする俗信もまた、中国からきていると考えるのがよさそうだ。

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文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。

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大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。

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